お話会の準備をすすめています(こちら)。

自分にとって学び直しの機会にもなっています。

 

その中で、改めて大切だと感じたことの一つが、黒パターンをジャッジしないことです。

 

こころのケアは黒パターンに気づくことから始まります。

そのパターンに対してこれは嫌だ、こんなふうに考えるのは恥ずかしい、一般的にはまずいだろう、このパターンがなければこんなにつらくならないのに、などそれに対して思うこと(そう思っているのも黒パターン)があっても、その黒パターンを隠したり、見て見ぬふりをしたり、言い訳したりしない、ということ。

 

黒パターンは、ただあるだけ、だから。

 

私自身はというと、学び始めた頃、「そーかー、私のパターンはこんなことを考えていたんだー」という感じで、モヤモヤと考えていたことや、押し込めていた思いを言葉にして出していかれることを楽しいと思っていました。

なので、黒パターンを嫌だ、と思うことはほとんどありませんでした。

 

でも10年以上学ぶ中で、例えば、○○さんがキライ、誰かがうまくやっているのが面白くない、もっと甘えていたい・・・というパターンに対して、パターンをごまかしたり、それパターンだよねと言われるとギクッとなる、なんか言い訳するかのように「こんなパターンがあってさ〜」と使う。というところも通ってきました。

もちろん、あっていいということは知っているのに、ずっと使ってしみついてきた善悪のジャッジを使ってしまうのです。

 

教わりながら、学びながら、黒パターンをそのままに受け入れること、しっかりその黒さに光をあてていくことを意識していく中で、黒パターンの安堵感を感じたり、「私」がそこでどうあるかを意識するときの感じなどの新たな感覚も体験してきました。

 

黒パターンをなくそうとするのではなくそのありのままの姿を理解と許しを持って受け入れていくこと、光と影はセットでただあるという視点でこころを見つめていかれるのはやっぱりいいなあと思うのでした。

 

 

 

 

ご近所の花々がありがたい季節です。