国主党 | tatuのブログ

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 国主党  

民主主義も国家のお金も
マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドと
フリーメーソンによって作られた 

以下の彼らの主張は本当である
近代から現代は彼らによって作られ
思いやりをも持てない領主と奴隷の経済から
脱出できたのは彼らの魔法のアイデア「信用創造」
があったからである

我々は「自由・平等・博愛」という言葉を大衆に
教え込んだ最初の民族である

【ゴイム
(ユダヤ人以外はユダヤ人に奉仕するための家畜である)
自然発生的で世襲的な
貴族社会の廃墟の上に我々は
(かねによる貴族社会を作り上げた

彼らは【世襲的な貴族社会の廃墟の上に(かね)による貴族社会を作り上げた】のだった。この「金(かね)による支配」を熱狂的に受け入れた社会は、それを民主主義と呼び、それに勝るアイデアを創造できなかったし、彼らによるマスメディアの独裁を阻止するいかなる手段もなかった。


そもそもマスメディアが独占されているという感覚すら、古代から連綿と続く商道徳に照らして持てなかった。しかしつい最近マスメディアの対極にあるネットという新メディアの発達によって「信用創造」が暴露されたのだった。その衝撃的な内容を理解するのに少しの時間を必要としたのは誰でも同じだろう。

借り手の希望に合わせて天文学的なマネーを自在に作れる。というこのアイデアは理解してしまえば、実に簡単なものでもある。要するに中身が空っぽだから、ホラはいくらでも吹けるし、そのホラの中身が「信用創造」なのであり、それは利用者が信用している間は価値を持ち、社会に流通するのだ。

それはあくまでも「信用されている間」だけのことである。その銀行がつくホラ話を国家が補償することで、銀行家と国家の補完関係が成り立つ。

明治政府が中央銀行を必要としたのも、この信用問題であり政府が勝手に作る国家紙幣よりも、国家の造幣権を信頼できる民間に委託するほうが政治家の横暴を阻止できるし、適切な運用ができると考えたからである。

このような銀行の信用創造をいち早く理解していたのが、小栗上野介でありその屋敷の出入り業者だった文字解さない三野村利左衛門(利助)だった。小栗上野介の薫陶を受けた利左衛門は小判の改鋳で大儲けし、その情報を三井呉服店にも漏らし三井呉服店の救世主となった。以降利助改め三野村利左衛門となって三井の大改革を行い、日本初の銀行業を興した。

文字を解さない利左衛門が、銀行の信用創造を深く理解していたという現実は、小栗上野介の知識を吸い取るように理解した図抜けた才能を持っていたということでもある。


同じように金融を理解していたと思われるのが、岩崎弥太郎である。いつ果てるとも知れない海の競争を利左衛門と繰り広げていた弥太郎。敵(三井)の情報は全て理解していたのだろう。日本銀行の創立者、松方正義の妻女は弥太郎の娘である。


無駄を作り続けあらゆる物資を破壊し、大きな需要を作り続ける事が経済を成長させるという、人間の理性と逆立ちした。借金によって作り上げられる経済が「借金を支配する者」たちにしか利を生まないという事実がある。

しかし信用創造の歴史も500年を超え、すでに古くさくなり「終わりの時期を迎えている」と私は信じている。

信用創造というマジックで嘘のように簡単に作られる借金この借金の製造は法律によって銀行にだけ認められておりそれが中央銀行で製造されるお金である。

「金(かね)の貴族」によって世界中が支配されている現在、事情を理解できない国民に「新貴族」の都合を代理人(政治家・法律家・マスコミ)を通して国民に命じている。


「金の貴族」たちの最高の発明品である「信用創造」という「借金によって作られるお金」は借金が無くなればお金もまた銀行から無くなります。すなわち国家予算は「金貴族」の権力維持のために借金=国債によって組まれ、その利子は貴族たちが仲間内で繰り広げる博打(アジア危機・リーマンショック・9.11・戦争等)に注ぎ込む元金となり、その投機の失敗を取り戻すために【ゴイム(銀行に奉仕する国民)】の労働が必要である。


