呑象高島嘉右衛門著 増補 高島易斷 古典解説文の要約 現代語訳 最終校正 322 | 心の経営コンサルタント(中小企業診断士) 日本の心(古典)研究者 白倉信司

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皇紀2680年、令和2年3月4日から、高島易斷の古典解説文を要約しながら現代語訳(意訳)して参ります。

呑象高島嘉右衛門著 増補 高島易斷 古典解説文の要約

最終校正

50.火風鼎

□卦辞(彖辞)
鼎、元吉亨。
○鼎(てい)は元(おお)いに吉にして亨(とお)る。
 鼎は、上卦離、下卦巽。離は火、巽は風または木。卦全体は鼎(かなえ)の形。鼎は金属などで製造した食物を煮るための器である。
 聖人は鼎を祭祀で用いて生け贄(にえ)を調理して神仏に供えた。鼎を祭祀で用いて、至誠の心を神仏に伝えたのである。
 鼎には、大地にしっかり安定させるための三つの足と料理を入れた状態で棒状のものを入れて人々が肩に担(かつ)いで移動するための耳がある。
 鼎の卦の初爻は足である。二三四爻の三つの陽爻は調理をする器に該当する。五爻は棒状のもの(弦(つる))を差し込むための耳、上爻は人々が肩に担(かつ)いで移動するための弦(つる)である。
 また、上卦と下卦の形を見ると、下卦巽の木を上卦離の火の中に入れて食物を煮炊きする意味がある。以上のことから、この卦を鼎と名付けたのである。
 大昔の人々は穴を掘って生活の拠点とし動物を狩猟して生きていた。そこに聖人が現れて火打ち石で火を起こして調理する技術を人々に教えた。やがて人々は調理する道具として鼎を製造するようになったのである。
 人間社会は徐々に文明的となり、歴代の王さまは鼎を宝物のように大事にした。鼎は大きくて重いから動かすことが大変である。野外で盛大に神仏をお祀りする際に使用する、生け贄を煮炊きするための器である。
 火風鼎の卦が沢火革の卦の次に配置されているのは、沢火革の時に変革や革命で真っ白になった社会(打ち倒された社会体制)を火風鼎の器に新しい食材を入れて調理する(新しい社会制度を構築する)ためである。
 鼎は器の中に残って居る古くさい食材を捨て、新しい食材を入れて調理して人々に提供するためにある。調理のできない古くさい食材を捨て、新しい食材で作られた料理を提供された人々は大いに喜ぶ。それゆえ「鼎は元いに亨る」と言うのである。

