白鵬引退後の大相撲 | 米の心

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先日行われた大相撲秋場所を制したのは貴景勝、自身4度目の優勝となりました。一方で11勝4敗とい中での優勝であったこと、大関らしからぬ取り組みだったということで批判の声も上がっているようです。優勝決定戦の取り組み相手となった熱海富士が歴代最速で優勝するのではないかと言われていた中での取り組みだっただけに、大関らしいどっぷりとした相撲を見せて欲しかったという声が大きいようです。

まぁ貴景勝に関してはこれまでもそういう取り組みをしている大関ですし、今の時代の人に大関らしさというのを求めるのも時代の流れとして難しいものがあるのかもしれません。それこそ朝青龍や白鵬の時代はその強さというのは圧倒的でしたが、相撲のマナーが悪いということでしばしば批判などもありましたので。

通常であれば次の取り組みで優勝すれば、貴景勝は横綱にという話も出てきそうですが、このあたりは色々と思惑が絡んできそうですね。

現在の照ノ富士の状況を考え、また日本人力士の横綱という存在を考えると、貴景勝を横綱にしたいというのは当然にあるのかと思います。

ただ一方で、今場所は優勝決定戦での取り組み内容に11勝4敗での優勝だったということを考えると、混戦を制したのは立派とはいえ、次に綱取りとなるとそれ相応の相撲を求められる可能性はあるように思いますね。単純に優勝を求めるだけではなく、その優勝の内容も相応でなければならないとなりそうな気もします。

特に日本人横綱の存在は大相撲協会からすれば喉に手が出るほどに欲しいかもしれませんが、慎重になる必要性というのも生まれているのは確かです。

白鵬や朝青龍は長く横綱としても活躍しましたが、稀勢の里は横綱になった後は怪我に悩まされ、休場が続いてしまいました。横綱の場合は降格がないがゆえに、出場もせずにその在位に続けけられるというのは好ましい状態ではありません。また、取り組みをするならするで相応の結果というのを求めたいということになるかと思います。

横綱をなぜ求めるのかというのは、横綱の存在が大相撲そのものをやはり盛り上げる顔役であるからです。顔役を勤め上げるということはすなわち、相応に相撲を取ってもらわなければ意味がないというところがあります。

結局今場所が混戦だと言われていたのも、大本命に本来なるはずの横綱照ノ富士が全休となった側面は大きくあるかと思います。過去を見ても、白鵬の一人横綱時代は白鵬が休場となるとあれた場所になりやすく、平幕優勝などもあった記憶があります。横綱が横綱としての存在を見せつけるという意味合いにおいて、怪我などでの休場は仕方なしという側面はある一方で、やはり出て、そしてその強さというのを発揮してこそなんぼという話だと私は思っています。

その意味では心技体なんてことを言いますが、それ以前に勝つということが横綱の第一条件と私は見ていますし、勝つためにはまず出場することが大事とも考えています。

心技体の心に武士道の精神のようなものを求める人もいますが、心が揃わなければというのは、単純に多少の怪我があっても、出るその精神力の強さというのもまた表しているのではないでしょうか。

その意味で言えば変化で優勝をしたともされる貴景勝ですが、正直なところ相撲のスタイル的にも横綱として在位して結果を残せる水準になっているかは疑問ではあります。そもそもの相撲のスタイル的に突き相撲ですから四つになられると厳しいところがありますし、怪我のリスクやスタミナの問題、長期戦への対応力などは課題だと言えます。

よって自分の相撲を突き進めることができれば勝てるけど、そうではなければ勝てないことも多く、ゆえに安定して勝ち続けるタイプとは言いづらい印象ですね。ゆえに、例え2場所連続優勝があってもそれを理由に横綱にするには大相撲協会側にとってもリスクの高い選択になってしまう可能性があるように思います。

大関になった後をみてもカド番も多く、8-7でどうにか勝ち越しというのも多いですから、これを横綱でやられると正直なところどうだろうとなるように思います。出場するからには横綱は最低10-5、で優勝争いが基本で12-3前後というのは求められる数字ではないかというところを考えると、大関になった後の成績を見ても、ちょっと物足りないものがあります。

その中で成長し、というところを見せつけているのであればともかく、優勝したけど11-4、変化によるとなれば安易な判断はしづらいのではないでしょうか?

