オペラのオーディション | kon-collineのブログ

今年の3月19日に三河市民オペラのソリストオーディションを受けました。

想えば2017年に同オペラのイル・トロヴァトーレに合唱として参加して以来、次のオペラでは端役でもさせてもらえれば、と思っていました。
前回は合唱団の中から端役のオーディションがあったので今回もあるのかと思っていましたが、昨年11月にオペラ制作委員会の方に尋ねたら今回はそれは無く全てのソリストを本オーディションで決めるとのことでした。

オーディションの受験要項には『音楽大学卒業もしくはそれに準じる教育を受けた者であること。』とあり、そもそも自身に受験資格があるのかどうかわからなかったので、昨年12月になってから委員会の方に問い合わせをしたところ、更にマエストロにまで問い合わせをいただき、資格はあるとの回答をいただきました。
そこで急遽知人も習われている地元の声楽家の先生にレッスンをお願いし、一週間後の二回目のレッスン時に撮影した映像で提出用のオペラアリアを歌ったDVDを作り、締め切り間際にプロフィールと共に提出しました。今年2月になってビデオによる予備審査を通過したとの通知をいただき、えっ予備審査で選抜?があったんだと少し驚き、上記の通り本審査に臨みました。

役は審査員・主催者側がお決めになることで自分の声域・声質に合えば何でもよかったのですが、どうせオーディションを受けるのならと、つい出来心で某役で受験しました。

オーディションでは自由曲・受験役の順で歌うのかなと勝手に思っていましたが順序は逆で受験役を歌い次に自由曲でした。
自由曲ではヴェルディの仮面舞踏会より「お前こそ心を汚すもの」を歌ったのですがこの曲は自身にとって高音の限界のG音まであり。
受験役を全力で歌って力尽き、自由曲の最高音のG音では声がひっくり返りました。
自分自身では声域はバスバリトンくらいかなと思っていましたが、受験後に三河市民オペラの合唱指導の先生にお目にかかり、私の声域について話したところ、声域はバスなのでは、とご指摘を受け(でも私は本格的バスの最低音のLow-Cとかは無理です)。

振り返ればコロナの影響で合唱団は1年半ほど休みで全く歌っておらず、昨年の11月になって合唱団の練習が再開され。オーディションのために急にハードな練習をしたものだから暫くして発声に異常を感じ耳鼻咽喉科を受診し声帯を内視鏡で診てもらったところ左右の声帯の片側が素人目にもわかるほど腫れていて昨年末から今年の1月末くらいまで全力で歌うことはできず。挙げ句に2月に受診した人間ドックでは右目の軽微な眼底出血が発見され、自覚症状はなかったのですが、やはりこれは練習のために大声を出しすぎて眼にひびいたのではないかと思ってみたりもして。

人生なんてわからないものです、36歳の時に初めて自分の地元安城市のベートーヴェンの第九に合唱として参加して以来、知立市の合唱団、名古屋の合唱団と所属してきましたがこの歳になってオペラでキャストを務めるとは。

自己分析すると、名古屋の合唱団で練習時限定のソロをいろいろやらさせていただいたことが大きかったのかなと。この名古屋の合唱団は練習時限定のソロでさえオーディションで決めるものでしたが。このときにソロを歌うことはやりがいのあるものだと感じ。

(こんな感じ http://nagoyashimin.sakura.ne.jp/members/gijutu/2019/1103_2_6.MP3 ←3年前にも同じ音源をブログに張りましたが今回は直リンクを張ってはまずかったかな。(36分目あたり、Sマエストロの嬉しいお言葉))


もう一つ、遠縁にピアノを教えてみえた方(偶然にもこの方は三河市民オペラの合唱指導の先生と大学が同期)がいて習っていたことと、学生時代にトロンボーンを吹いていたこと、そう、私はトロンボーン奏者になりたかった。中学3年生のときに吹奏楽の講習会で名フィルの首席トロンボーン奏者のS氏に「君、才能あるよ、西尾市の楽器店でレッスンをやっているからよかったらおいで」と言われ親に頼んだがそんなことが叶うような家ではなく。よって高校生の時も音大受験は許されず。

ざっと以上のような音楽遍歴の私ですが、日本の超一流のプロの方とキャストとして同じ舞台に立てることは光栄です。
三河市民オペラ「アンドレア・シェニエ」は自身の音楽人生の集大成として全力を注ぎます!

http://www.mikawa-opera.jp/ground_opera_special/staff_cast/