こもれびの会は2017年(平成29年)9月に12名の有志で「こもれびの会」

  の名で発足しました。今年の9月で7歳になります。

 コロナウイルスの影響で中々アウトドアの開催は出来ない状況が続いていました。

 でも、昨年の3月21日カタクリの花を観賞に香嵐渓に出かけました。

 4月23日岐阜県郡上郡八幡へ芝桜の観賞に行きました。

 

 会の企画、運営は発足当時から伊藤代表が孤軍奮闘していました。でも、伊藤代表

  も高齢になり負担が大きいと感じるようになり、昨年からアウトドア担当を別の人

  に交代していました。今年の6月には伊藤代表は体調を崩されて療養生活を余儀な

  くするに至りました。

 

 伊藤代表が苦労され立ち上げた「こもれびの会」を存続する為、米坂和郎さんを

  2代目代表に選出し改めて船出をします事を報告します。

 

 事業内容

 アウトドアの開催 5月17日(金)浜名湖花博2024見学に行きました。

 月1回鶴舞図書館で例会。終了後太閤本店の送迎バスで昼食を楽しみます。

 会員さんから提案があればアウトドアの開催を予定します。

 

 会員の募集は随時します。

  連絡先 代表 米坂和郎 080-3532-2490

 

 台風の発生の声を聞く季節になりました。今年初めての強い台風1号が勢力を維持したまま北上しています。東海地方では28日から29日にかけて非常に強い雨が降り大雨に警戒が必要との報道があります。

 

令和6年6月例会

開催日時  令和6年6月2日(日)10時

開催場所  名古屋市市立鶴舞中央図書館 第一集会室

 

 配偶者を亡くした人達が、同じ体験を分かち合い自由に話しあえる場所になるようにと考えています。

 

 5月に入ってからですがスマートフォン、パソコン、Amebaアプリで「こもれびの会」のブログにアクセスして下さっている方、お名前は分かりませんがありがとうございます。

 

 5月下旬から6月は鶴舞公園ではハナショウブまつりが開催されています。公園の散策がてら図書館で開催しています。「こもれびの会」の例会にお立ち寄りください。「こもれびの会」では会費の撤収はしておりません。但し、例会後、希望者は送迎バスで「太閤本店」で昼食を楽しんでいます。その費用は個人負担です。

 

連絡先

 

080-3532-2490 米坂和郎

例会に参加される事前に連絡していただくと幸いです。

 昨夜は左腰部脊柱管狭窄症からの影響で左足が(こむら返り)しになって痛くて眠れなくテレビを付けました。

 

 BS朝日夜11時から~12時

 番組は「おひさま家族~色素性乾皮症を抱えて~」

太陽の紫外線を浴びると火傷のような水疱ができ、やがて皮膚がんが発生すという家族のドキュメンタリー番組でした。

 

 3人兄弟の真ん中の「りんくん」の話です。「りんくん」は外遊びが大好きで、外出する時は紫外線をカットする顔全体を覆う帽子を被り手袋をはめることが必要です。

 

 テレビ局が公園での取材の時「りんくん」のその姿を公園で遊んでいた子供たちが冷やかしている。その光景に泣く母親、父親が母親を慰める姿。傍にいた長男が「りんくん」の姿をみてふざけている子供たちと話し合う姿が映し出されていた。

 

 「りんくん」は週末には祖父母の家で過ごし、日差しの弱い朝夕の新聞配達の手伝いをする。父と母は一日何度も日焼け止めクリームを塗る。弟は「りんくん」にスプンで食事のお手伝いをする光景。兄は一生「りんくん」を支えると両親に伝えるが、色素性乾皮症は殆どが年齢を重ねるにつれ重度の神経障害が加わり、30歳になる頃には死に至る病気である。「りくくん」のことは両親が支えていくから長男には自分の道を進むように伝える姿には涙が止まりません。

 

 祖母は「りんくん」の言葉を書き残そうと本を自費出版した。

「りんくんとおひさまとしゃぼんだま」、「りんくんのうたの」の2冊です。

 

                  

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 私の母は90歳で亡くなっています。

 

 主人が亡き後、主人と私が勤めていた会社のご厚意で、私は引き続き再勤務することができました。私の幼い子ども達は近くに住んでいた妹に小学1年生の長女と3ヶ月の次女を預かってもらいました。

