もめんとの実生活におけるこれからの変動については、まとまり次第記すこととして。

今日は、信仰の分野の話題。

もめんとはキリスト教徒ではあるが、
なるべくリアルな感覚、リアルな言葉で語ってきたつもりだし、これからもそうしていく。


信仰とは実生活と切り離された現実逃避の場でもなければ、
自己陶酔の場でもないから。

そこをわきまえてないと、「イタい人」になってしまう。


しかし単にイタい人に見られたくないという自意識故に、
いまさら「神を信じないフリ」をすることもできない。


自分からはひけらかさず、
しかしたずねられたら堂々と、
をモットーにしたいと思う。


もめ母が、自身の兄の奥さん(義姉)の話に辟易したそうだ。

もめんとからすればオバだが、
オバはとある自己啓発団体に加入しており、それを長年やってきたから今豊かな暮らしができ、娘もいい結婚ができ…、と要するに自慢話を長々ともめ母にしたそうだ。


もめ母「ムカついたから言ってあげた。
´そうか~私は姉さんの宗教やってないからダメなのね、娘は嫁にいかないし、生活は大変だし!´。」


あはは。
黙ってられないんだよね、ウチの母は。


もめ母「ある宗教やってるから、なんでもラッキーですって、宗教ってそういうものかね!?」


違うね。
宗教やってるから、不幸な事は一切ないなんて言う奴は、絶対信用できねぇ!

金がたまる、
いい縁談がきた、
ガンが直っちゃった、
就職できた、


なんでそういう釣り文句に安々と引っかかるんだ?!


金がなかったら、
結婚できなかったら、
ガンになったら、
就職できなかったら、


人生終わりなのか?
宗教やってない報いなのか?


ふざけるな!!


どんなにどん底みたいな状況しかなくても、生きていかなきゃならんほどに人生は容赦なく、


その容赦ない人生の中にあっても、一筋の希望や勇気を見いだす為に、宗教がある。


宗教は常に悩み苦しむ人達の精神的支柱であるはずだ。


信仰を持ったから、全てがバラ色になんて決してならない。


ただ、
もがいても、文句を言っても、時に神にケンカ売っても、

最後にはなんていうかね、

生きてやろうみたいな「細くしぶとい希望」のゆえに、なんとか立ち上がれる。


これがもめんとにとっての信仰だ。


美辞麗句ばっかりいう奴は、
ワシゃキライだよ。


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私は1人



もめんとは、売り場を行きつ戻りつしたり、買うまでに時間をかけたりするので、人と一緒は無理です。

家族でショッピングセンターに行っても、
のちほど待ち合わせする場所と時間を決めたら、
あとは蜘蛛の子を散らしたようにそれぞれが単独行動です。

ショッピングセンターでは、もめんとは服屋さんはほとんど見ません。


お決まりのコースは、
おもちゃ屋で新作パズルのチェック。

本屋さんで新刊をチェック。

気に入ったものを買えたら、センター内のcafeに入って、家族が戻ってくるまで読書やパズルで遊んでくつろぐ。


あ~、久しくしてないな、そんな過ごし方。


以前cafeで娘達と、おもちゃ屋さんで買ったばかりのチェスを持ち込んで楽しんでたら、
ウェイトレスさんがニコニコしながら、
「どうぞごゆっくり!」と声をかけてくれた。


チェスってじつはとっても面白い!
洋風の将棋といえるかな。


ちなみに映画館や美術館などもひとりで行くのが好き。



とある方のサイトにて読んだ記事は興味深かった。

「反キリスト」の定義。
単純にキリスト教に反対する勢力のことかとずっと思っていたけど、
どうやら違う。


そしてもめんとの認識自体が変わりつつある。


「キリストがキライ」とか、
「キリスト教は信じない」とか、

そういう主張を持つ人たちを、敵対視するのは違うんじゃないかと。


そういう人たちは実は
「敵」ですら、ない。


本当の敵は、そういう人たちではない、ということがわかり始めたもめんとであることよ!


本当の「反キリスト」とは、巧妙に、自らがキリストに成り代わろうと企む者のことよ。


ナザレのイエスをキリストと認めない者のこと。

以前「キリスト教徒として」という記事でも書いたが、

ナザレのイエス以外の者を「再臨主」とする者。
また自らを「私は再臨のキリストである」と、名乗る者。


これこそが「反キリスト」なのである。

断言してもよいが、これらのことを言うものは十中八九新興宗教であり、
教祖が神のごとく祭り上げられているパターンで、
多額の献金を強いる団体であるということ。


イエス自身の言葉として、
「この世の終わりには、´私が預言者だ´とか、´私がキリストである´という者がたくさん現れるが、心を惑わされないようにしなさい」

というものがあるが、まさにこの言葉のとおりではないか。


そのような巧妙な者に惑わされた人たちは、被害者であるが、

誤った教えをそこから広めていくことで加害者になりうる。


最近、そんな被害者であり加害者である人を、本気で救おうとするひとりの牧師さんの存在を知った。


もめんとはその牧師さんのことを見守っていきたいと思う。