改めて、こうして考えると、朝青龍からのモンゴル人力士の全盛期時代というのは憎まれもしていましたが、ある程度その責務を果たしていたという側面は評価すべきなのではないかなと思いますね。

様々な形で引退となりましたが、朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜、後半になるにつれて高齢化や怪我もあり、横綱として出場しないケースも増えてきていましたが、誰かが横綱としての役割を全うしていたことによって意外な優勝というのが少なかったように思います。

実際朝青龍が横綱になり、白鵬が優勝するまでの間で、他に優勝したのは大関の千代大海が1回、魁皇が2回、栃東が2回あるのみ。その後朝青龍と白鵬時代になると、その両横綱のどちらかが優勝するのがほとんどであり、00年代両横綱体制でその他に優勝したのは、日馬富士と琴欧洲が1回ずつあるのみとなっています。

10年代になると、今度は朝青龍が引退させられたことによって、白鵬の時代から、白鵬と日馬富士の時代、鶴竜の時代へと変化していきます。

鶴竜が横綱に昇進するまでの間、他に優勝したのは、把瑠都が1回、旭天鵬が1回あるのみ、その後、白鵬鶴竜体制になってからは怪我での出場しない両横綱が怪我などで出場しないケースも増え、徐々に日本人力士の優勝なども増えてきます。

ただとは言え10年代後半で見ても見ても横綱以外の優勝が半分を超えるようになるのは、2018年以降となります。

20年代になると鶴竜や白鵬の休場も増え、21年には鶴竜が引退となりますから、本格的な世代交代時代となります。そしてその時代白鵬が引退をし、次の時代の横綱となったのが照ノ富士です。

照ノ富士に関しては、実力は横綱として全く問題がないというのは多くの人は思われているかもしれませんが、それとともにやはりあの肉体がゆえの怪我の多さというのもあるのは確かなところですね。

また一人横綱時代となって絵しまったがゆえに、照ノ富士が休場となると途端に混戦模様になってしまう傾向があるように思われます。

実際のところ00年代でみてみますと、3役と横綱以外での優勝は一人も出ておらず、10年代で、前頭7枚目からの優勝の旭天鵬、3枚目からの栃ノ心、8枚目からの浅間山と3名の平幕優勝が生まれ、20年代になると、まだ23年にも関わらず、6名の平幕優勝が誕生しています。

照ノ富士の怪我からの復帰後の優勝の平幕優勝は別としてそのほかの力士に関して言えば、その後も十分な相撲を取れているかという点は疑問であり、抜けた実力者という印象では正直なところありません。

ゆえに照ノ富士がいなければ、相撲の水準が下がり、誰が優勝してもおかしくないような状況となってしまっているわけです。

こうしてみると、長く相撲を支え、結果を出していたという点ではモンゴル人力士の横綱をもっと評価すべきかと思いますが、それとともにそれがいなくなった後、同じくモンゴル人力士とは言え一人横綱、肉体への負担の大きい照ノ富士の時代となり、その横綱の責務を示すのが難しくなってきているように感じます。

だからこそ、照ノ富士の負担を軽くするためにも横綱の存在というのはもう一人本来ならば欲しいところですが、この混戦の中で安定して結果を出せるほどの実力がなければ横綱にしても意味がないともいうことができます。

落合が平幕入りをものすごい勢いでし、今回優勝争いをした熱海富士のように若い世代がどんどん出てきているのかなという印象もあるのは確かなところです。

それを考えると、照ノ富士にも申し訳ないけれど、若い世代が芽を出し、次の時代を築き上げるまで我慢してもらうというのが正直なところいいのではないかなと思います。

曙や武蔵丸、貴乃花などがいた時代からモンゴル人力士時代へと強い横綱がどんどん出てきて、あまりにもうまく世代交代ができ、そして長く活躍できる横綱が続いてしまいました。それがいつでもできるわけではないからこそ、時代の変わり目というのをまた感じるのかもしれません。