ボランティア活動の内情を知って嫌気がさしたという若い人に最近出会いました。それをきっかけに、私の経験したことを書きたいと思います。ただ記憶に曖昧な部分があることはお許しください。
大昔、あるボランティア団体にいました。ほとんど会費を払うだけの末端会員でしたが。
入会して数年後、指導部内の路線対立を知るようになりました。遠くから見ていただけですが、どうやらいわゆる穏健派と強硬派の対立のようです。前者は、世間の反発を受けないやり方で活動しようとし、後者は、理想を妥協せずに追求しようとしているようでした。
事情はよく分りませんでしたが、対立はとうとう裁判になりました。驚きましたが、そこまでは受け入れられました。よくない結果になったとはいえ、正々堂々と戦っているように思えたからです。
しかし、その動きとほぼ同時に両派から、互いの指導者たちに対する人格批判や世間体の悪い前歴の情報が私にまで送られてきました。このとき初めて嫌な気分になりました。
そういう情報はそもそも路線対立とは関係ありません。相手の評判を落とし、味方を増やそうという行為とも受け取れました。
私はがっかりしました。「人に優しく」などといつも立派なことを言っていた人たちが・・・。路線対立も、実は純粋なものではなかったのかとさえ思えてきました。
さて、ここで指導者たちの争いに嫌気がさして、活動から身を引くのも理解できます。せっかくの志がもったいないと思いますが。
これを機に、他の団体に移った人たちもいたことでしょう。ただ、おそらくどこの団体でも似たようなものです。私の知る限りでは、どんなにきれいな看板を掲げていても、善人や人格者ばかりの団体などありません。
それに、争いはあっても、功績も確かにあったと思います。会誌で知らされる活動がみなウソだったなどということはないでしょう。それに団体で力を入れていた法律改正が実現しましたが、その団体の貢献も少しはあったと思います。そういったことがありますので、もし団体のすべてを否定しようとするなら、それは公正とは言えないでしょう。
さらに、私の想像ですが、争いを演じた指導者たちの心の中には、世の中に貢献しよう、人を助けようという本物の思いもあったのではないでしょうか。善意と悪意が同居したり、善行と悪行を同時にやったりするのは別に珍しくないことですし。人はそういう矛盾をいくらでも抱えています。
当時は、このようには考えませんでした。今よりも融通が利かず、潔癖でしたから。
裁判は穏健派が勝って強硬派は独立したのですが、何か混乱があったのか、前者から来るはずの連絡は来なくなりました。しかし私は積極的に残りたいとは思わず、自分から連絡しようとはしませんでした。結局そのまま退会した形となってしまいました。
もし今似たようなことに巻き込まれたら、あるいは違った行動をとったかもしれません。