自殺した近畿財務局職員Aさんは安倍政権・財務省による森友公文書改ざんと自分への責任転嫁に絶望した | すくらむ

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 『文藝春秋』5月号に、森友公文書改ざん問題にかかわって自殺した近畿財務局職員の父親の手記「息子は改ざんを許せなかった――誰が指示したのか。真相を究明してほしい」が掲載されています。この手記を読んだ全経済産業省労働組合副委員長の飯塚盛康さんが感想を書いてくれたので以下紹介します。

 『文藝春秋』5月号に「自殺・近畿財務局職員父親の慟哭手記 息子は改ざんを許せなかった――誰が指示したのか。真相を究明してほしい」が掲載されました。

 自殺した近畿財務局の職員Aさんは1962年もしくは63年に(享年55歳)岡山県の会社員の長男として生まれ、決して裕福とはいえない家庭でしたが、本を読むのとスポーツが大好きで元気で明るい子どもに育ったそうです。

 Aさんには弟さんがいて、お父さんは積極性があるAさんは大学に行かなくても職に就けるが弟さんは大学に行かせなければ仕事に困ると思って、Aさんの大学進学を諦めさせました。そしてAさんは文句を言うこともなく18歳で国鉄に勤務しました。

 国鉄分割民営化による人員整理のため、国鉄等職員再就職計画によって1987年にAさんは財務省に入省しました。初任地は島根県の財務事務所で、その後は和歌山、京都の後は霞が関の本省に長く勤務した後、10年ほど前に近畿財務局に転勤し、現在に至っています。

 Aさんは国鉄の民営化による再就職計画によって国の機関に転職しましたが、それ以前には林野庁の廃止、最近では農水省の食糧事務所の廃止によって国の機関に転職する人はいました。

 私が勤務していた関東経済産業局にも林野庁、国鉄、食糧事務所からトータルで20名を超える人が転職してきましたが、共通していえることは、全員真面目で優秀な人だということです。なかには管理職だった人も関東経済産業局では補佐あるいは係長になるのですが、それでも腐ることもなく、単身赴任の不自由な生活にも不平を言わず真面目に働く人ばかりでした。

 彼らは全員労働組合に加入してくれたので、何度も話をしたことがあるのですが、「仲間の中には、どうしても転勤ができずに辞めざるを得なかった人もいる中で、自分たちは国の機関に再就職させてもらっただけで感謝している。自分たちは外様なので、この職場のために一生懸命に働きます」と言うのです。Aさんの財務省に対する思いも同じだったのではないかと思います。

 Aさんは京都に勤務していた時に大学の夜間部に入学したそうです。大学に行きたいという夢をかなえるためだけでなく、真面目なAさんは財務省の仕事をもっと深めて、役に立ちたいとの思いで大学に入学したのではないかと思います。

 Aさんは公文書の改ざんが行われた頃から、毎日午前2時3時の帰宅が続き、その後休職し、3月2日に朝日新聞が決裁文書の改ざんを報道した数日後に自殺しました。

 自殺したAさんは「決裁文書の調書の部分が詳しすぎると言われて上司に書き直させられた」「勝手にやったのではなく財務省からの指示があった」「このままでは自分一人の責任にされてしまう」というメモを残していたそうです。

 財務局の仕事に誇りを持って真面目に仕事をしていたAさんにとって、こんな不正行為をやらされただけでなく、その責任をAさん一人に負わせようとした近畿財務局、財務省に絶望したのではないかと思います。

 国家公務員は一握りのキャリアの下に何万人というノンキャリ職員が、地味な仕事をコツコツと真面目にやっています。

 Aさんと同じ50代でノンキャリ課長補佐だった私は、国会で総理大臣が「私か妻が関わっていたら議員も総理大臣も辞めますよ」と言ったワンフレーズのために、キャリア官僚が国会でウソの答弁を繰り返し、ノンキャリ職員が不正な行為をやらされて自殺に追い込まれたことを許すことができません。(全経済産業労働組合副委員長・飯塚盛康)