■なんでもないようなことが、幸せだったと・・・ | 心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba

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見えないけれど、やさしく包んでくれる。
風のように、水のように、普通の幸せに気づける、
そんなお話をお届けしようと思います。

ぢんさんが結局のところいつも言っているのは

お金や彼氏や友だち、いい暮らしが
幸せになれる手段でしかないってことですよね。

だから、
今、自分が愛されていて、
素晴らしくて、
幸せなんだって思ってみようってことですよね。


友だちがいたから幸せなのではなくて、
お金があるから幸せなのではなくて、

私たちは幸せという気持ちになりたくて
それらを欲しているという事なのかな?
と思いますけど。

だから、手段は飛ばして
もう幸せになっちゃおうぜって事なのかなと思いましたが、

そうすると後から友だちやお金がついてくる。

思考が先、現実が後。こういう意味でしょうか?
自分では悟りみたいだなぁと思っているのですが(^^)

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うん、
悟ったことがないので知りませんが

言いたいことはそういうことです。


思考が「いま不幸」だと
どんなに頑張っても
現実は「まだ不幸」です。

思考が「いま幸福」だと
どんなに頑張らなくても
好きなことだけやってても
現実は「ああ幸せ」です。


で、この
「いま幸福」を感じるために

一番ポピュラーなのが

「ありがとう」という感謝だったり
「ついてる」という言霊だったり
「どうせ愛されてる」という視点変換
だったりするわけです。

上のようなことをやっていると
「ある」に気づきやすくなるのです。

だから、
世に言うそういう方法って
ちゃんと「そうなる方法」なんですよね。


で、まぁ、ぶっちゃけ
「個人差」と
「タイミング」があるのでねぇ

「ありがとう」って言っても
「ついてる」って言っても
「どうせ愛されてる」って言っても

何も変わらないよ、
とヤサグれる時期も必要ということですね(笑)



だから

「あれ」が手に入ると
「あれ」ができるようになると
「あれ」さえあれば

幸せになる、は
ありえんわけです。


逆に
「これ」さえなければ
「これ」さえなんとかなれば

というのも、同じです。


「これ」があってジャマ、ということは
「あれ」がないということですからね。



ということで
「先に幸せになる」
「あーーー幸せ」

という
ほんとバカみたいなことで
現実は変わるんですけどねぇ。

僕もなかなかそうは思えなかったので
そうは思えないあなたの気持ちもよくわかります。


健闘を祈る。
いつかきっとそう思える日が来るから(たぶん






今日はこの時間にやっと出社です。


というのも、
ちょっと調子悪くて病院に行ってました。
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で、こうなると

ただ、ご飯を食べることだったり
ただ、にゃーと泣くことだったり
ただ、ちゃんとうんちとおしっこをすることだったり

ただ、ただ、そんなことが
幸せだったなぁと思うのです。


なんでもないことが。




ということで、やっと来れた ヒルバ
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