僕らは
「有ったものが無くなる」のが怖い。
「最初から無かったら、無いままで幸せ」
なのに。
そもそも無かったのに
意識さえしたことがなかったのに
いちど「ある」と
「なくなる」のが怖い
たとえば「スタバ」(笑)
たとえば「快適な生活」
たとえば「スマホ・パソコン」
たとえば「電気」
たとえば「水道」
たとえば「車」
たとえば「ウォシュレット」
たとえば「冷房」
たとえば「おいしい店」
たとえば「大好きなアーティスト」
たとえば「テレビ、ラジオ、本」
たとえば「ペット」
などから始まり
(個別の例えについての賛否は言わないように)
たとえば「心屋」(笑)
たとえば「パートナー」「恋人」
たとえば「引き締まったお腹」
たとえば「友達」
そして、たとえば
「お金」
「空気」
「愛情」
「承認・名誉・役職」
全部
いちど「ある」を体験したからこそ
それが「ない」になりそうになると、怖い。
当然ですよね。
いちどでも「愛された」経験があるから
「また」愛されたい、と思うし
「愛されなくなる」ことが怖い。
つまり
「愛されたことがある」わけです。
お金の恐怖っていうのも、
そういうものです。
お金が「ある」から
お金が「あった」から
無くなるのが怖い。
減るのが怖い。
うちの田舎の住職から
「ひとは、何も持たずに生まれてきて
やがて折り返し、
少しずつ捨てて
何も持たずに死んでいこう」
というような話がありました。
「人生の折り返しも
マラソンの折り返しも
折り返し次点を曲がったところで
すべての景色が逆に見える。」
つまり、折り返しの「逆の風景」も、
そもそも、「あった」のです。
「行く」ときには見えなかっただけで。
「何もない」も、
そもそも「あった」し「経験」してきた。
「ある」のに
「見えない」「見えていない」だけなのだ。
刷り込まれてきたことが
教えられてきたことが
経験してきたことが
「なくなる」の恐怖を作っています。
そろそろ・・・
色んなものを
「不安」からの「足し算」ではなくて
色んなもの
「安心」から、「捨てて」いきませんか(*^▽^*)
捨ててみて初めて
「なくなる幻想」から目が覚めるのかもしれませんね。
こんな時代も「あった」
その頃の記事のリメイクでした。
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