責め切るという許し | 心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba

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見えないけれど、やさしく包んでくれる。
風のように、水のように、普通の幸せに気づける、
そんなお話をお届けしようと思います。

⚫︎このブログは、2021年4月より、

心屋仁之助に代わり

心屋オフィシャル入門インストラクターと

オフィシャル認定講師によってお届けしています

 
 

 

心屋塾入門インストラクターのゆみっち、こと林由美です。

 

 

 

 

「不登校・ひきこもり」の子どもがいらっしゃる

ご両親のお話を

 

 

 

今まで、たくさん聞いてきて。

 

 

 

私がよく感じるのは

 

 

 

「責め切れていない」ということです。

 

 

 

もし

親が子どもに対して、できることがあるとすれば

 

 

 

「きちんと責めさせてあげよう」

 

 

最後に残るのは

これしかない、と思っています。

 

 

 

親を責めて、責めて、責めて

 

 

 

そうして初めて

 

 

 

子どもは、ようやく自分と向き合えるようになれる。

 

 

 

親を責めたって仕方ない。

自分の人生は、自分で引き受けていくしかない。

 

 

 

そこで、やっと、そう思えるようになるのです。

 

 

 

親を責め切れていないうちは

 

 

 

「育ててくれた」とか

「親も頑張ってた」とか

 

 

 

親にも、そんな言い訳をつけてあげられるように

 

 

 

自分自身にも、たくさんの言い訳を作って

 

 

 

自分の人生の責任を負おうとしないし、負えないのです。

 

 

 

親が子どもにしてあげられること。

 

 

 

その最後に残るものは

 

 

 

子どもに「きちんと責めさせてあげること」

 

 

 

そして

 

 

 

それを親が

覚悟を持って、引き受けること。

 

 

 

「悪かった、すまない」という態度。

 

 

 

子どもが、しんどくて苦しかったのは

間違いなく事実なのだから

 

 

 

そこに親の言い訳は存在しません。

 

 

 

ただ、その責めを引き受ける。

 

 

 

そこから

子どもは

 

 

 

自分の人生を、自分ごとと捉え始めるのです。

 

 

 

そうやって

親の責任と、自分の責任の境界線を

ひけるようになっていくのです。

 

 

 

 

そうさ、誰のせいでもなくて、僕の問題だから

僕のことは、僕でしか変えることができないんだ

 

(SEKAI NO OWARI  銀河街の悪夢より)

 

 

 

 

 

この境地へ行けるのは

 

 

 

「親をちゃんと責めること」

 

 

 

そこを通過する以外にないと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして

これは、「ひきこもり」に限った話ではありません。

 

 

 

親と子ども、の関係性と似たような

 

 

 

上司と部下、とか

 

 

 

夫と妻、とか

 

 

 

先生と生徒、とか

 

 

 

どうしても

発言力の強さに差が出てきてしまう関係性においては

 

 

 

強い方は、その弱い方の責めを受け止める必要があると思います。

 

 

 

(責め、というよりは意見、気持ち、主張、かもしれない)

 

 

 

そこに言い訳をつけずに

ただ、

 

 

 

そうなんだね。そう感じるんだね。すまない。

 

 

 

強い立場である相手からの、その対応が

弱いとされる人たちの、自立や自尊心や向上心を

 

 

 

自分自らが育てていける原動力になります。

 

 

 

「私ができることはなんだろう?」

「私も変わっていく必要があるよね」

 

 

 

相手をきちんと責めた、その後で

 

 

 

自分ごととして

その人自身が、自分を育んでいくようになれるのです。

 

 

 

やはり

どんな場面でも

 

 

 

責める行為は必要なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして

 

 

 

責められる方は、

責められることによって嫌な思いをする?

 

 

 

そう感じてる時点で

 

 

 

自分が自分を責めている、ということにも気づいてほしいのです。

 

 

 

親も、上司も、夫も、先生も

 

 

 

まず

自分が自分を責めているから

 

 

 

「責められたくない」

 

 

 

よって

「相手にこれ以上、責めさせないようにしている」

 

 

 

そうなっていないでしょうか?

 

 

 

責めてくる張本人も(弱い立場の人も)

 

 

 

あなたを責めているようで

実は、違う。

 

 

 

「わかってほしい」

 

 

 

相手の気持ちは

ただ、それだけだということを

 

 

 

あなたが実感するためにも

 

 

 

相手に、きちんと責めさせてあげてほしいのです。

 

 

 

そして

もしかしたら

 

 

 

あなた自身も、

まだ誰かをきちんと責めることができていないのかもしれません。

 

 

 

きちんと相手を責めることができた人にしか

 

 

 

「責める」の本当の意味がわからないし

その責めを引き受ける実感も、感じられないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人をきちんと責めることで

 

「自分の本心」「自分の実存」「人との境界線」に近づいていきます。

 

 

 

 

 

人からきちんと責められることで

 

「自分の責任」「自分の役割」「自分の範疇」に気づいていきます。

 

 

 

 

 

どうか

責めること

責められることに

 

 

 

臆病にならないで。

 

 

 

そうさ、誰のせいでもなくて、僕の問題だから

僕のことは、僕でしか変えることができないんだ

 

(SEKAI NO OWARI  銀河街の悪夢より)

 

 

 

 

誰もがそう思えることができたら。

 

 

 

私は

そんな世界は

「責める」こととセットになっていると思うのです。

 

 

 

 

▼今回の記事担当は、ゆみっち、こと林由美でした。

ブログ:https://ameblo.jp/yumi221379/entrylist.html

 

 

 

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