■ご心配をおかけしました。復活します。 | 心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba

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見えないけれど、やさしく包んでくれる。
風のように、水のように、普通の幸せに気づける、
そんなお話をお届けしようと思います。

18日の父の死に関しまして、

たくさんの温かいコメントを頂きありがとうございます。


また、弔電や御花もいただき、ありがとうございました。

追ってお礼させていただきます。


おかげさまで、実家の方も落ち着きまして、

やっと京都に戻ってきました。


長い一週間でした。


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この一週間は、自分のルーツに触れる、

とても濃い一週間でした。


僕のセラピーでは「子供のころの体験」をとても大切にします。



子供のころに見たもの、聞いたもの、体験したこと、

教えられたこと(命令や禁止令)



それらが「常識」「価値観」として僕たちの基本的な考え方を作ります。



好むと好まざるとにかかわらず、それらは僕たちの


「思考パターン」 →物事の決定パターン

「行動パターン」 →訓練された習慣や行動

「反応パターン」 →感情の発生パターン


としてすでにプログラミングされています。



この一週間は、自分の中にプログラムされている

それらのパターンをくまなく確認できたものでした。


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そして、何より驚いたことが、父親の二面性でした。


子供として見てきた父は、


・まじめで

・無趣味で

・言葉少なで

・酒も飲まず


という人物像でした。

40数年間、ずっとそう思っていました。



しかし、弔問いただく方々のお話を聞くたびに

その人物像が崩れていきます。


・趣味が多く

・いつも行動的で

・世話好きで

・お酒が好きで

・話し好き

・決断も早い



・・・・・だ、誰のことですか(@_@;)(@_@;)(@_@;)(@_@;)




これらの声が重なって重なって、

心の中で混乱が起こってきました。


なんなんだ、これは。

なんでそんなこと、知らなかったのだろう。


彼女を連れて行っても

結婚相手を連れて行っても

孫を連れて行っても

一人で帰っても



言葉少なに、自分の部屋にこもってしまう。

もしくは庭での作業にでかけてしまう、父。


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恥ずかしながら、怒りの感情が湧いてきた。


そうか、

子供以外には、やさしいんだ。

子供以外には、世話好きなんだ。


そんな感情が渦巻き、数日間、もやもやしていました。



でも、振り返ってみると、冷静に考えてみると、

上に書いた人物像は、僕自身でもあるのです。




僕も、自分の家族に対しては

似たような顔しか見せていませんでした。


どうすればいいか、わからなかった。



そして、その空いた穴を、他の交流で埋めることで

バランスをとっていたのかもしれない。



そんなことまでも、きっちり受け継いでプログラムされていたようです。





そうして、本当の自分を知っていきました。

なんだ、そうだったんだ。


そう気づくことで、もやもやは消えていきました。


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ほかにも、自分の今を作ってきた、

偶然で、突然の出会いをこの一週間で体験しました。


これはものすごいシンクロニシティでした。

とてつもない大きな収穫です。


その人たちの言動を見ながら、

自分の「反応パターン」のルーツを知ることになりました。



同時に、これからの自分の人生、

これからの自分の生きざままで考えることになりました。


田舎に年老いた母を残したままにするのか、

拠点を移動して、活動範囲を変更するのか、


いずれにしても、これからの活動は大きく変わりそうです。


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生きざま。




亡くなった時点で、父は勤めはしていませんでした。


様々な地域の活動に積極的に参加していましたが、

基本的に、組織には所属していませんでした。


それは、母も同じです。


そして、僕も同じです。



なのに、通夜と告別式を合わせて、

訪問いただいた方の数が400名を軽く超えていました。


なんということだろう。


その後も、毎日のように弔問客が自宅に来られ、

対応に大わらわです。





いきざま。


弔問客の数ではかるものでもないでしょうが、

ひとつの目安になるのかもしれません。



どれだけ、人に優しくしたか

どれだけ、人を思いやったか

どれだけ、周囲に善意を配ったか



そんな、与え続けた父の人生の結果のような気がします。

どれだけ成功したか、ではなく、どれだけ与えたか




それが、急死という形ではあったけれど、

苦しみも痛みの声も発することなく、


親族全員が生きているうちに出会うことができ、

全員が看病に立ち会うことができ、


発病後、数日で逝くことができました。




大きな成功は何もなかったけれど、

そんなことを求めることもなく、不満を漏らすこともなく、

皆に惜しまれながら、皆に囲まれて看取られて逝く人生、


その範囲の中で好きなことを全うできたのだと思います。


そんな「普通の幸せ」を見せてもらった気がします。



もしかしたら、

「好きな仕事を探すこと」「成功を求めること」「幸せを求めること」


それ自体

「いま、無い(と思っている)ものを求め続ける」不幸せ」


なのかもしれない。

そう思いました。




通夜・葬儀の準備にご協力いただいた皆さん、

コメントやお供え等を頂いた皆さん、

仕事のキャンセルを許していただいた皆さん


最後まで、温かい看病をしていただいた加西病院のみなさん

本当にありがとうございました。