とことん責めた果てに、見えるもの | 心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba

心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba

見えないけれど、やさしく包んでくれる。
風のように、水のように、普通の幸せに気づける、
そんなお話をお届けしようと思います。

⚫︎このブログは、2021年4月より、

心屋仁之助に代わり

心屋オフィシャル入門インストラクターと

オフィシャル認定講師によってお届けしています

 

 

心屋塾入門インストラクターの

ゆみっち、こと林由美です。

 

 

 


私は

カウンセリングで

 

 

 

「自分を責めないでね」と

よく言います。

 

 

 

「自分を責めてることに気づいてね」とも

よく言います。

 

 

 

「気づくだけで、自分責めは終わっていける」とも。

 

 

 

これらの言葉を

ほぼ100%の確率で言ってます。

 

 

 

私のカウンセリングを受けに来てくださる方は

自分責めの人ばかり、だからです。

 

 

 

(気づいてる人も、無自覚の人も)

 

 

 

 

そして

自分責めがいかに苦しいか、いかにしんどいかを

心底、知っている私は

 

 

 

それが口癖のようになるのも

ある意味、当然のような気がしていました。

 

 

 

だけど。。。。

 

 

 

それも違う、、、と

 

 

 

ある時、ふと思ったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は

過去の自分を思い出すとき

 

 

 

自分責めがいかに苦しいか

 

 

 

そのことばかりに

フォーカスを当ててきたけれど

 

 

 

大事な、もう片方の側面を

見過ごしてきたことに気づいたのです。

 

 

 

その片方の側面とは。

 

 

 

それは

 

 

 

当時の私は

「自分責め」をすることで

 

 

 

やっと

 

 

 

「これで私は生きていい」

 

 

 

そう思ってた、ということです。

 

 

 

変に聞こえるかもしれないけれど、

理解不能に思われるかもしれないけど、

 

 

 

当時の私は

確実にそう思っていました。

 

 

 

「こんなにも自分を責めているのだから

 

こんなにも苦しんでいるのだから

 

これなら生きてていいでしょ?」

 

 

 

こんな感じです。

 

 

 

だから

そう考えると

 

 

 

当時の私に

どんなに

 

 

 

「自分責めは苦しいでしょ?

 

だから、やめようよ?」

 

 

 

そんなことを言っても

聞く耳は持たなかっただろうし

 

 

 

きっと、自分責めはやめなかったでしょう。

 

 

 

だって

苦しむことで、

生きていい許可を、自分に出しているのだから。

 

 

 

自分を責めることが

唯一の

私の生きる手段、だったのだから。

 

 

 

なのに

もし、それを

 

 

 

カウンセリングという名のもとに

「正しい顔をして」

 

 

 

「やめましょう」と言われたら

 

 

 

「この人、何もわかっていない」

 

 

 

そうなっても

これもある意味、当然なわけで。

 

 

 

「私の生きる支えを奪おうとするの?」

 

 

 

そう思うのも、ごく自然のような気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろん

自分責めは、するよりは、しないほうがいい。

 

 

 

そして

それをしなくなることで

 

 

 

生きることは

格段にラクになることも間違いはない。

 

 

 

だけど

人によったり

状況によったり

時期によったりすると

 

 

 

その悪の根源に見られている

「自分責め」でさえも

 

 

 

悪いだけのものではない、と

過去の私が教えてくれました。

 

 

 

そして

そんなふうにして

 

 

 

「自分責め」を手放したくない人

ある意味、支えにしている人は

 

 

 

責め切ること、しかないと思います。

 

 

 

どんなに苦しくても、です。

 

 

 

「自分責めはやめようね」

 

 

 

それは、

こちらの価値観の押し付けに過ぎないのだから。

 

 

 

とことん、苦しむことに

納得するしかないのだから。

 

 

 

私にできるのは

 

 

 

責めるのは苦しい

責めるのはしんどい

 

 

 

だけど

そうやって生きていきたいんだよね。

 

 

 

そうすることで

やっと生きられるんだね。

 

 

 

だったら

 

 

 

私が見ていくよ。

私が聞いていくよ。

 

 

 

あなたの苦しさを。

あなたの自分責めを。

 

 

 

そうやって

生きていこうとする、あなたの生き様を。

 

 

 

私が横で見守っていく。

 

 

 

そして

もし

 

 

 

「もう、そろそろ、どうにかしたい」

 

 

 

そんな声が聞こえてきたら

 

 

 

ゆっくりと時間が流れて

あなたの心が動き始めたら

 

 

 

横にいる

私が

 

 

 

「そうだね。そろそろ、ラクになっていこうね」

 

 

 

「十分苦しんだよ。よく頑張ったね」

 

 

 

そう言ってあげたいな、と思ったのです。

 

 

 

 

過去の私は

そうしてほしかったのだろうな、と思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、まるで

 

 

 

目の前で、手首を切ろうとする

自傷行為を見守ることに似ているかもしれません。

 

 

 

自分で、自分の心を傷つけていく。

 

 

 

自分で、自分の心を裂いていく。

 

 

 

だけど

そうすることで

 

 

 

別の痛みを紛らわしているのなら。

 

 

 

それさえも、大切な行為。

 

 

 

生きていくための、自分を守る行為、なのだから。

 

 

 

あれほど自分責めをしたかった

過去の私に

 

 

 

「責めたいんだね。

責めたいだけ責めていいんだよ」

 

 

 

誰かが

そう言ってくれたなら

 

 

 

もしかしたら

私に、別の視界、別の発想が芽生えてたようにも思います。

 

 

 

自分責めが、あまりにも苦しくて

死のうとした過去の私に

 

 

 

「死にたいんだね。そう思ってもいいんだよ」

 

 

 

誰かがそう言ってくれたなら

 

 

 

私は

自らの意志で

生きようとする選択肢も、手に入れられたような気もします。

 

 

 

死んでもいい、という許可のもとで

初めて選択肢が得られることもあるのです。

 

 

 

あの頃の私は

「死ねないのだから、生きるしかない」

 

 

 

死のうとする自分を責め

そして、死ねない自分を責め

 

 

 

生きることも

 

 

 

死ねないのだから、仕方ない。

 

 

 

そんな諦めの世界で、

死んだように生きていた、のです。

 

 

 

そんな生き方しか

知らなかったように思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もし

今、私の目の前に

 

 

 

かつての私のような人が

座ってくれるなら。

 

 

 

私は、

逃げもせず、怒りもせず、諭しもせず、泣き叫びもせず

 

 

 

心の変化を、時の流れを、命のたくましさを

 

 

 

ひたすら祈り、信じ

 

 

 

ただ、見て聴いて

見守っていきたいと思うのです。

 

 

 

▼今回の記事担当は、ゆみっち、こと林由美でした。

ブログ: https://ameblo.jp/yumi221379/entrylist.html

 

 

 

 

▼心屋のInstagramができました

  アカウント名: kokoro.ya

 
  心理学を学べるコミュニティ
心屋オンラインサロン『ココサロ』 

▼心屋塾のエッセンスを知れる講座
入門講座

 

 

▼人生が変わるヒント満載の動画講座(無料)
7日間無料動画講座

 

★心屋・心屋塾の公式サイト

心屋公式サイト

 

▼心屋メールマガジンも再起動!(無料)

 

▼笑える!インターネットラジオ番組(無料)
Podcast

 

▼70種以上におよぶ心屋の著書一覧
著書一覧

 

▼毎日の言葉を届けるスマホサイト(有料)
ひかりの言葉

 

★重要記事

前者後者