呑象高島嘉右衛門著 増補 高島易斷 古典解説文の要約 現代語訳 最終校正 309 | 心の経営コンサルタント(中小企業診断士) 日本の心(古典)研究者 白倉信司

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皇紀2680年、令和2年3月4日から、高島易斷の古典解説文を要約しながら現代語訳(意訳)して参ります。

呑象高島嘉右衛門著 増補 高島易斷 古典解説文の要約

最終校正

37.風火家人

□卦辞(彖辞)
家人、利女貞。
○家人は、女(じよ)の貞(ただ)しきに利(よろ)し。
 家人は離が下、巽が上。巽は風、離は火。風が火から出てくる象である。空氣は太陽の熱に遇って膨張し騰(とう)上(じよう)(のぼる)する。天には空と虚の二層があり空氣は虚に入っていく。空気が騰(とう)上(じよう)する時、収縮した空氣が下方から隙間を充塞して、上下往来して動揺する。これが風である。それゆえ大象伝に「風の火より出づる」と言うのである。
 風は寒暑を送迎し氣侯を調和して萬物の生育を助ける。人が相調和して相養生するのは、家人に勝る時はない。
 下卦離の火は上卦巽の木を得て生じ、火は風を得て益々盛んになる。風は陰性で火は陽性である。陰陽互いに補い合って、家人が力を合わせて家道が益々盛んになる。それゆえ家人と名づける。
 家族は相親しむものである。だから、この卦の意義は相親しむことである。また、家人は家道であり、家業である。内側が明るく外側は整っている象である。家人は四陽二陰、離の中女は二爻に居り、巽の長女は四爻に居る。
 柔を以て柔に居るのは婦徳が盛んである。長女が上に位して、中女が下に位するのは、年下の者が年上の者を凌がないと云うことである。名分粛然として、位が正しい象である。
 自らを正しくできる女性は稀(まれ)だが正しくしなければならない。家族の関係が良好か否かの責任は家の主が負う。従来、家を治めることは難く、天下を治めることのほうが容易である。
 家族の関係を正すことは難いのである。家族の中でも、女性と子どもを正すことは最も難い。家族の不和は恒に女性と子どもから起こるものである。英雄豪傑が天下を治めることはできても、細君の心を満たすことは難しいのである。
 家を齊(ととの)える道は、細君の力に依ることが多いのである。細君が正しくなければ、天下を治める英雄豪傑も家を治めることはできないのである。それゆえ、彖辞(卦辞)に「家人は、女(じよ)の貞(ただ)しきに利(よろ)し」と言うのである。
 女の貞は、舅(しゆうと)と姑(しゆうとめ)に孝行することである。父子(夫とその父)に柔順に従い、家族の和合を実現し、仲睦まじくすることである。夫の親族を妬(ねた)んだりすることなく、内助の功を実現することである。女貞は六二を指している。それゆえ六二の爻辞のみ「貞吉」と言うのである。

