コロナ禍の休校後、かなり増えた不登校
私の周りでも子供が不登校で、、という話しをチラホラ聞く
今は「子供が学校に行きたくないと言うなら無理に行かせない方がいい」が主流
「無理に行かせて自殺でもしたら元も子もない。学校なんて行かなくてもいいんだよ」という意見をよく聞く
確かに自殺などしてしまったらそれより悪いことはないでしょう
でも、「嫌なら無理に行くことない」という決断の際に将来的に大きなリスクになり得ることも考える必要はあると思う
いまや、社会人のメンタル病休者もうなぎ登り
「嫌なら行かなくてもいい」がいつまで通用するのかという現実と自分の将来の展望にリスクがあり得ることを想定して選ぶことは大切だなぁと
逃げることも必要だけど逃げて逃げて他責的になり、「就職氷河期に生まれたから~」「岸田のせいで~」「非課税世帯にどんどん給付して~」「金持ちからどんどん税金取り所得が低い人間を守れ~」と言い続ける人にはなって欲しくないなと
逃げてもいいし逃げる必要がある時もある
でも、逃げれば上手くいくとは限らない
逃げても逃げなくても双方にリスクはある
そのリスクを想定しながら人生を選択することが大切だなと
「こんなはずじゃなかった」とか「私は悪い事なんてしてないのに」
それはそうなのだろうけど、自分より努力して自分より能力がある人が世の中にはたくさんいるという当たり前のこと
逃げたらその代わり何を受け入れるのか、どんな努力をするのかという覚悟が必要だと
何となく逃げてしまえば、いつかきっと他責的になるか自分に2倍3倍にかえってくると思う
選択する時に「双方の最悪のリスクを想定」「自分の人生だという覚悟をする」のは常に意識してはいるつもり
今の権利社会の子供たちにも「覚悟」と「責任」をしっかり説明してから権利主張をするよう伝えたいな
小さい頃から権利主張だけ教えられても、先細り日本で困るのは子供たち
双方のリスクを説明して選ばせていく
もちろん、未熟が故に大人のアドバイスは必須ですが
昨今の親ガチャとかもそうですが、そうだとしても自分の人生どう生き抜くのか?自分の人生だよ?今の現状から考えよう!
嘆くのは必要だし吐き出せばいいけど
言ってるだけじゃ結局負け犬と同義になる
同情するのは簡単だけど「嘆いたら頑張ろうぜ!」
という気がしてしまう
「あなたはそうじゃないからそんなことが言える」と言うかもしれないけど他人のことなど皆分からない
「あなたも私のこと分からないからね」というところ
他人の良い面ばかり見て羨ましがらず、自分も努力しよう!
主張するなら自分に出来ることを最低限頑張ろう
何となく流されるなとは言わないけれど
流される期間は短いほうがいい
自分の現状に納得しその範囲で満足することも大切だなぁとつくづく
私はもっと楽観的になってもいいとよく言われますが、楽観的になりたいけど未熟過ぎていつも頑張らなきゃと思ってるだけ
世の中、出来る人がたくさんいるから少しでも吸収して生きたいな!!