民主主義にサヨウナラ
私は彼らが作った有り難い民主主義を捨てて、国民自身が国の主となる国主党の党員になりたい。国民の幸せよりも自分のお金儲けが大切な国民の代表たちにはウンザリしている

「金の貴族」の忠実な僕である国民の代表を根絶やしにするために、国主による最後の選挙が必要だと思っている。

国主党には代表が存在し得ない全ての決定権は国主にあり政治家にはない政治家はただ国の指針を語る指導者の1人に過ぎず、そこには国家を左右する決定権はない。すべての決定権は国主の最大の権利であり、それをお金欲しさに他人に売り渡す民主主義は「金の貴族」の買収工作に無抵抗であり、簡単に政治家を買収する力をもつ。


現在あらゆる国家を乗っ取っている「金の貴族」は、国主の権利を警察や軍隊で蹴散らすかも知れないが、警官や自衛官も役所の職員も国主である。

国主であるからには「私的な銀行が製造する銀行券」よりも国家紙幣を国主の生活費として支持し、人間としての道徳の規範に従って、百数十年前の封建領主のような自己が最善の正義であり法とする「金貴族」たちの言い分を、国主の相互理解の中に封じ込めるだろう。

国主の生涯の生活費を保証する国家紙幣と、それを担保する「必要を満たす生産力」は、国主の仕事が生み出す生産総量にリンクし、国主の総需要に均衡する時に、必要以上の物は作らず必要以上のサービスもせず、他人を支配するために磨かれ続けてきたアイデアの信用創造
から開放されるだろう

人は消費する動物でありモノを産む生き物である。だが「金の貴族」の経済は人を「消費する動物」とし、貸し金によって人心を支配するものである。国主はこの銀行の策略である借金をしてはならない。そして銀行から借金しなくても十分な生活ができる仕組みを、国家紙幣で国家の政策として作るべきなのだ。




現状から

現在産業ロボットとコンピュータ技術がすでに、企業の利益という一点のために、社会の必要を上回って発達し、情報技術もまた言論界の思惑を超えて発達した。その合理化によって生まれた余剰な労働力には価値がないとされ、労働はサービス業への転出を余儀なくされ、わずか1~2時間ごとに切り売りされている。

我々は今「金貴族」が支配する銀行経済が最後に行き着く終点に住んでいる。管理を嫌いより自由な金儲けを唯一無二の物として、金融資本による新自由主義経済を選択している現在。

さらに彼らは国家の法を凌駕する絶大な力を持ちたい。企業と銀行による人間支配がTPPの本質であり、日本国から生産設備を奪い取り、他国の農産品が安いからと、自国農業の自殺を推進し自国をただ消費するだけの国家へといざなう頭が狂った政治家が跋扈し、物が安かったら助かると働く場を失った
国民がそれを追随するこれは亡国の形である。



我々は正しく物作りを進めなければならない。消費よりも生産が重要視され金儲けよりも、社会が必要に満たされる事を大切な国家目的としなければ、国家は自滅するだろう。

ゆえに国民に寄生する銀行経済に決別し、国民は国主として蛹から羽化して国主経済に移行する決意をし、国家紙幣の発行を許し「金貴族」の象徴である銀行券は二流通貨とせねばならない。

国主の生活に必要なほとんどの生産財は個人ではなく、国主全体の所有物になり国主の合理的な生産手段を脅かす私有物がもしあるのならば、多額の国税が国主の同意によって課せられるだろう

リンカーンとケネディが暗殺された国家紙幣の発行「金貴族」から一切の権力を奪い取る国家紙幣。

しかし「金貴族」の力が代理人である政治家・法律家・官僚・警察キャリア・防衛トップ・CIAの巣窟である罪を捏造する東京地方検察庁特別捜査部とマスコミ。といったごく一部の組織中枢に集中しています

これらの良心と国をお金で売り渡した国家の幹部を、徹底して監視する多くの目が必要であり、始めから敵が特定されている戦いでは1万倍以上もの数を占める利益共有者の力を封印する事はできないだろう。

アムシェル・ロスチャイルドによって封印された国家紙幣の発行と、その管理を国主の手に戻すのが国主党の最大の良心である。