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 余りにもミスリードで記事の内容を全く反映していない見出しを発見して唖然としました。

 2013年から2020年迄、アド街の3代目秘書を務めたテレビ東京の須黒清華アナが6月いっぱいで退社するも、7月以降の予定は何も決まっていないことを自身のインスタグラムで発表したとのこと。

 

 但し、「日本酒を飲みすぎて、番組の進行ができなくなったほど」というのは、《博多華丸のもらい酒みなと旅》という企画の中での話だそうで、「番組の進行ができなくなった」という放送事故が原因で退職に追い込まれた訳ではないようです。記事が、

 

「フリーになって、好きなお酒をたっぷり飲んでもらいたいと『アサ芸ビズ』が報じている」

 

と結んでいるところを見る限り、アサヒ芸能ではなくgooが勝手に勝手な見出しを付けた模様。流石に、余りにも見出しと内容に乖離が在り過ぎるので、須黒アナご本人やテレ東がgoo(NTT DoCoMo)を訴えても良いレベルなのではないかと思いました。

 

 ところで。

 6月7日付散歩の達人が、2001年の西東京市成立から約四半世紀経過しても猶残存する《田無市の名残》を拾い歩いていました。

 こちらは本当に痕跡を探す旅であって、嘗ての田無市を振り返る内容では在りませんでしたが、石碑に刻まれた《田無市長末木達夫》という名まえを目にして少し懐かしくなりました。

 一方、6月11日付読売新聞オンラインは、西武池袋線清瀬・ひばりヶ丘・中村橋・椎名町の4駅で改札鋏を復活させ、乗車券に入鋏して貰う《改鋏ラリー》を開催すると報じていました。

 

 但し、「ラリーに参加するには、電子チケットサービス『EMot(エモット)』を使い、スマートフォンで《改鋏ラリー用『西武線1日おでかけきっぷ』》を購入」する必要があるそうで、4駅の駅窓口などで《改札鋏痕収集券》を受け取り、4駅で入鋏して貰うのだそうです。知らなかったのですが、EMotって小田急のオンラインチケットサービスだったのですね。

 

 記事によると「4駅は、池袋線の前身の武蔵野鉄道の駅として1924年(大正13年)6月11日に開業」したそうで、ひばりが丘駅は開業当時《田無町》と呼ばれていたそうです。丁度100年前だったのですね。

 
 わたしが初めて田無に住んだのはもう40年以上も前のこと。幼少の頃に大阪市から合併直後の東大阪市に転居したときも余りの環境の違いに驚いたものですが、下水道が完備され、最早屎尿を肥料として使用する畑も無い1980年代の田無で生れて初めてイタチを目撃したときも非常に驚きました。
 
 夏の朝4時位になるとカッコウの鳴き声も聞こえて来ましたし・・・・・・。
 
 わたしにとっては未経験の田舎暮しでした。
 
 現在も西東京市在住で程良い田舎加減に満足しておりますが、1980年代当時、近所の人は都心に行くことを「東京に行く」と表現していたことを覚えています。
 
 これらの記事を目にした序でに、何か《田無》に関するニュースが無いものかと検索してみたところ、何とあの《鰻の成瀬》が田無にも在ることに気が付いて仕舞いましたびっくりビックリマーク 場所を確認すると、新青梅街道沿いで東大農場の近くでは在りませんか。
 
 但し、食べログの口コミに目を通すと評価はバラバラ、取り分け良い評価も在りませんが、悪い評価は本当に悪いので、果たして客が入っているのか心配になりました。
 
 この日は、西東京市東伏見五丁目のスーパーの下りエスカレーターで発生したお年寄りの死亡事故に驚愕。東伏見の中でも五丁目と言えば旧田無市にも武蔵野市にも近いほうではないかと思っていたら、伏見通り沿いで武蔵野北高校の北側でした。
 
 田無駅前の西友・イトーヨーカドーか、せいぜい旧武蔵境通りのいなげや位しかスーパーの無かった頃に比べるとスーパーが増えて便利になり、わたしも買い物難民にならずに済んでいますが、年寄りには建物の中にも危険が在ると解ると、齢を取ることが益々怖くなりました。
 
 年寄りの仲間にはなりたく在りませんが、こればかりは断ることが出来ません。果たして尊厳を持って安心して年寄りになれるか、甚だ心配です。