歪んだ努力をしているひとは感謝しない
感謝「したほうがいい」と思っているだけ。
感謝していないからこそ
感謝しなければと思う。
その方が、
「幸せになれる」「結果がでる」から。
これが「Do感謝」「打算」 「取引」
しあわせなひとは感謝「してしまう」
しあわせなひとは感謝「しかない」
それは
努力していないから
それは過信していないから
それは迷惑かけているから
それは好き勝手やらせてもらっているから
それは恵まれていると感じているから
「うっかり」感謝
「湧き出る」感謝
僕は、努力していたころは
感謝していなかったし、できなかった。
だって「自分は」こんなにやっているんだから
自分の力なんだから
自分「が」という「我」にまみれていた。
・・・感謝なんてできるはずない。
とっても傲慢だった。
だれかと、そして自分を信用していなかった。
迷惑かけないように
嫌われないように
好かれるように
喜ばせるように
それは
嫌われないように
好かれるために。
結局、自分のことしか考えていなかった。
(今もだけど
だったら、
ちゃんと自分のことだけ考えよう、と。
がんばったら、自分が うれしい
喜ばれたら、自分が うれしい
ひとを助けたら、「自分が」うれしい
「あなたのために」とか「ひとのために」ではなく
「自分が嬉しい」に従った結果、
「誰かが喜んでくれた」ら、「さらにうれしい」
となるだけのこと。
「だれかのために」と、やっていたときは
その「誰か」に、もしかしたら
「感謝」を強要していたのかもしれない。
その「誰か」が、喜んでくれなかったら
悲しくて恨んでいたかもしれない。
でも「自分のために」やり始めたら
そんなの何も関係なくなって
「いてくれてありがとう」に変わった。
そしたら「すごく喜ばれる」
という結果がついてきた。
目の前の一人、そう
目の前の自分を
もっと喜ばせてあげたらいいんじゃないか。
もっと、そういう意味での
エゴ満開で
迷惑満開で
生きればいい。
それが「自分」を喜ばせ
結果として
「もう一人の自分」である
誰かを喜ばせることになるのだから。
偽物の Do感謝から
溢れだす Be感謝へ。
感謝は「するもの」ではなく
「してしまうもの」
「ありがとう」ではなく
「ありがたい」なのかもしれません。
もう、そんなに見張ってないで
人と流れを信じて任せてみなはれ。
2014年5/23
あー、有難い。幸せだ。
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