★お前のそういうところが気に入らないんだよ | 心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba

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見えないけれど、やさしく包んでくれる。
風のように、水のように、普通の幸せに気づける、
そんなお話をお届けしようと思います。

「お前のそういうところが、気に入らないんだよ」

と、誰かをいじめる子がいて

「あなたのそういうところはよくないからやめなさい」

と、やめさせる先生は、
何が違うんだろう。


どちらも
「Youのそれは、いけない」
(私の意にそぐわない、いけないこと、私が正しい)

と、言っているということ。



と、まぁこう書いたとしても
「でも、いじめはよくない」
「だって、悪いことでしょ」

という
「自分の正義」から

我々のようなものは
「悪」に見えるから仕方ないのでしょうけれど、


僕はこういうところを
素朴に疑問に思うのです。


「そういうことされる(見せられる)と、わたしは、悲しい、怖くなる」
「イヤな気分になる」
「だから、やめてほしい」

と、言えば、
あとは相手が決めることです。

強制させるものではない。


「僕があいつを気に入らなくて文句を言うことを
 何の事情も知らないあなたが無理やりやめさせようとするのはひどい」

ということでもあるのです。

「それを、やめるのか、続けるのかは、僕が決める」

「それに対して、文句を言い続けるのはあなたの自由だ」

ですね。





こちらの「想い」「キモチ」はちゃんと伝えた。



いじめは
「悲しい」ことではあるけれど
「悪い」ことではない。

決して「よい」ことではないのかもしれないけれど
「悪」ではないということ。

いじめも
セクハラも
パワハラも
モラハラも

「主観」です。





そして、ココが大事。

「正しさにこだわる人には」
「自分の正しさの逆“悪”が現れやすい」

これが「被害者モード」の特徴です。
「自分はひどいことをされる人間なんだ」という

無意識のセルフイメージが作り出す現実です。
これを変えない限り「外側」の現実は続きます。

他人が強制できるものではないということ。




これも大事

上に書いたような
「自分の気持ち」を言えない人は
「それはよくないことだ」という「正論」「建前」を

「言いたくなる出来事」が
目の前に現れ続ける、ということです。


「自分にとっての悪」を
「正そう」とする行動から

「善悪を超えた自分の本当の気持ち」に
気づいて、伝えられるようになるまで

そういう出来事は
目の前に現れ続けるということ。


つまり
「いじめを作っている(見ている)のは 自分」

だということです。

そう

「自分の気持ちに気付くため」

ですね。


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