3月は、感情がロックされて無感情になっていましたが、先週水曜日の深夜からは涙が溢れて止まらなくなりました
感情に波があるというのは、こうゆうことなのですね。泣いたり無感情になったり。わけわかりません。
先週に、カウンセリングに行ってきました。
夫の介護をしているときにもずっとお世話になっていました。特に、夫の入院中は私の精神状態がおかしくなってしまったので、一日おきにお世話になっていた時期もありました。
先代犬が亡くなったときも、カウンセリングのお世話になりました。その時に、喪の作業は誰に気兼ねすることはないし、何年かけてもいいと言われ、、、夫がそばに居てくれたので、私は我慢することなく、つらい悲しいと泣いていました。
ペットを亡くした友達もいたので、共感もしてもらえて話しやすかったのです。
ペットの死は話せたのに。夫の事は話しにくい。話せない。
経験のない人に話しても苦しくなるだけ。わかってもらえない。だから話したいけど、話せない。本当はわかって欲しいし、共感してもらいたいのです。だけどもそれは叶わないこと
何も言わないでいいから、ただそばにいて、聞いて欲しい。それだけなのにな。
今までは、家に帰れば夫が居てくれて。嬉しいことも辛いことも共有してた、この世でたった1人の存在。
その夫はもう隣には居ません。いつもそばに居てくれた人を喪ってしまった。
夫を喪ったこと、もっともっと話したい
聞いてもらいたい
心のままに悲しみたい、存分に
受け止めてもらって泣きはらしたい
そうしてみたい
それが、きっと喪の作業。
以前に、何かに書かれていてメモしてたこと↓
最近、このメモをよく見ています。
・喪の作業は、時間がかかってもはしょらずにやり尽くした方がよい。
・悲しみや感じていることを語り、誰かと共有する。
それが亡くなった人と共に積み上げてきたことの集大成になる。
・思い出したり悲しみを語ることは、ただ辛いだけではない。亡くなった人と共にあった日々への「感謝の念」として与えられた大切な時間。
・悲しむことと、日常生活をすることの両方を大切にする。どちらかに偏らない。
昨日はグリーフケアで死別体験者の分かち合いの会に行ってきました。同じような体験をしている人との会話は心地よかったです。あっという間の時間でした。受け止めてもらって涙も流れました。
夫の事を話して聞いてもらえること。そんな場や時間は、今の私にとっては、必要だなと感じました
夫のことでは
喪の作業を、思う存分にやりたいなと思うのです。
私の残りの人生は、夫の喪の作業が存分にできたら、、、それでハナマル💮なのかなとも思えました。
いろいろなところで開かれてる分かち合いの会に通いたいなと思ってます。