□彖伝
彖曰、鼎、象也。以木巽火、亨飪也。聖人亨以享上帝、而大亨以養聖賢。巽而耳目聰明、柔進而上行、中得而應乎剛。是以元亨。
○彖に曰く、鼎は象(しよう)也。木を以て火に巽(い)れ、亨(ほう)飪(じん)する也。聖人、亨(ほう)して以て上帝を享(きよう)し、而して大いに亨(ほう)して以て聖賢を養ふ。巽にして耳目聰明、柔進みて上り行き、中を得て剛に應ず。是を以て元に亨る。
 上卦離は明智、麗(つ)くと云う意味がある。下卦巽には巽順に従うと云う意味がある。すなわち、明智のある人に麗(つ)き従えば、物事がすらすら通ると云う意味になる。
 爻の位置関係を読み取ると、六五の柔順にして中庸の徳を具えた仁(思いやり)のある王さまが、九二の剛健で中庸の徳を具えた賢臣と陰陽相応じている。物事がすらすら通る形である。
 器の中で鼎よりも重い器は存在しない。また器を製造する人はその形(象)の美しさを大事に考える。それゆえ、彖伝に「鼎は象也」と云い、鼎の形から物語を作り出している。
 「木を以て火に巽(い)れ、亨(ほう)飪(じん)する也」とは、上卦離の火と下卦巽の木の形から連想した働きであり、木を燃やして食物を調理する鼎の作用を表現したのである。
 鼎の作用は、生臭い食材を煮て熟成した料理として仕上げたり、固い食材を煮て柔らかい料理として仕上げることである。
 王さまの務めは、鼎と云う宝のような器を用いて、様々な食材を煮炊きして、ご先祖様や神仏の御魂をお祀りすることにより、ご先祖様や神仏のご加護を賜ることである。
 あるいは、尊崇する聖賢をお祀りして、聖賢から学ぶことにより、天下国家に益することである。
 王さまは、常に天下国家に益する視点で物事を視て、民の言葉に耳を傾ける。聖賢を通じて天下の知恵を集め政策を練り、天下国家の善き人物や善き行いを取り入れて、己の人格を陶冶する。王さまは日々聖人を目指して君徳を磨き、日月の運行のように盛んに活動すべきである。
 以上のことを「聖人、亨(ほう)して以て上帝を享(きよう)し、而(しか)して大いに亨(ほう)して以て聖賢を養ふ。巽にして耳目聰明」と言うのである。
 鼎を用いて食材を煮炊きする際に肝要なことは、祭祀や賓客のために鼎を用いることである。
 祭祀の場合は神仏とご先祖様を心から尊崇し、賓客の場合は貴人や聖賢を貴ぶ。朝廷が賢者を集め、鼎を用いて料理を振る舞う場合は、新しい社会体制を築き上げるために、できるだけ多くの賢者を集めて、その話に耳を傾けなければ、天下国家に寄与することはできないのである。
 六五は柔順な性質で中庸の徳を具えている。文明の中心(上卦離の主爻)に居て、賢臣の意見をよく取り入れる聡明な王さまである。剛健で中庸の徳を具えている賢臣九二と応じており、刷新した天下国家の礎を築き上げる。以上のことを「柔進みて上り行き、中を得て剛に應ず。是を以て元いに亨る」と言うのである。
 人間関係に当て嵌めれば、長女と中女が同居して和合する。天下国家に当て嵌めれば、上卦の政府は文明を発展させていく大きな力を有しており、下卦の民衆は政府の方針に恭(うやうや)しく信服して、柔順に政府の政策に順う。上卦の政府と下卦の民衆が合体すると鼎の形となる。それゆえ「鼎は象(しよう)也」と言うのである。
 文明の徳を具えた六五の王さまが、陽剛の性質を有する九二の賢臣と応じている。九四の宰相が侫人を用いて大失態を演ずるが、上九の顧問が王さまを補佐してカバーする。

□大象伝
象曰、木上有火鼎。君子以正位凝命。
○象に曰く、木の上に火有るは鼎なり。君子以て位を正し命(めい)を凝(な)す。
 「木の上に火有る」。上卦離の火は下卦巽の木により燃焼している。下に木を入れ火で燃焼させ料理を作るのが鼎である。
 鼎は料理を作るための大きな器であり、宝物である。重量はかなり重い。容易に動かすことはできないので、設置する場所をじっくり考えて、大勢の人を招いて料理を振る舞うのである。
 「君子以て位を正し命を凝(な)す」の「位」とは「君主の位」である。「命」とは「天命」である。君子が君主の位に就いて毅然としている。朝廷(政府)が神仏を尊崇し、また賓客を招待するために用いられる鼎がどっしりと設置されている。
 以上のようであれば、臣民は朝廷(君主)を尊崇してその威厳に帰服する。君主の君徳は益々磨かれて、朝廷の雰囲気は荘重かつ厳正となる。君主は大義を掲げて、王道の政治を推し進めるから、朝廷はどっしりとした鼎のように揺るがない存在となる。天命を凝縮した政治のあり方である。それゆえ「君子以て位を正し命を凝(な)す」と言うのである。
 天に命じられて君主の位に就いているのが王さまである。だから朝廷には重量感がある。しかるべき人物が君位に就いたから、天命を授かったのである。天命を授かった君主が発する言葉はみな正しく、その行いは正しい道を歩み続ける。
 それゆえ、天は君主を応援するのである。君主が正しい道を歩まなければ、天は君主に天命を授けない。
 そもそも「君子以て位を正し命を凝(な)す」とは、中庸の「齋明盛服、禮に非ざれば動かざる」と云うことである。
 君主の究極的なあり方は君主自らが襟を正して南面して社会を見渡すことである。それゆえ、天下国家は泰平となる。
 大象伝に「天命」の「命」と云う言葉があるのは、火天大有と火風鼎の二つだけである。大有には「天の休命に順う」とあり、鼎には「位を正し命を凝(な)す」とある。
 大有では、王さまの意識が緩んで、天命に順わなくなることを戒めており、王さまは賢者として天命に順うべきだと説いている。
 鼎では、鼎が神仏をお祀りする器であることから、王さまは精神を集中して天命を慎んで賜り、天命に順って政治を実行できるのである。精神が緩んでいる王さまは天命を賜ることはできない。精神が引き締まっているから天命を賜ることができる。中庸に「大徳は必ず命を受く」とはこのことである。

