■まだまだ修行中 | 心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba

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見えないけれど、やさしく包んでくれる。
風のように、水のように、普通の幸せに気づける、
そんなお話をお届けしようと思います。

こんばんは、ぢんのすけです。



こういう、心を扱う職業をしてて

色んな、ためになるような、役立つような話を

提供できるよういつも心がけていますが、


じゃあ自分はできてるのかというと、

そうではないことも沢山あります。



ふとしたことに反応して、

感情だけが、暴れてしまって、抑えきれずに飛び出していくようなこともあるし、

自分の器の小ささを思い知るようなこともよくあります。


長年すねてきましたし(笑)



ただ、こういうことを続けてきて変わったのは、

そうなってしまったあとのこと。


感情が飛び出して行ってしまって、後で反省することもあれば、

飛び出しそうになった時に


「あ、反応してる」と、

自分を止めることができるようにもなりました。



以前に、 ■習慣が自動化してインストールされる

という話を書きました。


自分の悪い反応や習慣に気づくことで、

いい習慣は訓練すれば身につけることができるという話でしたが、



実はこれは、

二年前に座禅に参加したときに言われたこととつながります。


つまり、自分の中で「習慣」となっていることは、

「自動反応」だから、無意識にやっていることです。


極端にいえば、ご飯をお箸でつまんで口に入れて、

咀嚼して飲み込む、という一連の動作。



これは、テレビを見てようが、本を読んでようが、

車を運転してようが、将棋をしながらでもできます。


それは「自動化」しているからです。




座禅の最中は、これらの「自動」を、一つ一つ確認していきます。

そして、同じことを同時にやらない。


ご飯をお箸でつまんで、口に入れる。

次に、噛む。噛んでいることを意識しながら噛む。

それ以外の動作はしない。お箸も動かさない。ただ、噛む。


これを極めると、「噛む」という「DO」ではなく、噛むという「BE」になります。

つまり、噛むのではなく、噛むになる(笑)


呼吸も、息を吸う、息を吐く、ではなく、

呼吸に「なる」


つまり、普段は、吸うこと、吐くことを自動的にやっていますが、

これを意識的にやるのではなく、そこに意識を向ける。

していることに意識を向ける。


自動を、自動ではなくしていく。





感情も同じです。


感情が湧くままに、思考のままに自動的に反応するのではなく、

自分がいま反応した、そのことに意識を向けることで、


それが自分にとって好ましくない反応の場合、

「自分は、いま何に反応したんだろう」と、観察することが出来ます。



でも、最初にお話ししたように、

そうは分かっていても、時々感情は暴れ出します。


そして、それは後でもいい、

そして、今できるなら、いまでもいい。


自動的に反応しないで、意識的に反応することができれば、

感情のコントロールは可能になるのかもしれません。



「反応」