困難なことに立ち向かっている人に勇気を与える「勇気づけ」
このアドラー心理学に出会ったのは教員時代。
初任者の頃に校長先生に教わった。と言うより、私自身が勇気付けていただいたと後になって気付く。
「子供たちをきちんと育てなくちゃ」
「できるようにさせなくちゃ」
と当時の私は責任感の強さから、ダメ出しして教えなくちゃの指導の嵐🌀
若い先生への期待に笑顔だった子供たちが、教室の空気が、失望に変わるのにそう時間はかからなかった。
その空気を感じていた私も辛かったけれど、どうしていいか分からなかったんですね。自責の念に押しつぶされどんどん自信を失っていった社会人1年目のスタート🌀
そんな時
「教育はいいところ探しだよ」🌱
と何度も週案に書いてくださり、言葉をかけてくださった当時の校長先生。すぐに理解できずに、何度も何度も具体的な場面で教わった。
これはアドラー心理学の勇気づけ①
「有能感」
に関係している。
有能感は、自分には能力があると思えること。
自分の力を小さく見積もらず、やればできると自分を信じられること。平たく言えば
「自信」
とも言える。教師としてならば、
「子供は、自ら気付き、考えて、生き方を身に付けられる有能な学び手である」
と思えるかどうか。
(子供も含めて)成長の扉は🚪いつも外開きで、自分で開くしかない。周囲の者が外から無理にこじ開けることができない。成長は自分自身が「よし」と一歩を踏み出すイメージ。
周囲にできることは、
「あなたならできるよ」
「これまで○○なこともやってきたよね」
「こんなことが得意だよね」
「⭐︎⭐︎がとっても好きなことが生きそう」
などと本人のこれまでの努力や成長、好きなことや得意なこちなどの強み(ストレングス)を本人が自覚できるよう関わること。
メタ認知能力が育っていない子供の場合は特にこの「自覚」が肝。
自分にはできないと思っている人が、困難なことにチャレンジするというのはかなり難しいことだから、「有能感」が育まれていることは重要。
私たち周りの人には成長を代わってあげられないし、本人の成長の経験を奪ってはいけない。だからこそ相手を勇気づける術をもちたいと思っている。
けれど。。。
勇気づけだけではないが、心の仕組みを知ることは実生活に役立つことが多いからこそ、術(策)に溺れてはいけないと自分に言い聞かせている。
人を思い通り動かそうとか、こう言えば相手が変わるなどという操作的な使い方が私は好きではない。子供であれ大人であれ相手への敬意がないと、偽物な気がしてしまう。その辺りのこだわりが自分でも時々厄介だなって思う。
本心から相手ができると信じて、新たな可能性やストレングスを見出せるか?
私自身が試されている。
まとめると
勇気づけ①「有能感」
困難に立ち向かう人を勇気づけるには、相手が無自覚な本人のストレングス(強み)やこれまでの経験、努力、成長などを自覚してもらえるように関わることが「やれば出来るかも!」という有能感を育む。
次回は勇気づけ②「所属感」(繋がり感)について書いておこうと思う。