自分を生きていこうと
自分を解放し初めてから
わたしはこんなに
自分勝手で
本当はこんなこと
感じていて
あんなこと
思っている
こんなに腹黒くて
醜い自分なんですって
パートナーに
告白してきました。
いまもなお
日々告白してます。
わたし本当に
自分のことで
いつも一杯でね
でもそれだと
愛されないと
信じてたから
すごく頑張って
自分を押さえてきた。
*
でね、
わたし大切なのは
出来ごとを通して
なにを感じてるのか
なにを思ってるのか
なんでそう感じる
わたしがいるのか
なんでそう思う
わたしがいるのか
そこを向き合うと
出てくるんです。
いままで
誰にも言えなかったこと
こわくて
言えなかったことが
内側から
溢れてくるの。
でね
勇気を出して
今まで言ったことないことや
言えなかったことを
言うとね不思議なんだけど
勝手に癒えていくんです。
続きもぜひ読んでほしい↓
壱岐に一緒に行った、緑の服の彼女のブログです。
心屋(こころや)です。
うちも、いま、例の事件をきっかけに
色んなこと話してる。
それぞれが我慢していたこと
言えてなかったこと
勘違いしていたこと
望んでいたこと
諦めていたこと
本当は嫌だったこと
本当はしたかったこと
お互いのそんなものが
ボロボロ出てくる。
怒りに任せて
悲しみに任せて出るときもあれば
ただ、ぽろっと出るときもある。
素朴な疑問から出てくる時もある。
その素朴な疑問に答えるのが
なかなかの怖さでもあったりして。
「出来事」「問題」って
その根っこは、
「言えない」ということなんだなって思う。
「本当のことが言えない」
「本当の気持ちが言えない」
ということ。
「本当のこと」って、怖い。
「言えない」から、いつまでも「癒えない」
で、なぜ「言えない」のかというと
「それを言ったら終わりだ」
「それを言ったらキラワレル」
「ここにいられなくなる」
「関係が崩壊する」
ここに触れるとき、怖い。
その恐怖の底には「罪悪感」がある。
やっぱり、罪悪感に行きつく。
罪悪「感」つまり、罪悪だと「思っている」、
悪いこと、いけないことだと思っているから
「言えない」し「言わない」
言えないから、いつまでも癒えない=安心できない
だから、いつまでも隠す、ウソをつく、
だから、言えないし癒えない、のループから抜け出せない。
ここを抜け出せないと
「何かを抱えたまま」になる。
それは、決してネガティブなものだけでなく
「ほんとは、すき」
「ほんとは、キライ」
こんな単純なことだったりもする。
でも「それを好きと言ってはいけない」「キライと言ってはいけない」
縛りがある。恐怖がある。
そして、
「それを言ったら終わりだ」
「それを言ったらキラワレル」
「ここにいられなくなる」
「関係が崩壊する」
ということは、根底に
「そんなこと明かしたら愛されなくなる」
「自分の正体をすべて見せたら愛されない」
という、恐怖がある。
だから
愛されているかどうかを、いろんな出来事を通じて見張り
愛されているかどうかを、いろんな出来事を通じて試す。
ここに「やっぱり」の罠を自分で仕掛けているのかもしれない。
でも、そういったものも
出来事をきっかけにお互いが少しずつ
白日の下に、天日にさらしていくことで、
パンドラの箱を開けることで、
いま
「愛されてないという勘違い」
「意図が伝わってないこと」
「本当はやりたかったこと」
そんな、
心の奥底に隠れていた「希望」が見えてくる。
ひとつひとつ、癒えていく。
「墓場まで持って行け」
なんていうひともいるでしょう。
それはそれでいいと思う。
そうしたいひとはそうすればいい。
でも、僕の場合、
もしそんなことしていたら
気づけなかったことが、
見えなかったことが、
山ほどあったと思うのです。
いままで「そのくらいいいよ」と思っていたことも
経験する前と
実際に経験してからとでは
ひとは感じることも言うことも変わる。
それが今回の発見でした。
たとえお互いが
身を切り裂かれるような思いをしたとしても。
また本人が墓場まで持って行こうとしても
神さまのいたずらでそう「ならない」ときもあるし、そのときは
今度は「こそこそしてないでちゃんと言って欲しかった」とか言いだすんです。
これも経験したことのない人にはわからないのです。
だから
目の前の「見た出来事」や問題について
その善悪や功罪について論じることは
ほんとうに無駄なことで、
終わりのないダミーとの戦いだとまた実感しました。
誰かに罪をかぶせて断罪して収束させて
何も見えずに終わってしまう。
「見える出来事」は、
やっぱり、ただの「きっかけ」であり
問題の根っこをいまつかもうとしています。
そんななか、二人の会話から
奥さんのものすごい才能を見つけたのです。
これはとてつもなくデカいことになるんじゃないかなと思うし
これからの僕にも大きなかかわりが出来ることでもあると思うのです。
世間の言う幸せ
「みんな」の思う幸せ、とか
仲良しの夫婦とは、
ケンカしない夫婦なのか
ちゃんとケンカできることなのか
そんなことさえも
価値観が違っていたりして
ほんとうにいまは
色んな宝物のカケラを拾っています。
一番大切にしたいものの
優先順位が違っていたりすることもある
そして、どんな形であっても
相手に好きにしていて欲しいし、輝いてほしい
自分らしく生きて欲しい、
そう思うのです。
「愛されてないという勘違い」
「意図が伝わってないこと」
「本当はやりたかったこと」
「それを言ったら終わりだ」
「それを言ったらキラワレル」
「ここにいられなくなる」
「関係が崩壊する」
そんな「言えなかったこと」「ほんとうのこと」に
僕たち(僕だけ?)は向かい合いたかっただけなのかもしれない。
ホントに大変な人体実験をし始めてしまったものだ。
もうボロボロでその上に畳みかけるような出来事まであってもう・・・
ま、これも
「ひとを傷つけといてキレイゴト言ってまとめてんじゃねーよ」
って言うひともいるんだろうね。
ええ、おっしゃる通りですよ。
どうぞ好きに。
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