自分が罪悪感を持っているから
やつてないことを
目の前でされると、
心がざわついたり悲しくなったり怒りを感じる。
同時に、自分がその罪悪感を感じる出来事の
渦中におかれたときはさらにそれをひどく感じて
苦しくなったり悲しくなったり
腹が立ったり逃げ出したくなる。
これが「問題」の正体。
つまり「罪悪感」がなければ、
それはタダの出来事なのだ。
「問題」とは、自分が「勝手に」抱えている
無用な罪悪感を見つけるチャンスなのだ。
無用な罪悪感とは
「さいしょから、ない罪」です。
そして、この「罪悪感」と「やさしさ」は
紙一重なのでなんとも難しい。
そして、この「罪悪感」が少ない人ほど
「自由」に生きていて
罪悪感の「ある」ひとに非難されるのです(笑)
要は、何してても、幸せに生きてても
非難する人は非難されるってことね。
ものが捨てられない、
なんてのも、ただの罪悪感だったりする。
「もったいない」は「もったいない」よ。
「ものをら大切にする」という
隠れ蓑に隠れて
どんどん、自分を
ときめかないもので
罪悪感で汚していく。
ポイポイすてるひとを
非難してる場合じゃないんだ。
今回、結構な枠を使ってもらいました!
うん、
ラテは、日本の方が美味しいな。
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