□彖伝
彖曰、家人、女正位乎内、男正位乎外。男女正、天地之大義也。家人有嚴君焉。父母之謂也。父父、子子、兄兄、弟弟、夫夫、婦婦、而家道正。正家而天下定矣。
○彖に曰く、家人は、女(じよ)、位を内に正しくし、男(だん)、位を外に正しくす。男女正しきは、天地之大義也。家人には嚴(げん)君(くん)有り。父母の謂(いい)也。父は父たり子は子たり、兄は兄たり弟は弟たり、夫は夫たり婦(つま)は婦(つま)たり、而して家道正し。家を正しくして天下定まる。
 この卦は離の明と巽の順とで成っている。陽剛中正の夫九五が外に、陰柔中正の妻六二が内に居る。男女各々正しい位を得て、夫婦室に居るという常の経(みち)を失わないのである。乃ち男子は外に出て業務を執り、女子は内に居り家政を整える。それゆえ妻を家室と言い、内政と言うのである。
 離の明が内に在り、巽の柔が外に在り、内明らかにして外従う形である。即ち妻は家政を内に理(おさ)め、夫は内(ない)顧(こ)の患(うれい)なく、専(もつぱ)ら力を仕事に尽くすことができる。これを「家人は、女、位を内に正しくし、男、位を外に正しくすす。男女正しきは、天地之大義也」と言うのである。
 天下は国を以て内と為し、国は家を以て内と為し、家は妻を以て内と為す。陰爻が二爻に位置しており、陽爻が五爻に位置しているのは、天尊地卑・男尊女卑の義に適(かな)っている。家を齊える道は男尊女卑に在るという決まり事は、一定・不変であり、易えてはならないことである。
 天地之大義の大義は、彖辞の利の字(女の貞しきに利し)を解釈したものであって、意味深長である。天地が交感して萬物を化生し、男女各々その正位を得て、尊卑内外の分を正しくするのである。その情を相感通して、子孫継続の功を全うするのは、則ち陰陽造化の義に法っている。
 天地の大義を天道、地道、人道、易道と云うのは、感(かん)合(ごう)交(こう)和(わ)に由る。感合交和の道を外れてどうして大義があろうか。この卦は上爻を父、初爻を母、九五と九三を夫、六四と六二を妻とする。九五を兄、九三を弟と見ることもできる。父母は厳(きびし)く家を齊(ととの)える。その齊(ととの)え方は恩義を篤くすることにあり、倫理を正しくすることを目的とするのである。
 だから父母たる者は、長幼の序を定め、男女の別を慎み、施しを等しく与え、家のルールを立て、家族円満を図る。家人は相親しむものだが、必ずしも寛大である必要はない。ある程度、厳しくすべきである。だから「家人に嚴(げん)君(くん)有り。父母の謂(いい)也」と言って父母は厳しく家族を躾けるべきことを教えている。
 また父母は温情溢れているのに、厳君と称するのは、父母の温情に甘えて礼儀を失ってはならないことを示している。厳君とは主である。一国には一国の長が存在し、一家には一家の長が存在する。一家の長が厳しくなければ、紀(き)綱(こう)(重要な規則)が立たないから、下の者が一家の長に遠慮しなくなる。
 慈愛深い母をも厳君と称するのは、母が厳しくなければ家風が乱れるからである。子どもたちの過ちを母がかばって表面を取り繕うことになれば、父が独り厳しくても、子どもたちの過ちを正すことはできない。だから父母は尊厳を具えて、家庭を治めなければならない。父は父の道を尽くし、子は子の道を尽くし、兄弟夫婦に至るまで、各々その道を尽くせば、尊卑あり長幼の序あり男女の別あり、内外正しくなって家が治まるのである。
 天下は大きい。その天下を支えているのは家庭である。天下の本は国に在り、国の本は家に在る。家の本は家族に在り、家庭が治まれば天下も治まる。これを「父は父たり子は子たり、兄は兄たり弟は弟たり、夫は夫たり婦は婦たり、而して家道正し。家を正しくして天下定まる」と言うのである。
 九五は剛中の兄、九三は剛正の弟である。九五と九三の夫は家の模範として恥じることなく、六二と六四の妻は内助に恥じることがない。君臣父子夫婦兄弟朋友の交わりは天下の達道である。