□爻辞(象辞)と象伝(小象伝)
初六。鼎顚趾。利出否。得妾以其子。无咎。
象曰、鼎顚趾、未悖也。利出否、以從貴也。
○初六。鼎(かなえ)、趾(あし)を顚(さかしま)にす。否(あしき)を出すに利し。妾(しよう)を得て其(その)子を以てす。咎(とが)无(な)し。
○象に曰く、鼎(かなえ)、趾(あし)を顚(さかしま)にすとは、未だ悖(もと)らざる也。否(あしき)を出すに利しとは、以て貴(たつとき)に從(したが)ふ也。
 「否(あしき)を出すに利し」の「否(あしき)」とは、鼎の中に残って居る食べ物の濁(にご)った残(のこり)滓(かす)である。
 初六は鼎の最初の段階である。鼎で食材を調理しようとする始めの時である。それゆえ、内部を洗浄して清潔にする前に、鼎をひっくり返して内部に残って居る食材の残滓を排出し、清潔にしてから調理を始めなければならない。
 鼎を支える足の中は空洞になっている場合がある。そこに前に調理した時の肉や汁の残(のこり)滓(かす)が詰まっているかもしれない。それゆえ「鼎(かなえ)、趾(あし)を顚(さかしま)にす。否(あしき)を出すに利し」と言うのである。
 「趾(あし)を顚(さかしま)にす」とは、鼎を顚(てん)覆(ぷく)させて(ひっくり返して)足の中の残滓を排出することである。初六は人体に例えれば足だから、鼎の足に当たる。
 性別で言えば初六は陰柔の女子であり、九二は陽剛の男子である。共に不正(不倫の関係)である。九二は初六と比している。九二は初六を妾にして子どもが産まれた。妾を得ることは正しいことではない。このことを「趾(あし)を顚(さかしま)にす」と言うのである。
 しかし、本妻に子どもができない場合、妾を得て子どもを作ることを一概に否定できない。「咎(とが)无(な)し」の所以である。
 鼎をひっくり返すことは、鼎を器として用いる正しいやり方ではない。しかし、過去に調理した食材の残滓を取り除いて、器を清潔にするのだから、これから調理するのに適したやり方である。
 鼎を用いて神仏をお祀りし、また人々に料理を振る舞うのだから、大いに功徳を得て喜ばれるやり方である。以上のことを踏まえて「妾(しよう)を得て其(その)子を以てす。咎(とが)し」と言うのである。
 初六は陰柔の不善をぬぐい去るために善きことを行う。妾なので立場は低いが子どもを授かるので九二の役に立つ。すなわち鼎としての役割に寄与するのである。
 人間関係に例えれば、上司(九二)が部下(初六)を重用して、部下(初六)が上司(九二)を助けたと云うことになる。鼎としての役割を果たしたことになる。
 象伝に「未だ悖(もと)らざる也」とあるが、「悖(もと)る」とは「乱す」こと「逆らう」ことだから、「悖(もと)らざる」とは「乱さない」「逆らわない」ことである。
 鼎をひっくり返すことは、本来の鼎の用い方ではないが、鼎の中の残(のこり)滓(かす)を取り除くのだから、鼎の用い方を「乱す」ことでも「逆らう」ことでもない。「以て貴(たつとき)に從う也」とは、初六が九二に従うべきことを云っているのである。

