春は喜ばしくも切ない季節だ。
娘1は志望していた学校に落ちてしまった。


ずっと憧れ続けていた学校だったから、言葉にならぬ程ショックだった。

4月からは別の学校の高校生にはなるが、もしかしたら来年、志願した学校を再受験するかも知れない。


高校はただの通過点。


高校で浪人なんて普通しない。


大学で挽回すればいいじゃない。


ほとんどの人はそう言った。


だけど。


長い人生、どこで一年費やすかは、結局は本人の自由であり、

親がそれに賛同できる場合は背中を押してやるのみだ。


オットは娘1に言った。
高校の勉強もおろそかにせず、テストも手抜きせず一年やれ。


その頃になってもまだ第一志望高への思いが捨て切れないなら、その時は再受験を考慮してやる。

娘1には高校の勉強に加え、中学の勉強の総復習もするという生活がスタートする。


再受験をあきらめ、高校生活が楽しくなりそのまま続行するなら、それもよいだろう。


そのうち娘2の受験もやってくる。


高校受験ってたかが受験だけど、されど受験なんだよな。


高校の3年間は、もめんとにとって、ただの通過点ではなかったから。
大学へ行くためだけに費やされた日々ではなく、
宝物みたいに濃密な日々だったから。


だから娘1の気持ちがよくわかるんだ。
あきらめきれないなら、やればいい。


遠回りなんてどうってことないよ。


ずっと、教会に行っていなかった。

ココロがつらいならなおさら、行けばよいはずなのに。


日曜日の朝いつまでも、布団の中にいるのです。

今、礼拝が始まったなぁ、なんて思いながら。


このジレンマ、この矛盾、この割り切れないキモチ。

このかなしさ。


行きたいけど、行きたくないのです。


疲れているのです。


何もしたくない。


ココロが疲れきったこの有り様をどうしようかのう。


教会には行かなくても、イエスさまのことはいつもココロにある。


行きたいな、
行けるかな。


気力がほしいな。


そうですか、イエスさま。

イエスさまがそう言うんならしかたない。


人生、金ではないと、
ずっと豪語してきました。
そんな自分が好きでした。

でもただのたわごとですよ。

何不自由なく育ててもらってきたから、そんな鷹揚なロマンチシズムに浸ってこられましたよ。


しかしクリスチャンであるもめんとは、
今言いましょう。


人生、お金です。

とても大切なものです。
これなくしては、なにひとつできません。


本当にひもじい思いをした人だけが、
突き抜けた末に、

人生お金ではないと、
言える権利があるような気がしています。


今のもめんとはまだ突き抜けていません。


お金が欲しくてたまりません。


お金がないから、娘1は卒業したらクラスのみんなでディズニーランドにいく予定なのを断ったのです。


出来すぎな娘です。

お金なんとかしてよと言ったらいいじゃないか、せめて言うくらい。


恥ずかしながら、水道や電気が止まったこともありました。

どうしても期日までに払えなくて。


なんど頭を下げたのか。

生きます。
死ぬ気力もない。


ただ全身をひたす疲労感がぬぐえない。

まずはスタミナつけないと、
仕事を増やせない。


稼ぎはもめんとにかかっているのです。


オットが会社を守るのも、どんなに大変なことだろうね。

いっそ倒産して自己破産したほうが、
失うものは大きいけど、ラクになるともいえるのに。

でも自営の家に育ったオットは、涙をのんだりしたことも多々あったんだろう。


のほほんとやってきたもめんとなんかよりずっとね。


あ~ぁ、心から笑いたいなぁ。