「がんばる」について
記事を書くことが多いですね。
でも、やっぱり色んなケースがあって
こういってる僕でも、迷うことがあります。
で、それでいいと思うんです。
たまには我慢して
たまには我慢しないで
たまにはがんばって
ときにがんばらないで
ずっと調整しながら
バランス取りながら
生きていけばいいと思うんです。
失敗 と 成功 も
右より と 左より ぐらいなもので、
あ、失敗した、ではなく
あ、左に偏ってた、でいい。
じゃ、戻せばいい。
でも、戻せない時に
その戻し先の何を嫌がっているのかな、と
「見る」だけでいい。
そして、戻せばいい。
そんなことです。
で、タイトルの件ですが
■がんばるということは、自分の「存在価値」から逃げること
これは、
何の成果も出してない
誰も喜ばせていない
人に迷惑をかけている
役に立ってない
お金使うだけ
寝ているだけ
という
「何もしてない自分」が、
まず基本です。
そう、赤ちゃんの状態ですね。
つまり、そんな
何もできてない
何もない自分の価値が「存在価値」です。
役たたず
ごくつぶし
迷惑ばかり
この自分が
「もらってもいい収入」が
「存在給」です。
ピザで言うと
何のトッピングもない状態。
この自分に
どれだけの価値が「あるのか」
ではなく
「あると思っているのか」の
バロメーターが「お金」「存在給」です。
で、そこに自信がない人は
「がんばる」わけです。
・なんとかしようとする
・好かれようとする
・役に立とうとする
・喜ばれようとする
・尽くす
みたいな。
そうしてないと
いたたまれない。
そうしてないと
怖くてお金がもらえない
そうしてないと
怒られる、嫌われる。
だから
「がんばることが好き」なことにする。
自分の「存在価値」を
信じていないから「がんばる」に
逃げてしまうのです。
それって
「がんばることが好き」なのではなく
「嫌われることが嫌い」なだけです。
だから、
「恐怖のがんばり」は、
人目と評価が異常に気になります。
「好きで頑張る」との
一番の違いはそこです。
がんばるな、という話をすると
いつも言われるのが
「がんばっちゃいけないんですか」ですが、
だーれもそんなことは言ってないわけです。
「がんばらない」とは
「隠してきた恐怖に向かい合う」ということであり
「がんばらなくても愛されている」ということを知ることになるのです。
でも、それさえも
「僕」にとっては、
まあ、どっちでもいいことで
がんばりたい人は頑張ればいいし
がんばれないからと言って、問題なわけじゃない。
結果が出なくても
何も変わりはしない。
ただ、一つ言えることは
「がんばることが正しいこと」
という考え方からは
抜けたほうが「楽になるよ」ということですね。
「がんばることが正しい」のだから
「がんばる必要がある状況」つまり
「ダメ」「未熟」 のほうが都合がいいので、
そんな状況を進んで作り出して
がんばる自分が好きになり
がんばれない自分を嫌いになるゲームをするだけ。
で、それが楽しいのだし
好きでやっているのだから、それでいいんです。
でも、でもね
少なくともこのブログに
たどり着いてくれたということは
何かを変えたくて
読んでくれているわけでしょ?
じゃ、
「がんばることの正当性」を
うたい続けるんじゃなくて
「がんばらない」やってみればいいよね。
「わたしは、がんばるのが好きです」
「わたしは、好きで頑張っているのでいいと思うんです」
って、どーぞ どーぞ、で
お好きなよーに、です。
わざわざ言いにくんな。
(あ、黒が出ちゃった)
で、もがいている人へ。
頑張ってきたよね。
成果あげられたよね。
成果あげられなかったよね。
がんばれなかったよね。
まだダメだったよね。
でも、その「もがき」があるからこそ、
「がんばらなくても、よかったんだ」と
気づく時が来るから。
ちゃんと、来るから。
あせらず、いまはいろいろやってみよう。
僕は、それを信じて
メッセージを送り続けます(*'▽')
心屋感謝祭、売り切れではないですよー(*'▽')
たぶん・・・
性格リフォーム
心理カウンセラー
心屋でした。
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