高校時代に、テネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』という戯曲を読んで、批評を書くという大変まじめな授業がありました。
自分が何を書いたかよく覚えていないのですが、反抗的だった私は、戯曲が気に入らなかったのか、批評の最後の方で「こんなのを選んだのは先生の責任だ」と悪態をつきました。それだけは記憶に残っています。
この先生とは仲がよくて、何でも言える人だったということもありますが、それにしても、今思うと、本当に生意気でぶしつけな態度でした。
でも、提出した批評に返事を書き込んでくれたのですが、特に叱られるようなことはありませんでした。
つい先日、掃除をしていますと、ほこりをかぶった『ガラスの動物園』が目に留まり、懐かしくなって、読んでみました。すると・・・
立派な戯曲で、高校生なりに建設的な批評を書ける内容でした。私が読めていなかっただけでした。
どんな内容かといいますと・・・
アメリカの戯曲で、大戦前、都会セント・ルイスの貧しいアパートが舞台。みじめな現状から抜け出そうと苦闘したり、体の障害で引っ込み思案になっていたりする家族の姿が中心に描かれています。
そんなに深遠な内容が語られているわけではありませんし、寂しい結末はちょっと物足りなく感じましたが、登場人物はわずか4人、とても分かりやすく、「自分にもっと自信を持ちなさい」という、家族を訪れる人物の言葉がこの戯曲の成功の理由かなとも思います。
読み終えて、何と言ったらいいのか・・・。「すみませんでした、先生」と、心の中でつぶやくしかありませんでした。