九二。鼎有實。我仇有疾。不我能即。吉。
象曰、鼎有實、愼所之也。我仇有疾、終无咎也。
○九二。鼎(かなえ)、實(じつ)有り。我が仇(きゆう)、疾(やまい)有り。我に即(つ)く能(あた)はず。吉。
○象に曰く、鼎(かなえ)、實(じつ)有りとは、之(ゆ)く所を愼む也。我が仇(きゆう)、疾(やまい)有りとは、終に咎(とが)无(な)き也。
 「實(じつ)」とは、鼎の實、すなわち鼎の中に食材として入っている肉のことである。肉が入っている場合を「實」と云い陽爻を指す。肉が入っていない場合を「虚」と云い陰爻を指すのである。
 九二は陽爻だから「實」である。その位置は器の底だから肉が入っている形である。それゆえ「鼎、實有り」と言うのである。鼎の中に肉が入っている。王さまにお勧めするように、聖賢にもお勧めすべきである。
 九二は剛健にして中庸の徳を具えた人物である。昔の王さまは敵が多く様々な災いに巻き込まれることが多かった。敵は常に王さまを狙っているのである。
 九二の賢臣は六五の王さまに応じているが、三爻と四爻が九二と王さまの間に居て邪魔しているので「我が仇(きゆう)、疾(やまい)有り」と言う。「仇(きゆう)」は自分を邪魔する者。「疾(やまい)」は自分を悩ます者。九二は自分を守る力が強いので三爻と四爻を寄せ付けないのである。
 九二を邪魔する者がいても、悩んだりしない。それゆえ「我に即(つ)く能(あた)はず。吉」と言うのである。
 自分を守る力が強い者は他を寄せ付けないので、吉運を招き寄せるのである。鼎の中に肉が入っているのは、人々に獲物を取る力があるからである。力がある者は慎みの心を忘れてはならない。慎みの心を忘れると不義を犯しかねない。
 象伝の「之(ゆ)く所を愼む也」とは、私利私欲に囚われずに、小人は拒絶し、君子に従うべきことを云うのである。
 「之く所」とは応ずる爻(六五)と比する爻(初六)を云い、「慎む」とは、応じている六五に従うべきで、比している初六には近付いてはならないと云う意味である。
 鼎がどっしりと動かなければ、人々は悪事を働かないように、九二の心が安定していれば、周りの人々は動けない。これが「之く所を愼む也」の意味である。
 「終に咎(とが)无(な)き也」とは、九二が吉運を招き寄せることを表現している。「疾(やまい)」と云う字には「嫉(ねた)み損(そこ)なう」と云う意味がある。九二は朝廷に招かれるので、周りの人から嫉(ねた)まれ損(そこ)なわれる可能性がある。小人は朝廷に招かれている人に近付いて誘惑するが、九二の志が高ければ小人が付け入る隙はない。それゆえ九二は損害を被らないのである。

九三。鼎耳革。其行塞。雉膏不食。方雨虧悔。終吉。
象曰、鼎耳革、失其義也。
○九三。鼎(かなえ)の耳革(あらた)まる。其(その)行(こう)塞(ふさ)がる。雉(きじ)の膏(こう)、食(くら)はれず。方(ほう)に雨ふれば悔(くい)を虧(か)く。終に吉。
○象に曰く、鼎(かなえ)の耳革(あらた)まるとは、其(その)義を失ふ也。
 九三の位置は鼎の器の真ん中であり、陽爻なので鼎の器の中に食材が入っている形とする。
 上卦離の火に接しているので食材が煮立ってしまい、鼎の耳が手で持てないほど熱くなった。危険なので鼎を移動してはならない。それゆえ「鼎の耳革まる」と言うのである。
 大概の物は足を動かして前に進む。鼎は耳に鉉(つる)を入れて持ち運ぶ。だが、耳が手で持てないほどに熱くなれば鉉を入れることができない。どうして鼎を移動させることができようか。そのことを「其(その)行(こう)塞(ふさ)がる」と言うのである。九三は上九と陽爻同士で応じないので、任用されないという例えである。
 「鼎(かなえ)の耳革(あらた)まる」とは、鼎の耳の役割が変化する(耳の機能を果たさない)と云うことである。
 「雉(きじ)の膏(こう)食(くら)はれず」の「雉(きじ)の膏(こう)」とは、美味しい料理の例えである。本来、九三には陽剛の才能があり、文明を発展させて国家を潤すことができる人徳があることを例えている。
 「食(くら)はれず」とは、美味しい料理ができたけれども、鼎の耳が熱くなりすぎて、鼎を触ることすらできないので、料理は鼎の中に閉じ込められており、誰も食べることができないと云うことである。九三が下卦に居て上九とは応じていないので、世間に用いられないことに例えたのである。
 以上のことから、九三は料理を振る舞うことはできない。恩沢を民衆に施すことはできない。美味しい料理を作っても、誰にも食べてもらえないので「雉(きじ)の膏(こう)食(くら)はれず」と言うのである。
 九三と上九は背き合っているので、後悔することが多い。九三が変じて陰となれば陰陽相応じて後悔することはなくなる。終には吉運を招き寄せる。それゆえ「方(ほう)に雨ふれば悔(くい)を虧(か)く。終に吉」と言うのである。
 「方(ほう)」とは、「そうなってほしい」と願う言葉である。「雨」とは、「陰陽和合する」と云う意味である。
 九三が変ずれば下卦坎となる。坎は水ゆえ雨の形である。「虧(か)く」とは消滅することである。
 象伝に「其(その)義を失ふ也」とあるのは、あるべき道筋を誤ることであり、「義」とは進んで行くべき道筋のことを云う。今は鼎の中の料理が煮詰まって耳が熱くなり移動できない状態。九三の位置は容器の真ん中だから、耳が熱くなるほど煮詰まってしまった料理である。以上のことを「其(その)義を失ふ也」と言うのである。
 九三変ずれば火水未済となる。すなわち料理は完成しないのである。水風井と火風鼎の九三は共に下卦に在り上位者に用いられない。井の九三は泥水を浚(さら)った清水なのに誰も汲み上げてくれない。鼎の九三は美味しい料理なのに誰にも食べてもらえない。鼎で作った料理を食べてもらうのが君子の役割なのに、その役割を果たせないのである。
 しかし、煮詰まらないように慎重に料理を仕上げれば、人々に食べてもらうことができる。最初は調理に失敗して、料理が煮詰まってしまったので誰にも食べてもらえなかったが、最後は美味しい料理を仕上げることができるのである。

