日本陸軍に感謝する毛沢東 | kokubouのブログ

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【賞賛されていた陸海軍 知られざる日本】日本に感謝していた毛沢東 兵器提供や空軍創設にも尽力 2014.10.03


【中国建国の父、毛沢東主席【拡大】


★(3)

 「何も申し訳なく思うことはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。みなさんの皇軍なしには、我々が権力を奪取することは不可能だったのです」

 これは、誰あろう中華人民共和国建国の父、毛沢東主席の言葉(毛沢東著『毛沢東思想万歳』下巻、三一書房)だ。1964年7月10日、訪中した日本社会党の佐々木更三委員長が、過去の戦争について謝罪したとき、毛主席が語ったという。

 習近平国家主席からは口が裂けても出てこないだろうが、毛主席は日本軍が中国建国を助けたことを感謝していたのだ。

 もう1つ、日本軍の兵器が中国を助けた事実も忘れてはならない。

 北京の中国人民革命軍事博物館には、蒋介石率いる国民党軍と国共内戦で戦った、中国共産党軍(中共軍)の兵器がズラリと並んでいる。その多くが、日本陸軍の兵器であることに驚かされる。

 97式中戦車をはじめ、日本陸軍の野砲や機関銃などが、中共軍の主力兵器として使用されたのである。つまり日本軍が残していった兵器があったからこそ、中共軍は蒋介石との国共内戦に勝利できたのだ。

 中でも、「功臣号」(こうしんごう)と命名された97式中戦車改は、中共軍が初めて保有した戦車であり、この1両のみで同軍初の戦車部隊「東北特縦坦克服大隊」が編成された。その後、日本軍から接収した97式中戦車改で本格的な戦車部隊が編成され、各地で国民党軍を打ち破ったのである。

 「功臣号」は1949年2月3日、北京入りを果たした。そして、59年まで使われたのだ。

中国建国の父、毛沢東主席【拡大】


 もし、日本軍が終戦と同時に、保有するすべての兵器を破壊処理していたらどうなっただろうか。それだけではない。日本軍は中共軍に空軍まで作ってやっている。

 第2次世界大戦当時、共産党軍に航空戦力は皆無だった。終戦2カ月後の45年10月、奉天から引き揚げ中の日本陸軍第4錬成飛行隊(飛行隊長・林弥一郎少佐)に、中共軍の林彪将軍らが空軍創設への協力を願い出た。やむを得ず、これを受け入れた林少佐ら第4錬成飛行隊の隊員らは、大陸に残されていた99式高等練習機や陸軍一式戦闘機「隼」を使って、中国人パイロットと整備員を教育したのだ。

 これが中国人民解放軍空軍の始まりであり、朝鮮戦争(1950-53年)では、日本軍によって育成された中国人パイロットが、ソ連から供与を受けたミグ15戦闘機で米軍機と戦った。

 中国人民解放軍は日本軍によって助けられ、育てられたのである。日本の政治家や外務官僚はこうした歴史的事実を知ったうえで、習主席が仕掛ける歴史戦に堂々と臨み、反撃していただきたいものである。

 ■井上和彦(いのうえ・かずひこ) 軍事ジャーナリスト。1963年、滋賀県生まれ。法政大学卒。軍事・安全保障・外交問題などをテーマに、テレビ番組のキャスターやコメンテーターを務める。航空自衛隊幹部学校講師、東北大学大学院・非常勤講師。著書に『国防の真実』(双葉社)、『尖閣武力衝突』(飛鳥新社)、『日本が戦ってくれて感謝しています-アジアが賞賛する日本とあの戦争』(産経新聞出版)など。

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(所感)

日本がロシアを脅威と思うあまりに大陸へ進出したことは 、失敗に終わった。終戦時、大陸へすべての兵器を置いて退却した。現在においても日本企業が支那に進出して騙されて失敗して帰国する。日本の失敗は支那の成功である。日本の赤字は支那の黒字につながる。日本企業は支那で失敗する事はあっても成功することはない。早期に大陸から撤退するべきだ。