熊の話 | 米の心

米の心

野球にサッカー、NBA、F1とスポーツ全般から、西洋や江戸、日本の歴史、経済、文化、社会や科学、時勢ネタその他種々雑多をただただとりとめもなくぼやくブログです。

熊による被害のニュースが連日続いていますね。以前であれば人が住んでいるところに熊が出没するということは少なかったそうですが、近年は増えてきているそうです。

ただ熊ということで話題になることが多いのですが、増えているのは熊だけではありません。然もそうですし、イノシシなどによる被害というのも増えているようです。では、なぜ増えているのかというところは複数の要因があるかなと思います。

なぜ人が住んでいるようなところにリスクがある中で出没するのか、それは自分たちが生きていく中で必要なエサなどが枯渇している、餌を求めてという側面があると言えます。では餌がなぜ足りないのか、それは山の環境が変わったのとそもそもの個体数が増えたというのがあるのかなと思います。

以前であれば里山とも言われたように人はより山の近くで生き、山の資源を糧に生きてきました。

それは、木ノ実といったものだけではなく、イノシシや鹿といった獣についても同様です。人が適度に山にはいることによって山の生命というのはある意味ではそこで間引かれ調整されていたというわです。そして間引くことによって里山として機能し、それが継続することによってその生態系というのが維持されていたというわけです。

またもっと言えば以前山にはイノシシや鹿などにとって脅威となるのは人間でけではありませんでした。山には狼がおり、狼の存在というのは山においては絶対的だったと言えます。日本ではニホンオオカミが絶滅してしまいましたが、一方でアメリカなどでは山の生物を調整するために他の地域から狼を導入し、成功したという例もあるようです。

そんな中人は山での生活を以前のように求めなくなり、里山はあれてしまうようになりました。またニホンオオカミが絶滅し、そもそもの猟師の数も減った中で、イノシシやシカにとって脅威となる存在が激減しました。それによって彼らの個体数は増加する環境になったわけですね。

市町村などは場合によってはその増えすぎた狩猟対象動物に対して農家や生活圏を守るために、駆除依頼を出すことも増えてきました。ジビエは基本的には狩猟時期は冬とされていますが、年中シカやイノシシといった肉が取れるのは、駆除依頼も発生するからですね。

しかし、この害獣駆除というのはあまり高いお金を報酬としてもらうことができません。高く買い取ってもらうことができないのであれば、猟師もリスクを負ってやるわけですから金にならない仕事を受け続けることは当然できないわけです。猟師の数が減っているのであればなおのことですね。

その上で勃発したのがウクライナ侵攻です。

ウクライナ侵攻により弾の値段は高騰します。弾は海外からの輸入に頼っていたからです。国内メーカーもあるそうですが高いとのこと。

これによって駆除がますます困難になりました。駆除して報酬をもらってもそれよりも高い弾となり、出れば出るほどに赤字になるからです。結果、駆除を引き受ける猟師も減るということにつながっていくわけです。

更に言えば、イノシシが増えたことの要員としてあげられるのが、豚インフルエンザの問題です。

豚インフルエンザは本来それが人に感染することはないと言われています。豚肉は加熱処理して食べるものですし、ジビエ肉も生で食べるなどということはご法度です。しかし、そうは言っても、流通には影響が出ます。豚インフルエンザが満映した結果、イノシシを狩猟対象としてとることはビジネスとして成立しなくなっていったわけです。

豚インフルエンザはイノシシや豚の糞からも感染が広がりますので、そうして豚インフルエンザの観戦域はどんどん拡大していき、ますます猟師にとってイノシシを狩猟するのが難しい地域が広がっていくということになりました。

結果、イノシシを以前以上に猟師が撮らなくなり、イノシシの個体数というのが増大していくということにつながっていくわけです。

イノシシや鹿、熊といった生き物はそれぞれ雑食な側面がありますが、基本的にはどんぐりであったりといったものを食べたりしますが、山は有限であり、一方で個体数が増大すれば、他の動物においても餌が足りなくなります。

イノシシの餌が足りなくなったということは、すなわち、鹿や熊にも影響するということであり、狩猟しなくなり、狼もいなくなった山において、イノシシや鹿の個体数が増えているというのは、餌の取り合いがより激化するということにつながるわけです。

もちろん、それに今年の異常気象などの影響もあるかもしれません。そもそも気象などにより例年よりどんぐりなどの森の幸が少なければ、増加した個体数をその山では維持することが不可能になるわけです。

そうすると、野生の生き物は食べ物を求めて人里に降りるという選択をする機会もまた増えるというわけです。

基本的には多くの動物はそれぞれのテリトリー、生活範囲があり、そこから出るという選択肢は積極的にしません。他の地域出で新たな餌が見つかるとは限りませんし、そこには別のリスクがある可能性があるからです。自分たちの今まで生活してきた中で生活できるのであれば無理にリスクを負う必要がないわけです。

人間も熊が怖いが、熊も人間が怖いと言います。実際熊にとって人間というのは遭遇する確率が基本的にない未知なものですし、それがゆえに怖いと思うののは当然のことです。しかし、そういうリスクがあってまでも人里に降りるというのはそれ相応の理由があるというわけです。

熊の被害が増えることに対して、熊を処分するのがかわいそうであるかどうかは個人的にはわかりませんが、こうして考えると根本的な問題として、山が以前の状態ではなく、その中でそれぞれが個体数が増え、個体数を減らす要因になるものが現象している中で、それを維持できなくなってきているというのが事実なのかなと思います。

そう考えると山に追い返そうとそもそもそれでどうにかできる話では当然なく、それは先延ばしに問題をしているにすぎません。

山の状態という話で言えばいくつかの問題は考え方で対応できものもあるでしょう。例えば豚インフルエンザとイノシシの問題などはそれによって流通が正常に戻せるのであれば、イノシシの個体数は今よりは減る可能性がありますし、それはその他の動物の個体数、生活域というところにも影響を及ぼす可能性があります。というよりは、イノシシであれ鹿であれ、限られた資源の中で増えすぎたと解釈されるのであれば間引くための何かは絶対的に必要となるわけです。

もちろん、人里にイノシシなどがおりてきてその被害があってもその中で共生するという道を取るというのであればそれもかまいませんが、そうするのであればそうするでそれ相応の環境づくりが求められるでしょう。

熊が人里に降りる機会が増えたというのは、その増加は単純にそれだけを意味するのではなく山が以前とは異なる状況になっているということを示しているのであり、その中で人里を守るというのであれば、そこで間引くための動きというのが発生するのは人のエゴなのか、人の生活を守るためなのか、すくなくともそれはその当事者の問題という側面が大きく、外部からどうのいうのであれば対策を示せという話なのかなという気も個人的にはしますね。