九四。鼎折足。覆公餗。其形渥。凶。
象曰、覆公餗。信如何也。
○九四。鼎(かなえ)、足を折る。公の餗(そく)を覆(くつがえ)す。其形渥(あく)たり。凶。
○象に曰く、公の餗(そく)を覆(くつがえ)す。信(まこと)に如(いか)何(ん)せん也(や)。
 二三四の三爻はいずれも陽爻なので鼎の中の料理(食材)である。四爻は鼎の中の料理・食材が充分にあると云う形で、初六と応じている。初六は鼎の足である。陰爻だからひ弱い足である。鼎の中の料理・食材が充分すぎるほど満ちているが、鼎の足はひ弱いので、終に足が折れてしまう。
 三四五爻で兌の卦となる。兌には「壊れる・欠ける」と云う意味がある。それゆえ「鼎、足を折る」と言うのであう。
 鼎は三本足である。三賢人が王さまを支えている形である。三賢人は鼎にくべる火を調整する役割がある。鼎の本体(二三四爻)は食材を調理する役割がある。
 鼎の足が折れれば鼎本体がひっくり返って中に入っている料理が溢(あふ)れてしまう。それゆえ「公の餗(そく)を覆す」と言うのである。
 以上を人間関係に当て嵌めてみる。九四の大臣は初六の小人と応じている。初六の小人は九四の大臣に媚(こ)び諂(へつら)って取り入ろうとする。迂闊にも九四の大臣は初六の小人を信用して寵愛する。終には国政を誤り国民に塗(と)炭(たん)の苦しみを与えるのである。
 九四は全く才能がないわけではないが、失敗する原因は大臣の位に居て初六の小人を信用してしまうことにある。上位に居る者が下位に居る人物を任用する場合は、任用する相手を見極める目を養わなければならない。
 相手を見定めることができずに任用すれば、悪影響は自分に及ぶだけでなく、天下国家に及ぶ。すなわち国家(鼎に例える)は滅亡して民衆(餗(そく)に例える)の生活は破綻するのである。
 国政を調理に例えれば、鼎で食材を調理する時の料理を任されているのは九四の大臣である。だが九四は位が正しくない、すなわち志が確立しておらず、行動が正しくない。
 九四は六五の王さまとは陰陽比しているので側近としての役割を果たそうとする。しかし九四は自分の才能を過大に評価しているので、賢臣が力を合わせて王さまを補佐する体制を作ることができない。それどころか初六の小人を信用して、国家を滅亡の危機に追いやり、民衆は塗炭の苦しみを味わうのである。
 役不足の九四の大臣が六五の王さまを補佐しようとするが、初六の小人を任用して裏切られる。すなわち九四の大臣は初六に欺かれて六五の王さまを追い詰めることになる。
 九四の大臣は王さまの側近として、その大罪を逃れることはできない。それゆえ「其(その)形(かたち)渥(あく)たり」と言う。「渥(あく)」とは、誅(ちゆう)殺(さつ)(罪ある者を殺すこと)されると云う意味であり、これ以上の凶運はない。それゆえ「其(その)形(かたち)渥(あく)たり。凶」と言うのである。
 象伝に「信(まこと)に如(いか)何(ん)せん也(や)」とある。大臣たる者が天下国家の政治を任された時に、天下国家を安寧に導くためには、王さまの意を汲んで民衆の望むことを十分に把握し、己の損得から離れて、王さまの側近として確乎不抜の志を抱き、王さまの期待を裏切らないことが肝要である。そうであってこそ王さまから信頼される。
 大臣としての役割を全うできずに、鼎を転覆させるような失態を犯せば、大臣としての責任を取り、その職を辞するのは当然である。言い訳をすることは赦されないのである。

