引越し作業でやっと発掘し、数ページ進めてから気がついたが、読み出したのは以前持ち帰ってきた養老孟司著「バカの壁」であった。もう一度読むか、とそのまま読み続けて、前回読んだときは大して身に沁みてなかったなと思った。
表カバー折り返しには
話が通じないのは『バカの壁』が立ちはだかっているからだ。
私達の身の回りにある様々な『壁』を知ることで気が楽になる。世界の見方が分かってくる。
というようなことが書いてあり、前回はそれに基づいて読んだ記憶があり、結果、なんとなく「日本な本だよなぁ」と思ったのを覚えている。
海外生活をしていると、日本文化論的なものに対して目が厳しくなる。言い換えると、一年のほとんどを海外で過ごしている日本人である自分の中で起こる心の動きや摩擦を解明してくれる本を探し続けるし、そういう著者にめぐり合えた時には全冊そろえる勢いで買いためる。
そう考えると「バカの壁」は自分が日本に住んでいたとしたら自己に照らし合わせて読むと面白い本だよなぁ、でも今の環境に居るから第三者的に読み物として読んでしまうよなぁ、という感想であった。
もう一度読んでみた今回。
ちょうど情報を見聞きしたことがあるということと、経験しているということの混同にぐったりしていた時期だったので、今回の「バカの壁」、特に都市化の辺り、非常にすんなり「そうだよなぁ・・・・」と思うレベルに到った。
私は情報として得たものを記憶していくのが不得意なので、仕事でもない限り人に情報を与える(転送する)ということはほとんどない。自分が得た時点でバイアスがかかってしまうし、記憶力もそれほどよくないから情報量も激減する。数日経った私経由の「情報」はまず原型をとどめていないのをいつも実感している。
そうなると、外から「情報」をブロードキャストされるということに対しても、熱意を持てなくなってしまう。
自分が知りたいと思っている情報分野であれば飛びつくけれど、集まった皆が順番を取り合うようにしてどうでもいい(←というのは私の主観)情報をぶつけ合っているような会話は非常に苦手で、そういう場から逃げられなくなると大体タマシイを飛ばし、置物のように半笑いでうなずいていることが多い。
反対に、話の流れから自然に出てくる経験談は非常に面白い。その経験からの気づきを聞いてもあざとさを感じないし、素直に首を突っ込み、心からそうなのかと思える。
で、「バカの壁」に戻ると。
様々な形で繰り返されるはずの経験と気づきからは乖離した形で「情報を知っている」ことが賢い(常識を得て社会能力に長けている)と考えてしまうことの危うさが指摘されていたので、溜飲が下がった。とともに、自分自身も「情報は硬直していて人は変化をしていくもんだ」ということを忘れがちだったので、おお今読んどいてよかったな、やっぱり本てのは必要なとき出てくるもんだなと実感。
どうでもいいけど、養老さんの顔を茂木健一郎さんと間違えて想像しながら読んでいたので、読み終わって裏表紙を見てびっくりした。ちがうおじさんだった。
バカの壁 (新潮新書)/養老 孟司

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