秋の行事が目白押しだからか、いくつかの訪問先では先生方に焦りが見られます。
具体的には、
先生のお小言が止まりません
な教室です
私の仕事は発達特性の強い子供に対して困っている先生方からご相談を受けて一緒に考えることがメインです。けれど、個別対応でできることよりも全体指導の中で出来ることの方が実は多いと思っています。特に先生の在り方は良しにつけ悪しきにつけ、子供にとって影響力大です
先生のお小言が続くと、教室の空気がギスギスしてきます。
例えば、
思ったように点数が取れなかったことで教室を飛び出したり、
遊びに「いーれーて」と言わずに入ってきた友達を許せず咎めたり、
話が通じにくいからと仲間はずれにしたり、
友達の小さな失敗を責めて泣かせたり、
先生の不寛容は、子供たちをも不寛容にするのです不寛容を身近に見ていると当たり前になってくるプライミング効果もあるでしょう。
寛げない教室
その不寛容さに1番影響を受けるのは、
大多数とは感じ方が違う少数派な人たち。
集団全体から遅れる
一斉の中で目立つ
発達特性の強い子供たちなのです。
つまり、大多数とは違うことを理由に不寛容な教室では標的にされやすいと言えるでしょう
社会も同様ですね。
過去の歴史を紐解いても、平和な時はいいですが、有事の際に攻撃を受けるのは少数派の人たち
問題は、先生もこの仕組み(時に意地悪やイジメ)を許容していることです。もちろん無意識に全く悪意なく
「あの子がわがままだから」
「この子が意地悪するから」
「人より遅れるから」
「被害妄想的なんです」
「しつこく嫌がられることをするので」
だから、周囲からきつく言われても仕方ない。
意地悪されるのも分かる。。。
と、心の中の価値観が先生の一挙手一投足に漂ってしまいます
私自身も全く同じで、カンファレンス中に相手を責める気持ちがあると、言葉選びや態度に表れてしまいます。
味方になること
謙虚な気持ちで訊くこと
を常々大事にしています。時に修行です
自分のお小言が止まらない時、ぜひ一度立ち止まって、自分は何に困っているかな?
誰に相談すれば解決するか?
どうやって助けてもらおうかな?
などと自分を救う考えにチェンジしてみて欲しいなと思います。
怒っている人は困っている人
怒っちゃう自分を責めてもいいことは1つもありませんからね