六五。鼎黄耳金鉉。利貞。
象曰、鼎黄耳、中以爲實也。
○六五。鼎(かなえ)黄(こう)耳(じ)にして、金(きん)鉉(げん)あり。貞しきに利し。
○象に曰く、鼎(かなえ)黄(こう)とは、中以て實(じつ)と爲(な)す也。
 「金(きん)絃(げん)」の「金」とは、互体乾(二三四)の卦象(陰陽五行でも乾は金)である。また乾(二三四爻)は鼎の中身(仕上がった料理)である。「金(きん)絃(げん)」の「絃(げん)」は鼎の耳に差し込んで重量のある鼎を移動させる道具である。
 六五の場所は鼎の耳に当たる。王さまの位に居て、従順な性格で中庸の徳を具えており、上九の相談役を慕っている。
 上九は陽剛の性格で六五の王さまを教え導く賢い先生である。王さまが賢い先生に導かれて、お互いに信頼し合い、天下国家の大任に中ると云う形になっている。
 「鼎(かなえ)黄(こう)耳(じ)」の「黄(こう)」は、陰陽五行の「土」に対応する色である。物事の中心に位置する色で、人に当て嵌めれば「忠信」である。「鼎(かなえ)黄(こう)耳(じ)」の「耳(じ)」とは、鼎の耳を指し、「絃(つる)」を差し込んで、重い鼎を移動させるための機能を担っているのである。
 王さまが天下国家の要であるように、耳は鼎の要である。耳は鼎を移動する際になくてはならない。天下国家を司る王さまのような存在である。鼎の耳に空洞がなければ絃(げん)を差し込んで運ぶことができないのである。
 これを人間に例えれば、耳は聖賢の教えを学び自らを磨くための門のような存在である。人間の中でも王さまのように天下国家や組織を束ねる者は、耳の門を開通させて聖賢の教えを学ぶことが肝要である。
 昔から、聖賢の教えを学び、諫言を取り入れることが名君の条件とされる。伝説の王さまである舜は質問を好み、部下にあたる禹の諫言をよく取り入れた。聖人と称される孔子が学ぶにあたって特定の師を必要としなかった。いずれも常に耳の門を開通させていた人徳者だったからである。
 聡明な賢者は常に耳の門を開通させているのである。聖人の聖と云う字は耳と云う字を中心にできている。耳の門を開通させておくことは、指導者に必須なことである。王さまが民衆から尊崇され天下国家を安寧に導くには、常に耳の門を開通させて部下の諫言をよく取り入れ、民衆の意見によく耳を傾け、己の邪心を封じ込めて、侫人を退けることが大切である。
 鼎の耳に絃(げん)を差し込んで移動できるのは、王さまが耳の門を開通させているのと同じである。「金(きん)絃(げん)あり」の「金」とは、剛健の例えである。「絃(つる)」は賢人上九を指している。六五は柔順な性格で中庸の徳を具えているが、賢人上九が相談役として存在しなければ、聖賢の教えを学び己を磨くことはできないのである。
 賢人上九が存在しても、六五の王さまに聞く耳がなければ、上九の教えを活かして政治を実施することはできない。
 鼎にあっては耳と絃が一体となって役割を果たすように、人間社会にあっては六五の王さまと上九の相談役が一体となって天下泰平を実現できるのである。
 鼎の耳は鼎本来の役割である食材を煮て調理することに直接使用しないことから、六五は無為で邪心がないと判読する。
 六五の王さまは私利私欲を捨てて上九の賢者の教えに順う。それゆえ「鼎(かなえ)黄(こう)耳(じ)にして、金(きん)絃(げん)あり」と言うのである。
 六五が王さまの役割を果たすためには、富貴や権威に奢る心を抑えて、上九の賢者を尊崇し、己を虚しうして、上九の教えに順い、王さまとしての正しさを身に付けて政治を行うべきである。それゆえ「貞しきに利し」と言うのである。
 象伝に「中以て實(じつ)と爲す也」とあるのは、六五は陰柔不正なので王さまの役割を果たせないはずだが、柔順な性格で中庸の徳を具えており、上卦離(文明)の主爻でもあるから、忠誠で信頼できる人物と見ることもできる。
 己を虚しうして上九の賢者を尊崇し、諫言を取り入れて実力不足を補い、王さまとしての役割を果たすことができる。六五が中庸の徳を具えているからである。以上のことを鼎の耳の役割に例えて称賛したのである。

