【母親やめたい】の真実③責任感が足りない? | 自分で癒やすこと 〜モドルミチ〜

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こんにちは付けまつげ



母親やめたい。

なんて、言葉が浮かぶ私は

最低だ。



・自分の子育てに自信が持てない。

・母親としてダメなんじゃないかと不安。

・楽しく笑って子育てできない。

・イライラが止まらない。

・どうしたらいいのか分からない。



そういうときに。

まず、そんな「苦しい自分」を

裁いちゃうことって

ありませんか?



こんな私は甘えてる。

こんな私は責任感が足りない。

こんな私は自覚が足りない。



甘えるな。

責任感が足りない。

自覚はあるのか。



これ

世の中の

「スムーズにいかないこと」全般に対し

無関係な人が

簡単に言えるやつですよね。



たとえば、子育てがツライ

に対してだと



子どもは授かりものなのに

けしからん。

母親のくせにいつまでも

子どもみたいに甘えたこと言って。

産む前に判断しろ。

産んだなら責任持て。

弱音吐かずにちゃんとやれ。



みたいな、ご意見的な。



これ

ほんとに

誰にでも言えるやつで

何にでも言えるやつで

万能。



自分と無関係のことへの

裁きとしては

完全形ではないでしょうか。



言い換えれれば

「どーでもいい根拠のない責め口上」

誰に言われたわけでもなく

「今、苦しい自分」に投げかけちゃうのは

なぜなのでしょうね。



コーヒーコーヒーコーヒー



きっと、自分の中に

「こうあるべき」がとても強いから。

ではないでしょうか。



あるべきから外れている

自分を許せない。



「お母さんならこうあるべき」

その姿で在ることこそ

母親として責任を持っていること。



「お母さんならこうあるべき」

その姿とは違う私は

母親として責任を全うできていない。



その思考

固められちゃっている。



お母さんは

いつも笑顔で動じずに

子どもの健やかな成長を喜び

そのサポートに心血注ぐもの。



そうしてこそ一人前のお母さん。

そうしてこそ子どもが元気に育つ。



だから、そうしてあげるべき。

そうしてあげることが正しい

そうしてあげたい。

なのにいつもいつもいつもできない。

自然にできない。

頑張り過ぎたら疲れてしまう。

疲れたらイライラしてしまう。

不安定にもほどがある。



こんな私は母親としてダメだ。

やっていく自信もない。

いっそやめられたらいいのに。

でもそんなこともできないし。

責任があるんだし。



終わりのない

自分責めと自分裁きと絶望とが

延々と連なっていき。

日常は一緒。



すべきこと

正しいこと



すべき、正しいと

そう思っていることを

なぜ、私はきちんとできないんだ

このポンコツめ。



やる気がないのか?

頑張りが足りないのか?

はたまた責任感が足りないのか??

やる気があるならできるはず。

やりたいなら頑張れるはず。

責任持ってるなら全うできるはず。



そんなふうに

自分イジメが止まらない。

思考のループが終わらない。



コーヒーコーヒーコーヒー



これ。



お母さんは

いつも笑顔で動じずに

子どもの健やかな成長を喜び

そのサポートに心血注ぐもの。

そうしてこそ一人前のお母さん。

そうしてこそ子どもが元気に育つ。

それでこそ責任の全う。



この部分の思い込みを外すこと

ある意味ゴールみたいなものです。



簡単なようで

この信念を外すことが

本当に難しいことなのだと思います。



だって。

本当に、外してしまえたら。



自分を責めることも

裁くことも

お母さんやめたいよって

思い詰めることも

起こらないもんなぁ。



コーヒーコーヒーコーヒー



そして。

こう↓言い換えるのはたぶん微妙です。



お母さんは笑顔でなくてもいい。

心配不安があったっていい。

お母さんだって一人の人間。

向き不向きがあって当たり前。

ありのままでいい。

そのままで子どもを愛せばいい。



その通りではあるのだけど

キレイな言葉にして

納得できたっぽくなって

これまでの思い込みは

過去のものにできたと思えちゃうからです。



信念、

そんな簡単なもんじゃない。



自分にとって

これまで必要だったから

握りしめてきたこと。



あるべき

正しさ

責任



その価値観。(信念・理想)



そこにいまひとつ、いや、

とうてい到達できそうにない自分。(現実)



信念と現実に

大きな違い(ギャップ)がある。



確実に言えることは

そのギャップは

責任感や愛情で埋まるものじゃないってこと。



だから

お母さんやめたい。

子育てに自信が持てない。

どうしていいか分からない。

いっそ投げ出したい。



その心境があったとて

責任感の有無は、やっぱり関係なし。

愛情の有無も、関係なし。



現実を信念(理想)に近づける努力は

止まらずひたすらに頑張り続けること。



信念を現実に沿わせていく努力は

立ち止まり内側を眺めていくこと。



どっちの選択も

ギャップを縮められるけど

責任感や愛情は

その選択とは本当に無関係。



どちらが愛情深いか

どちらが責任感が強いか

ではないし

優劣もない。



今の価値観のまま頑張り続けられそうにない。



なら、後者の道、いかがでしょう。

立ち止まり内側に向かってみる。

今の世の中、メリットも多いです。



続き

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