愛があれば、お金は要らない?
お金がないのは、
愛を閉じているから。
出(与え)してばかりか、
欲しがるばかりか、
偏っているから。
愛の流れが
そのままお金の流れになる。
お金は、
ただの、ひらく の
バロメーターなのだ。
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愛を受けとるって、
絶賛と批判の両方を受け止めること。
ひらく、って
自分の優しさと冷たさ、
素晴らしさと出来なさを隠したり、
繕ったりしないこと。
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ちゃんと愛を受け取れば、
ちゃんとお金もついてくる。
ちゃんとお金を受け取れば
ちゃんと愛もついてくる。
あなたには、
それが愛には見えないかもだけど(≧∇≦)
拗ねてるときは
愛が愛に見えないのです。
僕もずっとそうだったから
よくわかる。
こういうと
「心屋は、なんでも拗ねてるせいにするんですね」
っていう人もいるんですが、
そうなんですもの。
それしか、言えんです。
何度も言いますが、
拗ね、とは
「自分の素晴らしさをわかってもらえない時」に起こります。
「素晴らしい自分を、優先してもらえなかった時」の悲しさです。
つまり
「素晴らしい自分を、素晴らしい自分にふさわしい大切な扱いをしてもらえなかった」ときに
「悲しくて、悔しくなって、でも、カッコ悪くてそんなこと言えなくて、気づいてくれなかった相手に八つ当たりしている」
のを、拗ね、というのです。
誰かが、活躍したり
誰かが、褒められたり
誰かが、豊かさを受け取ったり
誰かが、優しさを出しているときに
「ほんとは、私のほうが、すごいのよ」
「ほんとは、私のほうが、優しいのよ」
「でも、出遅れたの」
「出遅れたから、わたしの素晴らしさをわかってもらえなくて悲しくて悔しいの」
そして、それを「言えない」ときに、拗ねます。
言えないのは、
かっこ悪くて、恥ずかしくて、バカにされそうで怖いから。
で、がんばって、やっと「嫌味」ぐらい。
「強がり」ぐらい。
もしくは「あきらめる」ぐらいしかできなかった。
もしくは、相手を馬鹿にして、傷つけようとするぐらいしかできない。
そうしながら、
ちょっと 自分の優しさとすごさをチラつかせる。
そして、またその自分が悔しい(笑)
そんなことしかできない自分が悔しい。
そして
いくらそんなことしても
誰もわかってくれないのがまた悔しい。
という、スパイラルが「拗ね」です。
よく知ってるでしょ(笑)
ええ、
拗ねは熟練者でしたから( `ー´)ノ
だから、もう、拗ねてないで
「どうせ、わたしのこと ○○ だと思ってるんでしょ」
の世界から抜けて
「どうせ、わたしは、すばらしい」の世界へ、
そして、
愛と豊かさをたっぷり受け取りませんか、と
いつも言っているのですわ。
性格リフォーム
心理カウンセラー
心屋でした。
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