 

 長女は低学年の頃は学校の帰りに妹の家で過ごし私が仕事帰りに迎えに行く日々を過ごしていました。高学年になると学校から直接家に帰るようになりました。夏の間は良いのですが、冬はストープも付けないで私が次女を迎えに行って帰るまで寒い部屋で待っていました。

 

 まもなく、実家の両親と同居する話になりました。同じ町内なので長女は学校を変わることはありません。私も勤務していた会社に近く通勤には徒歩で行けるので助かりました。同居するようになって私が会社から帰るまでに父が次女を保育園に迎えに、母は食事や銀行、郵便局のことなどをやってくれていました。

 

 2007年(平成19年)1月13日私が寝る前に母の部屋を覗くと様子がおかしかったので救急車を要請し名古屋第一赤十字病院に救急搬送されました。担当医からは脳梗塞で今夜が山との説明がありました。そして翌日の1月14日息を引き取りました。

 

 母には私が60歳の定年後65歳まで嘱託で働くことができるのでそれまで助けてほしいと伝えていました。母はそれまでは無理だと言っていました。今改めて当時のことを思い起こして当時小さかった娘も今は結婚しており、「幸せに暮らしているよ」、「あの頃は本当に無理言ってごめんね。ありがとう。」と伝えたい気持ちでいっぱいです。

 

 昨年の7月頃までは一日おきに投稿していました。体調を崩してどうしてもパソコンの前に座ることができなくなりました。8月以降の投稿は徐々に減ってきました。

 

 今年1月1日、新年早々の能登半島地震に避難された方々をテレビで拝見しました。話は古くなりますが私の家族は2000年(平成12年)9月11日~12日にかけての東海豪雨で避難し、多くのボランティアの方にお世話になりました。今回の災害では、『能登地方の寒さは大変ですね』とブログに投稿したのが最後に長い間ブログをお休みしていました。

 

 その後、更新していない『こもれびの会』のブログに5月に入ってから多くの方がアクセスして下さっています。きっと「あまり更新していない、どうかしたのだろうか」と気にされているかと思い今日のブログは「ありがとう」を伝えたく更新しました。
 

新年早々の能登半島で震度7の地震。避難所には多くの人が詰めかけた。「正月で帰省客が多いこの時期に地震が起こるとは・・・」テレビに映る避難所は、毛布に包まって横になっている人、避難所の廊下の椅子に座る被災者の姿が映されています。

 

2000年(平成12年)9月11日から12日にかけて、日本付近に停滞していた秋雨が台風の影響を受けて「線状降水帯」が形成され、東海地方は記録的な豪雨に見舞われました。

 

豪雨を表現する言葉のひとつに、傘をさしても濡れるほどの強い雨を「土砂降りの雨」といわれますが、当時はそれよりも「バケツをひっくり返したような雨」で傘をさしてもずぶ濡れの状態でした。

 

 

自宅近くの排水ポンプ場の運転が停止した。ポンプで五条川に排水していた雨水は行き場を失いあっという間に道路が冠水した。それを見て足の悪い父親を早く避難させないと大変なことになると思い次女の運転で11日、夜10頃近くの小学校に避難しました。

 

小学校は受け入れ準備中で私達家族が一番乗りでした。始めは体育館に入りました。でも、時間が経つと体育館は浸水の恐れがあり2階の教室に移動しました。当時はまだボランティアさんがいないので次女が父をおんぶして2階の教室に移動しました。

 

避難してくる人が多くなると教室内は足の踏み場もない程混んできました。避難所になっている小学校の周りの道路が冠水しているので、食料の差し入れは12日の昼は

二人に1個のおにぎりだけになりました。

 

能登半島で避難所の様子をテレビで見ていると、東海豪雨で避難した時のことがフラッシュバックとしてよみがえってきます。

 

能登半島地震では200名を越す尊い命が失われています。また、住む家がなくなり途方に暮れている方もおられます。一日も早くふだんの平常な生活に戻られることを願っています。

 

私は東海豪雨で避難をした経験から寝袋と携帯トイレを常に用意しています。

 

 

 

後わずかで2023年も終わりです。今年5月8日から新型コロナウイルス感染症の位置づけは「2類相当」から「5類感染症」になりました。「師走」ということで

スパーマーケットには多くの家族連れで賑わっていました。

 

