おにぎりの話 | 米の心

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最近はおにぎり専門店というのが増えてきましたね。ビジネス的に考えると、確かにおにぎり専門店というのは選択肢の一つになるかもしれません。おにぎりはそれほどに国民食ですし、近年はアニメなどの影響もあって外国の方からの認知度も高まっている食べ物の一つです。もともと携帯食ですから、店の中で必ずしも食べられるようにする必要がない、つまり、イートインスペースも必要がなく、調理場のスペースもおにぎりを作るだけであれば広く用意する必要がありません。場合によっては、そもそも調理場と店舗が同じところにある必要すらないとも言えます。

つまり、限られた土地活用で、人件費も抑えた中でテイクアウトの飲食店としての展開がしやすいというのは一つおにぎり専門店の大きなメリットとも言えます。

国民食のおにぎりですが、実はおにぎりのような食べ物は日本以外には多くないそうです。

米を食べる文化そのものは、アジア圏では広くありますし、米と小麦に年間消費量という意味で言えば、世界的に見て米が圧倒的に少ないということはありません。

しかし、米を携帯食として活用したのは日本以外には多くはありません。

そもそも、米を食べる文化圏の一つである中国においては、冷めた米を食べるという習慣があまりないそうです。改めて考えてみると、中華料理というと熱々なイメージを持っている方も多いかもしれませんね。五代中国の思想的に陰陽的なものがありますが、そういう思想からしても冷たいより温かいということの方が喜ばれるのかもしれません。

中国という土地柄からすると大陸文化であり、水は貴重であり、水より油をより使う調理方法がなどが多いというのも、冷たい米を食べない理由の一つかもしれませんね。動物性の脂は冷めると固まってしまい、そのままでは美味しくなくなりますし、その意味では中国料理の多くは温かくしてこそ、熱いからこそ美味しい食べ物として調理されるものが多いというわけです。

お隣の韓国、朝鮮半島においてはチュモクパフなどといった韓国風おにぎりとも言われる食べ物もありますが、こちらは最近になって見直されるようになった食べ物であり、貧乏食の印象が以前は強かったそうです。また中国や韓国などのおにぎりに似たような食べ物についても、米自身が主役というより、具材が主役ということも多いのだとか。

米というものについて考えると、おかきのようにしてしまえば保存がききますが、おにぎりといった食べ方で言えば、梅を入れたり様々な努力を日本ではしているもののそこまでそもそも日持ちをするものではありません。

冬場などであればともかく夏場などであれば、梅などを入れたとしても半日など以内に食べた方がいいかと思われます。

その意味で言えば、日持ちが必ずしも高くないおにぎりというのを携帯食として食べるというのは、保存食の観点からしても独特であり、日本人の米信仰の高さというのを感じる話かもしれません。

ちなみに、おにぎりの形と言えば三角という印象の方も多いかもしれませんが、おにぎりが三角になったのはコンビニエンスストアが出てからだそうです。それまでは丸型であったり俵形であったりと形は様々であったとか。

実際家のおにぎりなどだと三角ではない家もあったかと思いますし、最近ではおにぎらずといって握らないおにぎりも出てきていますね。

歴史的にみると、おそらくは丸型やタイコ型のような形が原型なのではないかなと思います。

一番簡単に作れる形である上に、そもそも弁当箱のようなものがないことを想定するとそういう形に落ち着きやすいからです。

兵士の携帯食であったり、農家の昼ごはんだったりにおにぎりを食べるといったときに、携帯味噌などはあったかもしれませんが、あとはせいぜい漬物があったくらいでおかずらしいおかずがあるわけではないでしょう。そうなるとおにぎりを何かで包んで持ち運ぶということになるので、自然とそういう形になるわけです。

俵形のようなおにぎりというのは、おそらくは弁当箱のようなものができてからの文化ではないかと思われます。弁当の中に収まりがいいとなると、長方形の形に収めるには、俵形で並べ、他におかずを入れるというのが収まりがいいからです。

弁当などに入れる場合であれば反対に三角形のおにぎりはそれほどおおくないかもしれません。弁当箱の形が長方形ですから60度の正三角形というのはスペースの使い方として収まりが良くないからです。

コンビニにより三角形のおにぎりが浸透したと言われていますが、これは、三角形にすることで鋭角になり、口にするところが食べやすく、持ち手の底辺はどっしりと持ちやすく安定し、転がりにくいというのが理由だそうです。

また、おそらくはコンビニのパッケージも理由の一つだと思います。3点から簡単にパッケージを外して新鮮なノリを味わえる仕組みですが、あれも三角形ならではですね。

丸であれば、海苔の収め方が難しいですし、頂点がないためにどこをどう引っ張ればいいのかという点が難しくなります。巻物などについては今でも米俵をくるくると回して、海苔のパッケージを外してと少し手間がかかる仕様になっているところからも、三角形というのはパリパリの海苔を楽におにぎりに巻くという上でも大きな意味のある形だったのだと思われます。

日本でコンビニが台頭して30年40年くらいでしょうか?全国的に本格的に広がったのは90年代後半くらいからかと思いますので、その意味で言えば三角のおにぎりの歴史というのはあまり長くないとも言えます。

さて、おにぎりについてですが、言って見れば手で握って語りを作るものです。

そのため、実はおにぎり誰が握ったのなら食べられるかといったところには意外と境が現れたりします。

コンビニなどのおにぎりであれば、機械的でしょうし、おそらく衛生的?だと思っている人も多いのか、こちらが受け付けないという人はあまりききません。そもそもコンビニのおにぎりがダメであれば、コンビニ食やスーパーの惣菜なども全般がダメという人に近いのかと思います。

では、他人が握ったものとなると、いくつかの区切りがあり、一つは、飲食店の大将などが握ったもの、もう一つは、親しい友人が握ったもの、あとは、家族が握ったものでしょうか?家族でも母親なら大丈夫だけど父親はダメという方もいらっしゃるかもしれません。

おにぎりの歴史で見ると、そもそも昭和から平成などにかけると、それを食べるシーンとしては、行事的な側面が強かったように思います。

例えば花見であったり、運動会であったり、行楽地にいったときなどです。あとは遠足などもあるかもしれません。

そしてそういうところに持っていくのは、母親であったり自分と親密な関係にある人が握ったお弁当、おにぎりであるわけです。つまり誰かが握ったおにぎりを食べるという行為そのものが自分と親しい人以外を食べる習慣というのはそれほど多くはなかったとも言えます。

おにぎりはおむすびとも言えます。人と人との縁を結ぶという言われ方もしますが、というよりは、縁がしっかり結ばれた関係だからこそ、他人の握ったおにぎりが食べられるといった方がもしかすれば近いのかもしれません。

しかし、コンビニのおにぎり以降はおにぎりを食べるという文化のあり方も変容していったと言えます。

その中の流れでこその、近年のおにぎり専門店なのかもしれません。

おにぎり専門店そのものはある程度昔からありましたが、近年ほど受け入れられていた感じではないというより、そもそも店舗数が少なかったですね。

しかしコンビニによりおにぎりがより身近に食べられるようになっていった中で、専門のようなあり方もより受け入れやすくなってきたというのがあるのもしれませんね。

改めておにぎり一つについて考えてもなかなかに面白いところがあるように感じますね。