□大象伝
象曰、風自火出家人。君子以言有物、而行有恆。
○象に曰く、風、火より出づるは家人なり。君子以(もつ)て言には物有り、而(しか)して行いには恆(つね)有り。
 巽は風、離は火である。風が烈しければ火は熾(さか)んになる。火が熾んになれば風は暴(あら)々(あら)しくなる。風がない日でも、火を熾んにすれば、風が起こる。それゆえ火は風を起こすものと見る。
 風が火から起こるのは、教えが閨(けい)門(もん)(家庭の風儀)から生まれ、家族を教え導くのは主の言行から生まれるのに似ている。それゆえ「風、火より出づるは家人なり」と言うのである。
 君子はこの卦象を観て、上卦巽風の行いが下卦離火の明徳に本づくことを知る。言葉は必ず礼儀を根本とする。子に対しては孝行を教え、弟に対しては友情を教える。言葉に嘘はなく、行いはその時々に適切である。典(おきて)をよく守り、礼儀正しく、立ち居振る舞いは美しいのである。
 家族を正しく教え導くときは、その善き風習は家から国に、国から天下に及ぶ。「君子以て言には物有り」とは、言葉が實(まこと)であり虚(いつわり)がないという意味である。「而して行いには恆有り」とは、言行一致して、且つ一時的に勉強するのではなく、終身怠らないという意味である。物とは事の則(のり)(法則)であり、久しく恒を守ることである。
 家族がお互い恩を感じて正しい振る舞いをしているが、愛情が厚すぎて礼儀を失する場合、妻子を畏(おそ)れさせるのは主の言行だけである。主の言行が家族を教え導くのは、誠(まことの)心(こころ)があるからである。誠心がなければ人を教え導くことはできないのである。
 上は王公の宮殿から下は匹夫の環(かん)堵(と)(狭い住宅)に至るまで、尊卑廣狭(尊い卑しい広い狭い)は同じではないが、其の究(きゆう)竟(きよう)する(行き着く)所は内外公私の二つの道に過ぎないのである。
 内は則ち内卦であり私閨(家庭)である。外は則ち外卦であり公庭(社会)である。

□爻辞(象辞)と象伝(小象伝)
初九。閑有家。悔亡。
象曰、閑有家、志未變也。
○初九。有(ゆう)家(か)を閑(ふせ)ぐ。悔亡ぶ。
○象に曰く、有(ゆう)家(か)を閑(ふせ)ぐとは、志未だ變(へん)ぜざる也。
 「閑」は門内の木、外から家を防ぐためにある。それゆえ「ふせぐ」と訓(よ)む。文言伝に、所謂「邪を閑(ふせ)ぎて其の誠を存す」の閑と同じである。内に閑(ふせ)ぐときは、不善の萠(きざ)しを消し、凶害(わざわい)が漸次に起こるのを防ぐ。また、規(き)矩(く)(手本、規則)という意味もある。
 論語(子張篇第二章)に所謂「大徳は閑(のり)を踰(こえ)ず」の「閑」である。初九は陽剛の才能と力があって、位が正しく、家人の初めに在るので、新婦の象、家を有(たも)つ始めである。憂(うれ)い勤め惕(おそ)れ厲(あやぶ)む道が殷(さか)んで、この段階では耳目心志の慾(意欲的な心のあり方)はほとんどないのである。
 一家を有(たも)つ道は、邪を去り、正に就き、驕(きよう)奢(しや)を防ぎ、倹約を守り、多くの事を好まないこと(欲が多くないこと)が肝要である。これを閑(まも)るに法(はつ)度(と)(法令、禁止のおきて)を以てしなければ、人情は易きに流れ、自戒することを憚(はばか)るようになる。長幼の序を失い、男女の区別が乱れ、恩義を大切にしなくなる。倫理を害(そこな)い、堕落するのである。
 だから、初心から離れないように、善き生活態度を守り、男女の準(じゆん)縄(じよう)(規則、手本)の中に規範を求め、長幼の決まり事を大切にする。父母兄弟姉妹の役割分担を全うし、怠け心が生じるのを防ぐ。お互いの短所を認め合い長所を伸ばす。家族が不和になることを防止して、簡素な生活を心がける。節約し、驕り高ぶらないよう気を付け、信頼関係を醸成する。家族としての大義を明らかにし、お互いに背き憎しみ合うことがないようにする。
 初九は不中ゆえ時々過失を犯し、悔いることもあるが、陽剛の才能と力があるから、礼譲を守り、邪悪を防ぐことができる。一家は安寧となり、やがては善き新婦となる。だから「有(ゆう)家(か)を閑(ふせ)ぐ。悔亡ぶ」と言うのである。
 象伝に「志未だ變(へん)ぜざる也」の「志」とは一家の人の志を指している。家人の初めに中り、邪悪を防ぐことを云う。家人の初め、衆(みんなの)志(こころざし)(家族和合の志)の未だ変じていない時に、豫(あらかじ)め邪悪を防ぐのである。衆志が変じてしまえば、邪悪を防ごうとしても、人情は乖離し、家族の恩を忘れて、家族の大義を失うことになりかねないのである。

