少年野球の盗塁規制の動き | 米の心

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昨日の高野連の金属バットの話に続いてですが、少年野球における盗塁を規制しようとする動きがあるようです。

全日本軟式野球連盟の宗像豊巳専務理事は今年1月、「野球肘障害を減らすため、さらなるルールの改定(案)」を発表しし、『盗塁数規制 (1試合3〜5回)、パスボールでの進塁なし』という項目があったとのことです。

確かにレベルの低い水準でいってしまえば、盗塁を認めるということは非常にその試合を大味なものにしてしまいがちです。肩ができていない子供が捕手をしていればランナーが出れば即盗塁なんてシーンはしばしばみられる光景ですね。まぁこれは草野球などでも同様のことが言えます。

盗塁を刺すこともできないのに捕手がランナーを刺そうとすることで肩や肘を痛めることが多いという意見もあるようで、捕手の健康障害は投手に次ぐ数とも言われています。

まぁただ個人的にはそれが盗塁を原因とするものであるかはぶっちゃけ疑わしいと思っています。確かに肩や肘が未発達の状態での酷使は捕手の健康障害の原因であるかもしれません。しかしそれは、ぶっちゃけランナーを刺そうとすることが理由とは限らないように思います。

例えば返球の数というのは捕手が圧倒的に多く、捕手はボールに触れる数でいえばその時点で投手に次ぐ2位であるはずです。そして、それだけボールに触れる機会があればそれだけボールを投げる機会もあるということができます。

また、そもそも肩が十分にできていない状態、特に年少時においてではランナーを刺そうという行為を勝利至上主義の少年野球において行うかといえば基本的には刺せないのにボールを投げさせるということをしない教育をしているはずです。

ボールを投げれば、暴投するかもしれない、味方が守備でエラーをするかもしれない、エラが絡めばその時点で失点につながります。刺せないことがわかっている状態で2塁にボールを投げさせるということは通常しないのです。

ランナーが1、3塁などのシーンであれば、もはや鉄板の1塁ランナー盗塁からのディレイでの3塁ランナーのホームスチール狙いなんて定番の戦術ですから余計投げるということはしないような練習をします。投げたふりをして3塁ランナーを飛び出させるなどですね。

そういった意味で言えば、規制の理由として野球肘の障害を減らすためのルール改定と盗塁数の規制が直結するかは個人的には他にメスを入れるべきところはいくらでもあるように思います。

それこそ盗塁がダメなのであれば、セーフティバントの方がよほどダメな気がしますね。レベルの高くない少年野球であれば守備位置次第では転がす方向さえ間違わなければ俊足のバッターはほぼセーフティーで内野安打を獲得できます。また内野安打のシーンであれば、捕手も投手も1塁に投げてしまうことは少なくないです。よほど際どいところに転がさなければ、全く間に合いそうなタイミングでも距離でもないからです。

勝利至上主義の少年野球において問題視すべきなのはバントなどを少年の意思ではなくさせることにあるのではないでしょうか?

逆に言えば盗塁についても少年たちが自分たちの自発的な判断でどうするかを考えればいいだけの話なのではと思います。

盗塁ありきの野球だからこその醍醐味があり、個性の活かし方があります。私なんかは割とランナーになって盗塁の駆け引きなどをするのは子供の頃から楽しいと思う方でしたから、そういうことが一方的に規制によって失われる状態というのを好ましいとは思えないところがあります。そういうところあっての野球だからです。

子供を守るための規制、確かにそうなのですが、子供が楽しく野球をするためにはどうすればいいのかという点もやはり考えた上での施策であるべきだと言えます。

以前他でも記述しましたが規制は非常に楽な選択手段ではあるもののそれは物事を覆い隠すだけであり根本的な解決につながることがありません。

以前どこだかで教員による性犯罪などがあったためにスマホの職員室がからの持ち出しを禁止するなんてことを始めようとしていましたが、それは確かにスマホによる被害は減らせるかもしれませんが、教員の性犯罪者(未遂)が身近にいる状態を継続することにすらなりかねないものであるといえます。

今回の問題についても根底にあるのは指導者の指導力や知識不足、わけのわからない勝利至上主義が根底にあるのが問題でしかないのです。スポーツを楽しむことが根底にある中で、では果たして選手が永遠と盗塁と内野安打を繰り返すような試合をするのであれば、それは逆にその時点で教育をすべき話です。

(まぁとはいえ指導者への問題の修正はすぐにはできる話ではなく、なので結局は規制に頼ってしまい、それで終わってしまうということがしばしば日本の場合はあるのですが。)

昨日の金属バットの話もそうなのですが、この話はスポーツを楽しむということを今一度考える話なのかもしれませんね。チームスポーツ、相手があるスポーツ、そしてルールが複雑である野球というものをどう捉えているのかという視点を持つべき話のように思います。