私の今年の1年はどんな年だったかな?と振り返ってみました。

「しんどかったこと」

10月に指の怪我と腰部脊柱管狭窄症で病院通いの日々でした。

 

「うれしかったこと」

11月21日、10年ぶりに以前同じ団体で活動していた知人からメールがありその後、時々連絡することになったこと

 

「楽しかったこと」

偶然知り合った3人の女性と日帰り旅行をしました。また、クリスマス会では盲目のピアニストの演奏に合わせて、若い頃に歌声喫茶で歌っていた歌を久しぶりに声を出して歌いました。ケーキとコーヒーを飲みながら楽しい1日を過ごしたこと

 

今年は10月から体調が悪くふさぎ込む日々でした。70歳半ばを過ぎ新しい友達と出会うことは難しいことです。でも素敵な3人組の女性との出会いがあって勇気をもらいました。2024年に向けて頑張ろうと思っています。

 

皆さんにとって新年が良い年になりますように。

10月30日草取り中に白いカエルを見つけました。

 

カエルは福がかえってくるという意味をもち縁起がいいとされていて、中でも白いカエルはとても珍しく『幸福の使者』とも言われています。

 

 

白いカエルは、「お金がカエル、福がカエル、無事カエル」など語呂合わせから縁起の良い生き物として昔から愛されてきたようです。

 

 

今日は白いカエルに申し訳ないことをしてしまいました。まさかカエルがいるとは知らずに草取りをしていると冬眠中のカエルの家にスコップで穴を開けてしまったのです。『カエルさんごめんね』といって眠っているカエルを元の位置に返して土をかけておきました。春には元気で冬眠から覚めてくれることを願っています。

12月3日例会で会員の息子さんが自転車で走行中に段差で転倒し意識を失ったという話が出た。幸い近くにいた人が救急車を呼んでくれて市民病院に搬送され、レントゲンとCT検査を行ったが異常がなく点滴も終わって家族に迎えに来てもらい帰宅できた。

 

当時はヘルメット着用していた。もしヘルメットを被っていなかったら点滴治療だけでは済まなかったかも知れないと本人が話していた。『皆さん自転車を乗る時はヘルメットを被って下さい』

 

4月1日から、改正道路交通法が施行され自転車の利用者のヘルメット着用が義務化されています。例会の時ヘルメット着用していますかと問いかけたところ保険には加入しているが、買い物で店内に入る時ヘルメットの置き場に困るとの意見がありました。多くの方が着用していないという返事でした。でも保険には入っているという方が多いので必要と思っているようです。

 

 

私もヘルメットを購入しました。でも、スパーマーケットの駐輪場に自転車のカゴに

ヘルメットを入れて買い物をしていると無くなったと言う話を聞いたので、110円でダイヤルロックを購入しました。

 

 

そして、ヘルメットを自転車のハンドルにダイヤルロックで固定し盗難防止をしています。

「こんにちは、○○です。わかりますか?

その後、お変わりなくお過ごしでしょうか?

○○さんもお元気でしょうか?」

これは10年ぶりに届いたAさんからのメールでした。

 

彼女とはある団体で5年程一緒に活動していましたが、彼女は体調不良で会を脱退しました。その後、時々電話連絡をしていましたが、時が経つとどちらともなく連絡の機会を失っていました。

 

とても懐かしく思い出されて電話をかけました。彼女は市営住宅で独り暮らしをしています。会を脱会後、脊柱管狭窄症で腰と首の手術をした。でも、痛みは解消しなくて痛い日が続いているとのことでした。治療には2週間おきにタクシーで通院している。家の中でも伝い歩きしているので、団地に住んでいるヘルパーさんの手助けで生活していることでした。養護老人ホームに申請はしたが今は空を待っているとのことでした。

 

そんな、話の中で実は私も腰部脊柱管狭窄症で整形外科に通院して10月20日から3本の注射と薬を3種類服用していると伝え共通の話題でどうしてこんな事になったんだろうと話は続きました。

 

彼女から同じ痛みがある二人なので時々近況報告しませんかとの提案がありました。

痛みのない方に話しても分かりません。でも、彼女であれば痛い痛いと愚痴を話しても分かってもらえるような気がするので時々電話することにしました。やっと私の痛みが分かる人に出会えたことで嬉しい日になりました。