18日の父の死に関しまして、
たくさんの温かいコメントを頂きありがとうございます。
また、弔電や御花もいただき、ありがとうございました。
追ってお礼させていただきます。
おかげさまで、実家の方も落ち着きまして、
やっと京都に戻ってきました。
長い一週間でした。
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この一週間は、自分のルーツに触れる、
とても濃い一週間でした。
僕のセラピーでは「子供のころの体験」をとても大切にします。
子供のころに見たもの、聞いたもの、体験したこと、
教えられたこと(命令や禁止令)
それらが「常識」「価値観」として僕たちの基本的な考え方を作ります。
好むと好まざるとにかかわらず、それらは僕たちの
「思考パターン」 →物事の決定パターン
「行動パターン」 →訓練された習慣や行動
「反応パターン」 →感情の発生パターン
としてすでにプログラミングされています。
この一週間は、自分の中にプログラムされている
それらのパターンをくまなく確認できたものでした。
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そして、何より驚いたことが、父親の二面性でした。
子供として見てきた父は、
・まじめで
・無趣味で
・言葉少なで
・酒も飲まず
という人物像でした。
40数年間、ずっとそう思っていました。
しかし、弔問いただく方々のお話を聞くたびに
その人物像が崩れていきます。
・趣味が多く
・いつも行動的で
・世話好きで
・お酒が好きで
・話し好き
・決断も早い
・・・・・だ、誰のことですか(@_@;)(@_@;)(@_@;)(@_@;)
これらの声が重なって重なって、
心の中で混乱が起こってきました。
なんなんだ、これは。
なんでそんなこと、知らなかったのだろう。
彼女を連れて行っても
結婚相手を連れて行っても
孫を連れて行っても
一人で帰っても
言葉少なに、自分の部屋にこもってしまう。
もしくは庭での作業にでかけてしまう、父。
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恥ずかしながら、怒りの感情が湧いてきた。
そうか、
子供以外には、やさしいんだ。
子供以外には、世話好きなんだ。
そんな感情が渦巻き、数日間、もやもやしていました。
でも、振り返ってみると、冷静に考えてみると、
上に書いた人物像は、僕自身でもあるのです。
僕も、自分の家族に対しては
似たような顔しか見せていませんでした。
どうすればいいか、わからなかった。
そして、その空いた穴を、他の交流で埋めることで
バランスをとっていたのかもしれない。
そんなことまでも、きっちり受け継いでプログラムされていたようです。
そうして、本当の自分を知っていきました。
なんだ、そうだったんだ。
そう気づくことで、もやもやは消えていきました。
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ほかにも、自分の今を作ってきた、
偶然で、突然の出会いをこの一週間で体験しました。
これはものすごいシンクロニシティでした。
とてつもない大きな収穫です。
その人たちの言動を見ながら、
自分の「反応パターン」のルーツを知ることになりました。
同時に、これからの自分の人生、
これからの自分の生きざままで考えることになりました。
田舎に年老いた母を残したままにするのか、
拠点を移動して、活動範囲を変更するのか、
いずれにしても、これからの活動は大きく変わりそうです。
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生きざま。
亡くなった時点で、父は勤めはしていませんでした。
様々な地域の活動に積極的に参加していましたが、
基本的に、組織には所属していませんでした。
それは、母も同じです。
そして、僕も同じです。
なのに、通夜と告別式を合わせて、
訪問いただいた方の数が400名を軽く超えていました。
なんということだろう。
その後も、毎日のように弔問客が自宅に来られ、
対応に大わらわです。
いきざま。
弔問客の数ではかるものでもないでしょうが、
ひとつの目安になるのかもしれません。
どれだけ、人に優しくしたか
どれだけ、人を思いやったか
どれだけ、周囲に善意を配ったか
そんな、与え続けた父の人生の結果のような気がします。
どれだけ成功したか、ではなく、どれだけ与えたか。
それが、急死という形ではあったけれど、
苦しみも痛みの声も発することなく、
親族全員が生きているうちに出会うことができ、
全員が看病に立ち会うことができ、
発病後、数日で逝くことができました。
大きな成功は何もなかったけれど、
そんなことを求めることもなく、不満を漏らすこともなく、
皆に惜しまれながら、皆に囲まれて看取られて逝く人生、
その範囲の中で好きなことを全うできたのだと思います。
そんな「普通の幸せ」を見せてもらった気がします。
もしかしたら、
「好きな仕事を探すこと」「成功を求めること」「幸せを求めること」
それ自体
「いま、無い(と思っている)ものを求め続ける」不幸せ」
なのかもしれない。
そう思いました。
通夜・葬儀の準備にご協力いただいた皆さん、
コメントやお供え等を頂いた皆さん、
仕事のキャンセルを許していただいた皆さん
最後まで、温かい看病をしていただいた加西病院のみなさん
本当にありがとうございました。