いよいよ長男が小学校を卒業しようとしています。
母の私も、また未知の世界へ。
胸中さまざまです。
心配事ばかりです。
こうなるんじゃないか。
こんなことになるんじゃないか。
そんなことが起こるんじゃないか。
そして、こうも思っちゃっています。
こんな心配事を抱えているのは
きっと少数だろう。
少ないに決まってる。
他の子たちには、
ここまで手に負えない癇癪ないだろうし。
ここまで人目を気にしてないだろうし。
怒りに支配されたとて、
ここまで破綻した理論かまさないだろうし。
うちは、大変かもしれない。
いや、大変だろう。
親子ともに、しんどい中学生活が待っているのかなぁ、あぁキツイなぁ。
気づくと、そういった思考にハマっています。
怖いんです。
これからどんどん身体が大きくなる男子が
外の世界で
過剰に人目を気にした結果
いわゆる「キレた」状態に陥り
破綻した理論を掲げて自己を正当化し
笑われたとか
ディスられたとか
見られたとかを理由に
人に過剰に攻撃的な振舞いを見せ
その顛末として
世間一般の裁きを受け絶望する。
具体的には
嫌なことをされたと思った相手ではなく
自分が呼び出されて厳しい指導を受ける。
相手やギャラリーからSNSに晒される。
友人たちから敬遠される。
もっと悪い場合は・・・
そういう展開が
とにかく怖いんです。私が。
小学生だから
まだ大目に見てもらっていたし
大きなトラブルにもならなかった
激しめの気質が
今後、許されなく、受け入れられなくなっていく。
この子、マジで大丈夫だろうか。。。
つい、そんな不安を抱え。更には
この不安をガチで持たなきゃならないのは私だけだ。
って気になってる。
いやいやいやいや。
気を確かに持って!お母さん!
目を覚まして!お母さん!
視野を広げて!
信じましょうよ!!
って話なんだと思っています。
なにを勝手に
我が子こそ社会不適合
我が子こそ重大問題児
我が子こそ害悪
みたいにしちゃってんの?
頭下げる準備しちゃってんの?
その思考こそ最強にヤベエから!
って話です。
うちの子、最高なのに。
最高に可愛くて優しくて真面目で
鋭くて感受性豊かで
私そっくりなのに。←
お調子者になれて
こんだけ欠席日数稼いでるにも関わらず
自称「陽キャ」という、ネタに事欠かない
面白い子なのに。
しゃんとせえ!!
不安なのは、あなただけじゃないよ!
反抗期、思春期、お宅の子だけじゃないよ!
程度はあっても
人目を気にする
家で荒れる
おかしな理屈かましてくる
共通仕様だってばよ!
これまでなら
たとえ、周囲の誰かから
そうやって「大丈夫だって!」ってツッコまれたとしても。
「でも」「だって」
が飛び出していましたね。
うちは違う。
そっちが思ってるより絶対にマズイ。
私は楽観視しちゃいけないんだよ。
最悪のケースを想定しておかないと、取り返しのつかないことになってからでは遅い。
我が子を根っから信じていない
これ以上ない侮辱を働いている
なんてことには一切、気が付かず。
想像力を膨らませて
そういうことにならないように
早期に芽を摘むこと
軌道修正に励むこと
それが私がやらなきゃならないこと
子どものためになること
きっと、そう思い込んでいました。
思い込みだから
自覚はできていなかったですが。
今。
不安に苛まれても
私は、その思考に気がつける。
自分でツッコミを入れられる。
何が怖いのかを
言葉にできる。
自分の恐怖に寄り添える。
そして恐怖を手放せる。
気がつける。
私が不安に怯えることは
息子の尊厳を傷つけることだと。
軌道修正するのは私だと。
そして、できる。軌道の修正を。
大丈夫。
色々あっても、私たちは大丈夫。
そのお腹の底の安定感さえ
取り戻せれば
何度不安に襲われたって
最終、大丈夫
以上、母の不安編でした。
そんな私が
なぜだか最近やり遂げられる偉業があります。
それは、癇癪になった長男を
抱っこすること。
そうしてあげられるもんならしたい
それで解決するならしたい
寄り添えるなら寄り添ってやりたい
でも、ぜっっっったいにやりたくない
こんな理不尽に屈してたまるか
ふざけんな、抱っこなんてしてやるもんか
そういう葛藤状態で
かれこれ10年
どうにもこうにもできなかった
癇癪抱っこを。
最近、克服できた?のか?なぁ。
一時の状態の良さなだけで
またできなくなってしまうことに
これまた不安を抱えています。
次回、そんな話を書きたいです
続き
関連記事