町田ゼルビアの話 | 米の心

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町田ゼルビアと筑波大学の天皇杯の試合終了後の黒田監督の発言もあり、なかなかSNSでもその話題が尽きないようですね。まぁ黒田監督の発言であったり、意見書を提出したりといったところが火に油を注いだところはあるのかもしれません。

町田ゼルビアは普段からラフプレーが多いとも言われており、この試合でも最初の町田の選手のプレーが審判の線引きを分けたという声も出ているようです。

骨折などのけが人が多く出たことを黒田監督は批判していますが、けが人が出たプレーそのものは特段ラフプレーに走ったとは個人的には思えないので、それは結果としてそうであったというところに結局すぎないのかなとは思います。

まぁただ今回の問題は、それぞれの立場によるものがあり、それが大きく扱われるようになってしまったことが問題かもしれませんね。

まずは、ゼルビアの黒田監督について。彼の発言がブーメランかどうかはともかくとして、監督の立場として、あの段階で何かしらの行動に移す必要はあったのかと思います。

骨折者なども出ている中で、選手が何を求めるか、求めると指導者の立場で考えるか、その上で行動すべきはなんであるかということを考えた際、選手をかばい、そうなったことに対して疑問を投げるというのは一つの答えです。

これは、加えて選手をかばう行動でもあります。普段かラフプレーが多いなどと言われていますが、それもチームの戦術なのかもしれません。しかし、そのプレーをしたことに対して、チーム戦術であるならば責任者がどうであれ追うべきです。そのバッシングが特定の選手に向かうようであればその選手は、そのチームに、その監督に対しての忠誠心、指揮、信頼というのは失われてしまうでしょう。

そのようなプレーを求める監督であるからこそ、こういう時に矢面に立つというのは多かれ少なかれあったというわけです。

その上で、意見書を通すというのも、立場としてアピールをすることが目的だと言えます。

これは、多くのスポーツでもよく見られることですね。野球などでも審判所に監督が駆け寄るシーンというのは少なくありませんが、それは一種のチームの不利に、選手の不満に感じるプレーに対して、審判にアピールをしていると捉えてもらうことが重要です。監督の後日談みたいなもので、とりあえず駆け寄って、雑談して帰ったみたいなのはたまにあったりしますね。チームを勝利に導くために必要な行為としてアピールをしに行っているのであって、それが必ずしも本意からそうであるかという点は別だということです。

ちょっとした判定などであれば、ともかく、今回はそれがフェアプレーだったか悪質はファールであったかに限らず実害が結果として出てしまっている以上、チームのために監督は行動に出なければいけません。その結果、矢面に立つことになっても、そのリスクを負うのが指揮官の役割とも言えます。そうすることによって選手は落とし所を見つけますし、また批判の対象が監督にシフトするというわけです。

とはいえ、まぁ、発言としては余計な一言でもあったのかなという点もあります。

実際に自分たちがラフプレーを先にやったというのは事実としてあり、そこが線引きを難しくした側面はあるでしょうから、自業自得なところ、少なくとも相手だけが一方的に悪いというわけではないので、そこの言い方が強く、自分たちの主張をすればするほどに、ファンなどの心理を逆なでしてしまうわけです。

ましてやプロと大学のチームの試合。実力で言えばプロの方が格上と見るべきですし、相手はプロ相手にがむしゃらになるというのはわからなくもないところです。

その意味で言えば、発言以前に、プロでやっているプレーをこの天皇杯の大学生相手に持ち出したというところで、そもそもファン心理としては好ましいものではなく、そこに発言で油を注いだといった感じが強いのかもしれません。

スポーツにおいては段階において暗黙の了解というのはあるのかなと思います。例えば一定のレベル、技術に双方がないのであれば、高いレベルのゲームというのは期待するのが難しくなります。

F1のアロンソが今シーズンのレースで、ラッセルのクラッシュにおいて、ペナルティが発生したことがありました。その時のアロンソの発言が正しいかどうかはともかく、例えばF1のような猛スピードで一瞬の駆け引きがあるスポーツを想定した場合、その想定に耐えうる技術、反射神経、判断能力などがなければ、他の車とのクラッシュにつながるリスクがありますし、そこは一定水準の線引きがされるべきというのは確かな所でしょう。

ラフプレーといったものについてもそこは、それぞれの水準に合わせた線引きというのがあるものと言えます。例えば、最近では少年野球は盗塁が禁止であったり、スライディングが禁止とするケースもあるようです。牽制などの技術や捕手の肩の強さが十分ではない場合盗塁はし放題になりますし、スライディングも相手に怪我させるかもしれないというところからすれば、禁止するというのは選択肢にあると言えます。

単純にラフプレーにしても、レベルが上がれば上がるほど展開は早く、激しくなるため、その中でどこまでのラフプレーを許容するかという線引きが曖昧なままゲームに入ってしまったという点では、黒田監督の責任はあるのかなと思います。

それを、まさに開始直後のプレーで線引きしてしまったからです。その意味で言えば、やはりその辺りの配慮が足らなかったというのは自己責任の問題もあったのかなと思います。

また、構図としてみれば、プロとアマチュアの試合であり、かつ、ラフプレーが多いチームという印象を少なくとも一部のファンには持たれているという構図が状況を悪化させたようにも思います。

ただでさえ、この構図であれば判官贔屓ではないですが、筑波大学を応援する傾向というのは生まれやすい状況です。ラフプレーがすぐに出たのであればなおさらですし、ラフプレーの多いという印象は特に日本人などはアンチなどが生まれやすいといえます。

ましてや町田はJ1で1位のチームです。やっかみそのものも起きやすい状況というわけです。

その中で、そういう形で負けて、発言をしてしまえば、当然ファン心理としては筑波側をカバーする声が発生しやすくなります。

ネット状、SNSの情報は特に切り取られた情報になりますから、それだけのプレーを見ると、町田はいつもこんなラフプレーばっかしているのか、筑波との試合でも最初にしてたし、その上でそんな発言、意見書まで出すのか、リスペクトが足りないのではないかと発展していくわけです。

この辺りどこまで自分が背負いこむつもりでの発言かは、わかりませんが、結果として結局はそれがどこで治るのかというのが焦点になりそうです。そしてそれはこの後のJ1の試合においても影響するでしょう。

今は黒田監督が矛先ですが、もう少し話を広げると町田ゼルビア自身への矛先が向かっていると言えますし、そのことは選手もこれだけ話題になると完全にシャットダウンするというのは難しいでしょう。

アンチが多く生まれた状態では、勝利してもアンチをやますことができません。そういう中でプレーをするというのは選手にとっては非常に苦しいところが出てきてしまいます。ケースによっては個人を対象とした攻撃、バッシングも出てくるかもしれません。

リーグがその辺りうまくアプローチをして収めることができるのであればいいですが、レッズの時の采配などを見ても、ファン心理を抑え込むことが得意という印象はありません。

こうなってくるとどこかで自然に収まってくれるのを我慢強く待つのか、どうするのか、ネット社会なだけに落とし所をどう迎えるかがポイントになりそうです。

監督の立場として、発言をした、意見書を通したというのは一つ確かに必要な行動だったのかもしれません。しかし、ファンにとって自分都合に写り、相手へのリスペクトに欠けるところが見られる形だったというのが問題を大きくしています。

その意味で言えば、問題を収めるには黒田監督自身の今後の言動次第なのかなと思いますし、そこで相手へのリスペクトを感じさせる形へのシフトというのをしていかないのでれば、町田はアンチの多いヒールチームになるでしょうし、結局そこ次第なのかなと思いますね。