六二。无攸遂。在中饋。貞吉。
象曰、六二之吉、順以巽也。
○六二。遂(と)ぐる攸(ところ)无(な)し。中(ちゆう)饋(き)に在り。貞にして吉。
○象に曰く、六二の吉は、順にして以て巽なれば也。
 「遂(と)ぐる攸(ところ)无(な)し」とは、事を専制しないことである。「中(ちゆう)饋(き)」とは、朝夕の食膳を始め食事に関する全ての家事を行うことである。紡績・織(おり)縫(ぬう)こと(お裁縫)をも兼ねている。「中饋」の「中」の字は、守るという意味と、中位の象(家庭で働く中心的な存在)とを兼ねている。神仏・神棚と仏壇・を大切にすることを「饋(き)」と言うのである。
 六二は婦妻(つま)の位に在り、中正の徳を備え、九五(夫)に応じ、明るい性格(離の主爻)である。柔順貞正な婦人が九五の中正な夫に従事している。婦人の正しい道を歩んでおり、文句の付けようがない。婦妻(つま)は一人の夫に従って、人生を全うしている。自分のやりたいことを優先して家庭を疎かにしてはならない。それゆえ「遂(と)ぐる攸(ところ)无(な)し」と言うのである。
 家庭を疎(おろそ)かにして惑い、迷うところなく、家庭を疎かにして社会的な活動に奔走するような失(あやまち)なく、家庭を顧みずに外でやりたい放題に活動するなどあってはならない。家を治める道は、丈夫(おとこ)は外で勤労に励み、婦妻(つま)は家庭を守り、家事をよく勤めて、祖先の祭祀を絶えさせないことにある。それゆえ「中(ちゆう)饋(き)に在り」と言うのである。
 夫婦が節操貞正なら吉運を招くので「貞にして吉」と言う。貞の字は彖辞(卦辞)の「女の貞しきに利し」の貞である。貞正貞恒貞節の諸義を兼ねる。女子は知恵があっても社会に活かすことは難しく、家庭を守ることに適している。外出ばかりして家庭を疎(おろそ)かにすれば、周りの人から誹(そし)られ、やがて家庭不和を招き、終には家庭は崩壊するのである。
 象伝の「順にして以て巽なれば也」とは、婦妻(つま)は柔順中正の徳を具えて夫に随い家政を治めるべきることを説いている。

