続きです。
千代さんと
北原武夫さんとの
結婚生活は25年になる。
一番長い結婚生活でしたね。
離婚したとき、
千代さんは67才、
北原さんは57才だった。
千代さんは、
98才まで生きぬく。
だからね、
もちろん北原さんのあとも、
千代さんの冒険はつづく。
わたしが一番最初に
千代さんのことをしったのは、
中村天風 (なかむらてんぷう)さん
との対談本だった。
千代さんは忙しくて、
ペンをもてなくなって
18年もたっていた。
" 物質的生活まみれ "
で創作どころじゃなかった
んですね。
でも天風さんに会い、
天風会にはいり、
ふたたび
" 心が積極的になり"
書くことができるようになった。
千代さんは、
北原さんとともに雑誌
「スタイル」
で大儲けをする。
そして、
" こんなに金をかけた家は、
日本中に一軒もない "
といわれた家をたてる。
また、
銀座の一等地を、
現金で購入して、
事務所のためのビルをたてた。
熱海にも別荘をかった。
千代さんは朝起きると
アーデンという
アメリカ帰りの美容師
のところへ毎朝いくのが
日課だった。
「額の上にカールした髪をのせ、
カカトも隠れるほどに長い
スカートをひるがえてして、
街を歩いていた。」
また、
「私の家には現金がある、
という話を伝え聞いた
大手の骨董屋たちが、
相次いで私を訪ねてくるようになった」
友人たちが
目利きをしてくれて、
これは、という逸品を
いくつもかった。
のちに
億という値がついた香炉や、
国宝になった骨董もあった。
でもね、
昔からいわれているように
「好事魔多し」(こうじ・ま・おおし)
ですね。
物事が
よくいってるときこそ、
邪魔がはいりやすい。
「私も北原も、
雑誌の編集プランは立てたが、
経理に目を通したことは
一度もなかった。」
ライバル社から
国税庁に告げ口がはいり、
黒服の男たち7,8名が、
銀座のビルにはいってきた。
査察だった。
そして膨大な数字が、
脱税として査定された。
億という金額だった。
また同時に、
講談社から「若い女性」という
スタイルに似た雑誌が発行された。
そしてお金を気にせず、
バンバン広告をうちだした。
坂道を転がりおちるように、
お金に困窮するようになり、
手形を切りまくり、
ヤクザの取立てが家にまで
くるようになった。
会社は倒産した。
「私は毎日、
ただお金を作るためだけに
狂ったように奔走した。
社が倒産したのは
間もなくのことだった。
私たちは疲労困憊していた。」
会社が倒産したあと、
ふたりはひっそりと隠れてくらした。
「巨額の借金を背負い、
どうして生きていかれよう。
こんなとき世間の人は
首をくくって死ぬのだな、
と私たちは思った。
しかし私たちは死ななかった。」
ここからまた、
千代さんの生命力が
輝きをます。
きもののデザインをして、
京橋に店をかりて、
「宇野千代きもの店」
を出店した。
このお金ができないと、
暴力団に殺される、
というときも、
千代さんは友人たちのあいだを
金策にかけまわった。
このように、
人生のどん底をも味わいつつ、
千代さんたちは
借金をかえし終えた。
千代さんは、
きものデザイナーとして、
パリにも名前がひびくようになった。
しかし
ペンを握れなくなり、
天風さんと知り合い、
ふたたびペンをもち、
北原さんと離婚した。
つづきます。
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