上九。鼎玉鉉。大吉无不利。
象曰、玉鉉在上、剛柔節也。
○上九。鼎(かなえ)、玉(ぎよく)鉉(げん)あり。大吉にして利しからざる无(な)し。
○象に曰く、玉(ぎよく)、上に在るは、剛柔節ある也。
 鼎を移動する時に用いる絃(つる)を金色に飾ることがある。あるいは玉(宝石)で飾ることもある。玉は丸くて透明なものである。丸いので角がなく、透明なので清くて私心がない。
 鼎は絃(つる)を耳に差し込んで移動するものである。鼎の中の料理ができあがって、国中の人々に提供するのは、六五の王さまの役割だが、鼎を移動して多くの人々に振る舞うことができるのは、賢者上九の絃(つる)(知恵)を用いるからである。
 上卦離は炎である。上九は炎の上部で玉のように火の熱さに耐えている。玉そのものは絃(つる)の役割を果たせないので、熱せられた鼎を移動することはできない。鼎を移動させなければ料理を振る舞うことができないのである。
 上九は鼎を移動させる絃(つる)である。陽剛の性質で陰位に居り、どんな熱にも耐えられる剛健かつ柔順な玉(宝石)に例えられる。それゆえ「鼎(かなえ)、玉(ぎよく)鉉(げん)あり」と言うのである。
 人間関係に当て嵌めれば、上九は明智に充ちた賢者で六五を教え導く役割を担っている。六五の王さまは上九の絃(つる)を用いなければ鼎の料理を振る舞うことができないのである。
 六五は上卦離の主爻、すなわち文明の主(あるじ)である。柔順な性格で聡明なので「黄(こう)耳(じ)」と称される。上九は実権を有していないが六五の賢師である。常に心を磨いているので「玉(ぎよく)鉉(げん)」と称する。上九が六五を補佐するから鼎の時は調和するのである。
 象伝に「剛柔節ある也」とある。剛健な上九と柔順な六五が節度を保っている(剛柔調和している)ので、宜しきを得るのである。「節」とは、それぞれが己の分限に従っていることである。
 上九は剛健な性格だが陰位に居るので剛柔調和している。寛大さと厳格を兼ね備え、温厚さと荘厳を併せ持っている。まるで玉(宝石)のような存在である。
 玉の性質は火の熱さに耐えて、どんなに熱せられても変形しない。損得勘定で誘惑しても心を動かさない人物である。
 六五の爻辞では上九を「金(きん)絃(げん)」と、上九の爻辞では「玉(ぎよく)鉉(げん)」と称するのは、六五の王さまにとって上九は剛健で頼りのある存在だからである。上九は玉のように変形しないのである。
 六五は耳の位なので教えを受ける人である。教えを身に付けるには師匠に厳しさが求められる。それゆえ六五の爻辞において上九を「金(きん)絃(げん)」と称するのである。
 教えを受ける人は師を尊崇しなければならない。上九は絃(つる)であり賢師である。師たる者は剛健だから正しい道を行うことができる。柔順さも兼ね備えているから人々に信服される。それゆえ上九の爻辞では「玉(ぎよく)鉉(げん)」と称するのである。
 剛柔調和して宜しきを得て、師と弟子との関係が成就する。上九の爻辞で上九を「金(きん)絃(げん)」と称すれば、剛に過ぎて師弟関係が成就しない。それゆえ「玉(ぎよく)鉉(げん)」と称したのである。
 火風鼎と水風井は五爻の段階で運用に成功して、上爻の段階で効果が全体に及ぶ。井では上爻の爻辞に「元吉」とあり、鼎では上爻の爻辞に「大吉」とある。
 井の時は井戸の中の清水が多くの人々に周く行き渡り、鼎の時は鼎の中の料理が多くの人々に行き渡るのである。

 

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