九三。家人嗃嗃。悔厲吉。婦子嘻嘻。終吝。
象曰、家人嗃嗃、未失也。婦子嘻嘻、失家節也。
○九三。家人嗃(かく)嗃(かく)たり。悔い厲けれども吉。婦子嘻(き)嘻(き)たり。終に吝。
○象に曰く、家人嗃(かく)嗃(かく)たりとは、未だ失わらざる也。婦子嘻(き)嘻(き)たりとは、家節を失う也。
 「嗃(かく)嗃(かく)」とは呵責の嚴(げん)厲(れい)(はげしき)なる形容である。「嗃(かく)」の字は、口に従い高きに従う。その声を高くし教(きよう)誨(かい)する(おしえ)ことである。「嘻(き)嘻(き)」とは、娯楽の笑い声を形容している。「嘻(き)」の字は、口に従い喜びに従う。言語を和らげて人を悦ばせることである。
 九三は過剛不中にして、離火炎(えん)焼(しよう)の極に居る。それゆえその性質短急で(うまれつきみじかく)また下卦の上に居て、家人を叱ること厳格に過ぎて、火が野原を焼くようである。だから「家人嗃(かく)嗃(かく)たり」と言って、一家の人、火氣に薫(くん)灼(しやく)(いぶ)せられ、その烟(けむり)に堪えられずに、みな怨み言を漏らすほど厳しく家人を教え導くのである。
 離の三は烟(けむり)である。家を治める道は、寛大に過ぎてはならない。そうかといって猛(たけき)に過ぎてはならない。中道を得るべきである。中道を外れて猛に過ぎれば、家族は背き合うようになり、終には家族崩壊にまで至るのである。そうなってから後悔しても遅い。厳しすぎたと後悔してすぐに改めれば、一時的にはギクシャクしてもすぐに仲直りできる。
 家政は寛大に過ぎるよりも、やや厳し過ぎるほうがよい。主が厳しく教え導けば家族は慎み畏れる。それゆえ「悔い厲けれども吉」と言い、象伝にも、「嗃(かく)嗃(かく)たりとは、未だ失わらざる也」と言って、寛大に過ぎるよりも、やや厳しすぎるほど教え導くべきと説いているのである。
 九三は互体(二三四)坎水の主爻、過剛不中なるが故に、厳しさを失えば、溺愛に流れる。坎は一陽の男子が、二陰の婦女に惑溺するという象だからである。九三が六二と六四との両陰に親しみ、二女を左右に擁して、日夜娯楽を事とするようになれば、家政は忽ち乱れて、収拾がつかなくなる。これ鄙(ひ)吝(りん)(いやしき)の極にして、家を失う兆である。だから「婦子嘻嘻り。終に吝」と言い、象伝にも、「家節を失う也」と言う。
 「家節を失う也」とは、家政放縦にして、淫(いん)逸(いつ)に流れる者は、一時は和気藹々としていても、易きに流れて怠るようになり、家庭はだんだん乱れて、終には滅亡に至ることを云う。
 火は猛々しく烈(はげし)い。人は懼れて立ち居振る舞いを慎むようになる。水は柔らかくて弱い。人は侮って悪癖に溺れるようになる。家を齊える道も同じである。嗃(かく)嗃(かく)は義を立てて情に流されない。厳し過ぎることがあっても反省すれば、家族は和合する。嘻(き)嘻(き)は情を立てて大義を失う。和楽余りあって、家節を失うのである。
 婦人が夫の放縦を憂慮し、嗃(かく)嗃(かく)以て家を保とうとするのは吉だが、家事を恤(うれ)えず、嘻(き)嘻(き)として朝(ちよう)歌(か)(朝歌い)暮(ぼ)宴(えん)(暮れに飲む)し、笑い楽しみ節がないのは、破滅の兆である。

六四。富家。大吉。
象曰、富家、大吉、順在位也。
○六四。家を富ます。大吉。
○象に曰く、家を富ます、大吉とは、順にして位に在る也。
 六四は巽順の主(上卦巽の主爻)として、柔正の徳を備えて九五の君と陰陽比している。家政を任された妻として、家計を豊かにして、社会や国家に貢献しているのである。夫婦共に家を治めていても、妻が婦徳を失えば家庭は乱れる。妻の婦徳があるから「家を富ます」ことができるのである。
 この卦は、四陽二陰で、二陰は共に位が正しく、四陽が政(まつりごと)を為して、陰はこれに従う。すなわち、夫が主として家を治め、妻は夫から家政を任されているのである。家が経済的に豊かになるのは、社会や国家が治まることにつながる。六二の妻が柔順中正の徳を以て夫に随い家政を治めるのは家庭が和合する始まりである。六四の「家を富ます」は家族円満の理想的な形である。家族円満の理想的な形が家計が豊かになることである。以上を「大吉(大いに家庭が調和する)」と言うのである。
 経済的に豊かになることは、家庭や家族の小さな幸せから始まり、大きな幸せは社会や国家が経済的に豊かになることである。六四は家においては、一家の長老である。国においては、一国の宰相である。天下においては、天下の総理大臣である。以上のことから、家政がよく治まれば家計が豊かになり、社会や国家がよく治まれば社会や国家の経済が豊かになり、社会や国家が豊かになれば、社会や国家の人々はみんな幸せになる。これが理想的な幸福社会である。それゆえ「家を富ます。大吉」と言うのである。
 象伝の「順にして位に在る也」とは、妻が夫に従順に従って家政を任されていることを云う。妻が夫に従順でなければ、家計を豊かにすることはできない。妻の努力によって家計は豊かになる。妻に柔順の徳があるから節約や倹約を積み上げることができる。節約や倹約を積み上げるから家計を豊かにすることができる。
 六四類型ある易経の物語の中には、「大吉」という言葉がかけられている物語が五つある。家人、萃、升、鼎、小過の五つである。皆(いずれも)人間がより善い社会を築き上げるための大切な物語である。一方、「元吉」という言葉がかけられているのは、善き時の物語である。大吉と元吉の違いは以上の通りである。

