■一番見たくないものを見る勇気が、一番欲しいものをもたらしいくれる。逆もしかり。 | 心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba

心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba

見えないけれど、やさしく包んでくれる。
風のように、水のように、普通の幸せに気づける、
そんなお話をお届けしようと思います。



おはようございます。

性格リフォーム
心理カウンセラー
心屋です。



やっぱり
歌っていいなぁ。

そう思います。



自分の本当の気持ち
言えなかった言葉

もしかしたら
歌にすれば

伝えられるかもしれない。


もしかしたら
まるで誰かのことみたいに

でも、自分の気持ちを乗せて
伝えられるかもしれない。

だから
歌って素晴らしいんだろうなと思います。


---



「助けて」

っていうメールが
よく届きます。

「助けて」


言えただけで
いま一歩進んだ。

そして
僕には

あなたのことを
助けることはできない。

それは
助けられるかどうかは
自分が決めることだから。


どういうことかというと
「助けて欲しい」という状況において

そのひとは、
実は「助かる道」を知っているのです。


でも、困ったことに
その「助かる道」が

「自分が一番行きたくない道」なのです。



怖いものがある
イヤな思いをする
恥をかく
ダメな自分に出会う道。

ずっと拒否してきた道。



だから、例えば僕には
困っている人の話を聞いていれば
その人が助かる道は大体わかります。


それは「能力」とかではなく
「仕組み」だから、わかるだけ。




だから、
「この道を行こうね」

と言います。




でも、その人にとって
その道は

一番行きたくない道
一番選びたくない方法
一番ありえないところ

なので、行きません。



そして

「他に方法は無いですか」


要は

「もっと楽な方法は無いですか」
「もっと簡単な方法、イヤな思いをしなくて済む方法は無いですか」

と訊いてきます。




「ないよ」

というと

「そんな・・どうしたらいいですか・・・」


というので、こうするんだよ、と
さっきの道を示す。



すると

「それは、無理です」
「それは、ありえません」
「それは、やっちゃだめなんです」
「そんなこと、許されません」

と、いろんなこと言います( ̄▽ ̄)




・・・じゃー苦しんでなさい。


「えー、そんなー、助けてください」

・・・振り出しに戻る。




というわけなので
も一度言います。



僕は
あなたのことは助けられません。

それは
あなたが「その道」を選ぶことを
決断する以外にないからです。

そこにしか答えはないからです。



一番拒否しているところに飛び込むことで
一番欲しくて渇望していたものが手に入る。





馬を水飲み場に連れていくことはできますが
馬に水を飲ませることはできません。



「じゃ、助かる方法だけ教えてください」

「・・・じゃ、さっきの道に行くことが助かる方法ですよ。」


「いや、、、だから! それ以外でって言ってるじゃないですか!!!(逆切れ?)」


・・・・ゴルァ(-_-メ)




さて、ここまでわかりましたでしょうか。

「助けて欲しい」というあなたの
一番の原因は



「それは、無理です」
「それは、ありえません」
「それは、やっちゃだめなんです」
「そんなこと、許されません」


と「思っていること」です。



僕は

でも
助けるためのヒントは
こうやって書き続ける。

苦しんでいる馬を
水飲み場まで連れて行くことはできます。

何度でも
連れていきます。

それでも、飲めないときは

「苦しみが足りない」のです。



まぁ、気分的に言えば


そこに壺があって、
水が入ってて

カエルの死体や
虫の死体が浮いてて

濁ってて
臭いニオイがして


そう言えば昔、
自分が体を洗った水を
入れたこともある

そう言えば昔
自分が吐いたタンを入れたこともある。


要は

「それを飲め」と
言っているようなものですから( ̄▽ ̄)

そりゃーいやでしょう。
そりゃー涙も出る。



でも
実は
これが

あなたを幸せにする
魔法の壺なのです。



本当にのどが渇いて
本当に苦しくて
本当に幸せになりたい


そんなひとは
この壺を買って水を飲めばいい。

自分が今までの人生で
捨ててきた、

自分自身の汚い所
自分の経験の恥じているところ

自分自身の許せないところ
自分の身内の許せないところ

それがいっぱい詰まった壺



マスターコースに参加するということは
その壺を何十万円も出して買ってもらうということです。

そして、その壺を
ぐぐぐっと飲み干すということです。

飲み干す途中には

カエルの足が歯に引っかかったり
虫の羽がのどに詰まったり
タンが舌の上を撫でて行ったり

むせかえるようなすえた臭いで満載になります。

飲んだ後も、吐き気が止まらず
お腹を壊して激しい下痢に見舞われたり
立ち直れなくなったりすることもあります。


でも
でも
でも

それを過ぎると
自分が、生まれ変わるのです。

自由に
なるのです。


そう、その壺の底には
「素晴らしい自分」という
最高のご褒美が待っているのです。


パンドラの箱みたいですね。



時には
僕が頭を抑えつけて
鼻をつまんで一気に飲ませることもあります。

だって、飲みに来たんですもの( ̄▽ ̄)
ね。



それでも
飲み切れなかった人は

まだ苦しみながら
ちょっとずつ飲んでいる人もいるでしょう。

飲んだよって、
蓋をして涼しい顔している人もいるでしょう。

もう飲みたくない!!
あんな嫌な思いをさせられるのはもう嫌だ!!
ひどいところだ!


他に行って口をゆすいでいる人もいるでしょう。

口当たりのいい、甘い水を飲んで
ひとときの幸せに浸る人もいるでしょう。



それでも
生きている限り

目の前に
壺は差し出されます。


それは、避けられないこと。



でも

その壺の底には
甘露の水があふれるほど入っているのです。

こんなことなら
もっと早く飲めばよかった~って。


だから

「損しよう」


って
僕は言い続けるのです。


「損しよう」は
「タン壺のタン飲もう」ってことです(笑)

すみません
表現が汚すぎて。

--


マスターコースって
そんなところですけど、

それでも、来る?( ̄▽ ̄)






image