■不機嫌になる出来事 | 心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba

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見えないけれど、やさしく包んでくれる。
風のように、水のように、普通の幸せに気づける、
そんなお話をお届けしようと思います。

おはようございます、心屋です。


さっき、クリーニング屋さんに行ってきました。


ここのクリーニング屋さんは、

色んな人がいます。


いつもニコニコ明るい人もいれば

なぜか、いつもむすっとしている人もいます。


僕も、ニコニコの人に当たると

なんか楽しくなります。


むすっとしてる人がいると

こっちもなんか嫌な気分になります。



で、今日は、その「むすっと」でした。


いつも通りむすっとしてる。

こちらも、必要最低限の会話にしたくなる。



でも、今日はふと思った。


「まてよ、この人が不機嫌だからと言って

 自分もそうなる必要はないよな」


そう、その人が不機嫌なのは、その人には

その人なりの気分と都合がある。


だから、今日は、

明るい人と接するように接してみた。


自分だけは機嫌よくしてよう、と。



すると、驚くことに、その「むすっと」が「にこっと」になったのです!


ついでに訊いてみた。


「いつもむすっとしてるけど、なんかいやなん?」


「え? わたし、にこっとしてるつもりだったんですけど・・」


わからんもんです。

二人笑って別れました。


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あの人が挨拶してくれないから


あの人がひどいことするから


あの人が無視するから



その「あの人」の言動と、自分の不機嫌を結び付ける必要はないということです。



もちろん、挨拶されなかったり無視されたりすると

悲しいもんです。


もちろん僕もそう思う。



でも、それを引きずる必要もない。

引きずると、また似たような目に出会う。


もちろん、ひどいことしたり言われたりすると

つらいもんです。


でも、だからと言って自分がそれに対して反撃したり

意固地になって無視する必要もない。


「そうなんだ」 受け止める。



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うん、まだ難しいですよね。



因縁果


という言葉があります。


原因 があって 縁 に触発されて 結果 を生む。



もともと 原因 がある。


相手の不機嫌 という 縁 をうけて


自分の不機嫌 という 結果が手に入る。



ところが僕たちは、この「縁」が「原因」だと思っています。


この「縁」の結果、腹が立った、と。



ちがいます。


「原因」が別にある。


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もう少しお話します。



悲しかった

腹が立った


それをわかってもらえなくて、さらに腹が立った。



ここで

「悲しかったんだね」

「腹が立ったんだね」


として、「わかってもらえた」と癒されることもあります。

逆に「あなたに何がわかるのよ」となる場合もあります。きゃー



「あんなことされた」

「こんなことされて」

「わかってもらえなくて」


悲しかった

腹が立った


というときに、



「あんなことされた」

「こんなことされて」

「わかってもらえなくて」


悲しかった

腹が立った


のではないということです。



その「間」にもういっこある。



「あんなことされた」 嫌われてると思った

「こんなことされて」 バカにされてると思った

「わかってもらえなくて」 大事にされてないと思った



この「思った」が、感情を作り出すのです。


これ「勝手に思った」なのです。

相手は何もそんなこと言ってないのに。


勝手に、思った。



感情を作り出す、この「思った」ぐせを解消しないと、

感情だけを処理しようとしても、


この「思った」が、悲しい感情をどんどん作り出して

どんどん落ちていきます。



この「思った」が「原因」 です。


「思った」のではなく「思いだした」なのかもしれません。




「いつも自分がバカにされている」と思っていることが原因。


「相手が ○○ をした、言った」 が 縁 となって


「腹が立った」 が、結果としての感情です。




「気持ちをわかって欲しい」


というのは、この「結果としての感情」をわかって欲しいこともあれば、

この「思った」をわかって欲しいときもある。


これを癒していくことで、はじめて心は落ち着いていくのです。

心の 安心 が得られる。



私は、嫌われてないんだ

私は、バカにされてないんだ

私は、大切にされているんだ



そう思えることで、安心 出来るのです。




ひとは 安定 が欲しいのではなく 

安定 することで得られる 安心 が欲しんじゃないかな、と思うんです。



えー、クリーニングの話から

たいそうなところまで来てしまいましたが(笑)




まぁ、要するに 相手の言動、過去のされたことにかかわらず

自分がいつもご機嫌でいよう、と思うことで、


それは得られる。


そんなことを言いたかったのかなと思います。




今日の格言(今できたコーナー)


 自分の不機嫌を誰かのせいにしない

 相手には相手の不機嫌になる理由がある。

 (そもそも不機嫌じゃないのかも)


 自分の機嫌は、自分でとる。



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うーん、ここまで書いて

斎藤一人さんのことばに戻ってきたぞ(驚


深いなぁ。