九五。王假有家。勿恤吉。
象曰、王假有家、交相愛也。
○九五。王、有(ゆう)家(か)に假(いた)る。恤(うれ)ふる勿(なか)れ。吉。
○象に曰く、王、有(ゆう)家(か)に假(いた)るとは、相(あい)愛(あい)する也。
 五爻は、国の場合は王様の位、家庭の場合は夫の位。王の名は組織の長に用いられる。「恤うる勿れ。吉」とは、吉運を願っているわけでもないのに、自然に吉運を招き寄せることである。
 九五は剛健中正で、六四と陰陽親しく比しており、六二と陰陽正しく応じている。国政に例えれば、側近的存在の部下と賢臣的存在の部下に政治を任せて国家を泰平に統治している。
 風火家人の時は、天下を治める本質は自分自身を養い修めて家族を和合することから始まる。円満な家族が増えれば、家族の集合体である社会や国家が治まることは当然の結果である。
 大きな組織に例えれば、天下国家を君主と臣下が協力して平和に治めることであり、小さな組織に例えれば、一つの家庭・家族を夫と妻が協力して幸せな家庭を築くことである。それゆえ「王、有家に假る。恤うる勿れ。吉」と言うのである。
 象伝の「交(こも)々(ごも)相(あい)愛(あい)する也」とは、剛中の君主九五が柔中の賢臣六二と陰陽相応じて剛柔相助け合うこと。君主(夫)と賢臣(妻)が相思相愛という意味である。卦名が家人と付けられたので、夫は賢い妻に家政を任せ、妻は勤勉な夫に一生を託す。夫も妻もそれぞれが恩を感じ、愛し合い、親しんで和合するのである。
 九五は貞淑な女性と結婚したのである。その女性は家事も得意であり、九五は勤勉でよく稼ぐ。妻は良妻賢母でよき家風を醸成して、夫に逆らうようなことは微塵もなく、夫婦合い睦まじく和合している。家を治める道は厳しく躾けることが必要だが、厳しすぎてはならない。九五は時には厳しく時には寛大なので、家族から信頼されて吉を得るのである。
 初九の「有(ゆう)家(か)を閑(ふせ)ぐ」は家を治める道の始めであり、九五の「王、有(ゆう)家(か)に假(いた)る」は家を治める道の完成である。
 昔から王様とお后(きさき)様の関係は、愛憎安定せずに不安定になりがちであるが、九五と六二は、それぞれが道を尽くして相思相愛である。それゆえ「恤(うれ)うる勿(なか)れ。吉」と言うのである。

