選挙の話 | 米の心

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来月に行われる都知事選ですが、早くも候補者に対して肯定的ではない声というのが上がっているようです。日本の同盟国であるアメリカの大統領選においても同じような声が聞こえてきますね。

バイデン大統領を評価する声というのはあまり大きくありません。これはパレスチナ問題からより若者を中心にバイデン離れの動きというのは出ていると言われています。

一方でトランプにしても、高く評価をしない、反対だという声は少なくありません。ブリームバーグが発表したリサーチ結果によると、バイデン、トランプ共に嫌いとする声は25%となっており、これは20年の同時期に比べて2倍になっているとのこと。

都知事選においても、なんで小池百合子を前回当選させたんだ、都民の責任は重いなどといった声を聞くことがあります。しかし、前回の際も、正直なところ他に有力な候補者がおらず、消去法的にそうなるというのはわからない選択ではなかったと言えます。

今回にしろ、小池さんに蓮舫に、安芸高田市でSNSでバズった石丸伸二など非常に癖が強い方が多く、誰が都知事になっても納得がいくという人はおそらくいないのではないでしょうか?アメリカの大統領候補どちらも嫌いではありませんが、有力候補として挙げられているお三方みんな嫌いであるという人は相応の数いるのかなという気もします。

都知事選や大統領選といった時だけではなく、現状として選挙においては消極的な選択を迫られることが多いです。

現在自民党の支持率は低下していますが、その自民党を覆すことができる野党は一体どこがあるでしょうか?といえば、どこも候補にならず、支持率が低くても自民党の現状が維持されるというのが正直一番可能性としては高いのではないかという印象を受けます。

どれだけ、支持をしていなくても、その状況を覆すことが難しいというのが今の政治なのです。

なぜ、その人を選んだのか、その政党を選んだのか?と言われても、正直言えば選んでないよというのが答えなのかもしれません。

投票率が低下していると言われていますが、それは一つの答えです。投票したい人がいなければ投票しません。よく若者の政治への関心の低下などという形で表現されることも多いですが、個人的には政治への関心の低下以前に、投票すべき人、政党がいないから投票しに行かないにすぎません。

その結果、投票することによってメリットを感じる人が投票し、それが反映されているにすぎず、それは望む結果を求める選択肢がないがゆえです。それによって、選ばれた候補は国民、市民によって選ばれた候補であり、そのマニュフェストはやるべきことなのかといえば個人的には疑問を感じます。

そして、それは負のスパイラルへと入っていきます。

選択肢がないから、選ばない、選ぶにしても消去法的である、結果、望ましくない政治家が残る、それは、さらに政治への関心を失わせ、国民と政治家との距離はどんどん広がっていくというわけです。

例えば、正直なところどれだけ優秀だと言われても、共産党から立候補した時点で果たしてその人を優秀な人材だと思うことができるでしょうか?

その選択肢をすることによって合理的な勝利を導き出せるのであれば、果たして優秀だと言えますが、共産党の考え方が自分に合う合わないは別にして、現状からしてその選択がベストである、と思えることはならないかと思います。

共産党を例にしましたが、現状としてどの野党でもそれほどの信頼性を勝ち得ることができず、自民党から議席を多く奪えるような体制ともなっていません。

いっそうのことyoutuerが徒党を組んで、新党を立ち上げて勢いで議席数を一気に奪うなどした方がはるかに、何かしらの変化があるのではないかと思えるほどです。

それほどまでに、変化を期待できない、そもそも候補者がいない中で、選挙に行かないから、政治に無関心なのが現状になったというのは道理が違い、そもそも、選択ミスと言えるほどの他の選択肢がないのですから、どうしようもないわけです。

これは、結局のところ、優れた人材が、政治家になりたいと思わないのが原因です。政治家になりたい人は政治家になることで自身にメリットがある人です。

それは、優れた人は現状に対して正しく理解し、判断ができるからです。

果たして、優れた人が今自分が政治家になり、それで本当に日本が変わっていくと思うでしょうか?

優れた人材なら、そもそも日本を変えていくのではなく、その能力を発揮でき場所で発揮すればよく、日本を選択しなければいいともなりますし、一人のカリスマがどうにかできるような政治はシステムでもありません。

議席の前ではどれだけ優れていても1つの席にすぎず、すでに徒党をそれぞれが組んでいる状態で、そこに変化をもたらせると考えるのは現実的ではないからです。

自民党を変えるために、自民党に入り、30年かけてトップに立ったところで、自民党の他の議員の賛同を集めるために、気を配らなければなりません。結果どれだけ優れていても個では政治は変えることができないわけです。

政治を変えることができないことは明白なわけですから、よほど本当に日本を変えたい、自分なら変えていけると思うような人でもない限り。その選択肢を選ぶことはありません。結果既得権益などがある人が政治家になるメリットがある人がそれを選択するということになります。

政治家というのが様々な人の憧れであり、そこに公平な競争が発生するのであればあるいはそうではないかもしれません。しかし、現状としては政治家になりたいという人がいて、その中から選択をするのであり、そこに必ずしも望ましい選択肢があるわけではない、むしろあることの方が少ないというのが現状なわけです。

ある種これは現在の選挙の欠陥ともいる話かなと思います。

まぁとはいえ、このような状況、循環になってしまった以上、そこから抜け出すということはよほどの何かでもない限りは起きないのかなと思いますね。