ラジオ深夜便2時台《ロマンチックコンサート》はカルチャークラブとデュラン・デュランの特集でしたが、聴いているうちにカジャグーグーが聴きたくなって来ました。デュランデュランももう少し古い曲も聴きたかったです。
この日、Yahooニュースでこんな見出しを目にしましたので、暫し読み耽って仕舞いました。
デイリー新潮が「日本思想史研究者の尾原宏之さんの新刊『「反・東大」の思想史』(新潮選書)から、一部を再編集してお届けする。」と言って当該新書を要約紹介した記事でした。
これによると、《私学有志らによる試験制度改正運動》によって1914年には帝大生の判検事・弁護士の両試験での無試験条項が撤廃され、1918年には高等試験令によって「文官高等試験・外交官及領事官試験・判事検事登用試験が新しい『高等試験』の行政科・外交科・司法科として一体的に運用されることとなった」とのこと。また、同年には大学令が公布され、私大が正規の大学とされたことによって新たな高等試験を私大生も受験出来るようになったということです。
しかし、その上で猶、私大卒業生と帝大卒業生との《出世》には歴然たる差が存在したそうで、「文部次官を務め、東北大や京大の総長も務めた」澤柳政太郎によると、
◆政府内部に東大法科閥など存在していない。
◆東大出身者は、小学校6年、中学校5年、高等学校3年の14年間、国語・数学・地理・歴史・物理・語学などの「普通教育」をみっちりと受け、優秀な成績を収めているが、私学出身者は中学校すら不完全なままで専門教育に進んでいる。
◆私学出身者は、
・第一に外国語ができない。語学ができないので最新知識の習得もおぼつかないから、将来にわたって学識向上の見込みがない。
・第二に、「高尚なる品格」がない。
・第三に、大局観がなく、視野が狭い。
・第四に、責任や規律の観念に乏しく、「横着」である。
◆私学出身者が試されることを嫌がった「普通教育」における「学力」は、結局のところ「五年十年の後」に効いてくる。
のだそうです。
斯くもけんもほろろに断言されて仕舞うと、真面に数学も出来ない侭私大の門を潜って仕舞ったわたし如きはぐうの音も出ません。つまり、嘗ての帝大出身者はわたしのような私大出身者の《学力》をハナから疑っていて、その疑念は拭い難いという訳です。
早稲田も政治経済学部の門を敲くためには今や数学を避けて通ることが出来ませんから、外国語が出来なかったり、高尚なる品格に書けていたり、視野が狭かったり、横着だったりする学生は減少して行くかもしれませんが、一方に於いて、各私大とも付属校・系列校出身者の囲い込みが進み、これらの大学の門を敲くために一般入試の受験勉強をする高校生は減少しています。ヤフコメも
「私大希望だと推薦か一般かという選択肢がまずあり、普段そこそこ勉強していれば推薦が得られるし、一般でも2〜3教科受験すればいいので、学んできた深さも広がりも違ってくるのはしかたがない。」
「受験勉強は辛いけど耐えて頑張って学力をつけた人とのんびり過ごした人で同じワケがない。学力以外に忍耐力、継続能力や工夫みたいな実社会で役に立つ能力も違うと思う。」
「学校経営重視に偏り国益を損なうような行為に走らないと限らない私学より、国の目が届く国立大学の出身者を国の重責を担う人材として登用することは、理に適っていると思う。」
「私大2トップの早慶、一般入学者の割合は40%を切る。これでは授業が成立しないのではないかつまり、旧帝大クラスとの差が更に開いてしまうのではないか」
などのコメントが並んでいました。益々ぐうの音も出ませんが、果たしてこの記事は《「反・東大」の思想史》の内容を的確に紹介しているのでしょうか 著書のごく一部を切り取って、記事は果たしてどのように紹介する積りだったのでしょうか
話は変って、6月9日付東京新聞Tokyo Webが創業400年以上になる文具の老舗相馬屋源四郎商店(新宿区)の11代目当主のインタビューを掲載していました。
神田川沿いの紙漉き職人からスタートした初代が開店。江戸中期には和紙の仕入れと販売へと事業を拡大し、宮家・公家・武家など幅広いお得意様を開拓したとのこと。
明治に入った或るとき、「客から『頼んだ大きさと違う』と言われて持て余した西洋紙を店頭に置いていると、近所に住む作家の尾崎紅葉が通り掛かり」、「私は物書きなのだが、こういうのに、マス目を入れた紙を作ってはどうか」と言ったことを受けて作り始めたのが原稿用紙の始まりなのだとか。知りませんでした。