上九。有孚威如。終吉。
象曰、威如之吉、反身之謂也。
○上九。孚(まこと)有り威如たり。終に吉。
○象に曰く、威如の吉は、身に反(かえ)るの謂(いい)也。
 「孚」とは至誠・真心・誠・誠の心・信頼できる人物のことである。家庭円満の秘訣は、お互いに真心から相手を思いやることである。子どもたちが父母を尊敬して、母親の慈しみの心と父親の威厳で家庭を治めることが肝要である。
 お互いに心の底から喜び合うようでなければ、一寸したことで背き合い、嫉(ねた)み合うことになる。
 父母が威厳を具えており、子どもたちが父母を敬い畏れる心がなければ、怠惰な心が芽生えてくる。また、父母が真心に満ち溢れていても、威厳を具えていなければ、子どもたちは父母を尊敬しないので、家族の関係が乱れていく。
 だから、父母は子どもたちに対して威厳を示し、家人に対し真心をもって接するのである。子どもたちは父母を尊敬して、敬愛するようになり、立ち居振る舞いがきちんとしてくる。家庭は円満となり、父母は子どもたちを慈しみ、子どもたちは父母に恩を感じる。その家が益々栄えていくことは疑いようもない。
 上九は陽剛の性質を有して最上位に居り、家庭円満な物語の最後の段階で、家庭は益々円満になる。上九は威厳のある家の主、大家族の家長や父親の位である。家庭や家族の問題は、礼儀作法が乱れることから起こる。それぞれが自分勝手に振る舞えば、家族がばらばらになる。父母や祖父母など年長者が威厳を失い、子どもたちなど年少者が柔順さを失えば、家庭が乱れないわけがない。だから「孚有り威如たり。終に吉」と言うのである。
 象伝に「身に反(かえ)るの謂(いい)也」とあるのは、父や兄など年長者が自分の身を修めることができなければ、子や弟など年少者の問題のある言行を注意しても、子や弟は言うことをきかないと云うことである。だから聖人と称される立派な人物は、自分には甘いのに、人には厳しいことを恥ずかしいことだと恐れる。
 家庭円満の秘訣は、家の主が自分を修めることにあるのだから、自分が自分の言行を顧みて、反省すべき所は反省して、改善できるところは改善することが肝要である。しかも、威厳は君子の勲章だから、一時たりといえども、威厳を失ってはならない。威厳は外部から入手するものではない。自分が心を磨いて身に付けるものである。
 威厳を養う方法は、人を尊敬する心を身に付け、、大義を抱いて正しい社会的活動を行い、誰も見ていなくてもきちんとしており、隠し事をすくことなく、何があっても微動だにしない威厳を醸成することである。せっかく身に付けた威厳を失うのは、色恋沙汰によることが多い。家庭円満の秘訣は、夫は妻を守り、妻は夫に尽くすことにある。
 初爻に「閑」、三爻に「厲(れい)」、上爻に「威」とあるのは、家庭の中における男性のあり方である。二爻と四爻の象伝に「順」とあるのは、婦人の道である。五爻は剛健の性質で中庸の徳を備えており、厳しくしてしかも泰然としてゆったりしている。上爻は位が正しくなく、家庭円満の時の終局ゆえ、家庭円満が乱れやすく、家庭円満から不和に転じかねない時である。
 上爻の物語は、家事について語らずに、自分の身を顧みて修めることを語る。一寸でも怠る心が生ずれば、あっという間に家庭円満から不和に転ずる。慎まないわけにはいかない。
 三爻の性質が剛健に過ぎるので、家族間の親和が乱れて妻や子どもが夫や父親を恨み悲しむことになりかねないので、夫や父親は後悔することもある。
 五爻は寛大な心と厳しさを兼ね備えているので、家族は和合する。二爻に「遂ぐる攸(ところ)无(な)し」とあるのは柔順に五爻の夫に仕えると云うことである。五爻に「王有(ゆう)家(か)に假(いた)る」とあるの五爻は主としての役割をよく努めて、しかも寛大だから、慈しみの心をもって家族に接すると云うことである。
 火天大有の五爻に「厥(そ)の孚(まこと)交(こう)如(じよ)たり威(い)如(じよ)たり」とあるのは、五爻が陰爻なので威厳を失うことを心配しているのである。家人の上爻の「孚有り威如たり」とは、陽剛の性質を具えているので自らを律する厳しさがあると云うことである。
 易経の六十四類型の物語の中で、家人のように、初爻から上爻まで六つの爻全てに「吉」という言葉がかけられている物語はない。だが、同じ「吉」でも、始めの段階は実現しやすく、終わりの段階は実現し難い。至誠の心と威厳が具わっているから、「吉運」を招き寄せることができるのである。

 

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