非正規労働者も襲うブラック企業-サービス残業・全国配転・パワハラ増-企業の指揮命令権に制約を | すくらむ

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国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。

 ※私が企画した座談会「ブラック企業と『ブラック公務』が日本を食いつぶす」 の中から、ディスカッションの一部を紹介します。このディスカッションは、過去エントリーの「ユニクロ社長がブラック企業のグローバル化宣言-世界同一賃金で年収100万・若者使いつぶし仕方ない」「増殖するブラック企業-ロックアウト解雇、入社後すぐ自宅待機、社長は自家用ヘリ持ち社員ボーナスなし」 に続くものです。(byノックオン。ツイッターアカウントはkokkoippan)


 ブラック企業をなくすには


 ◆POSSE代表・今野晴貴さん ブラック企業を政策的にどうやってなくしていくかということですが、私は日本型雇用をどう考えていくのかということに尽きると思っています。


 最高裁判所は判例で、日本型雇用における終身雇用や年功賃金がある一方で、その分、企業に人事権がありますと言っているわけです。このあいまいな企業の人事権というのは具体的には何かということを最高裁は定義していません。何となく企業の命令に労働者が従わなければならないという話で、抽象的な権限になっていて、一体どこまでが許されるのかということもあいまいなのですが、基本的にはかなり強い形で企業の権限が許されてしまっています。


 たとえば、配置転換や残業命令を企業が出した場合に、これを労働者が拒否すると解雇の理由になってしまうというような、恐ろしいぐらいの強い指揮命令権限を企業に与えてしまっています。そのときに、いつも出てくるのが、それは終身雇用だからという話にされてしまっているわけですね。


 解雇をしやすくした方がいいとか、賃金を下げればいいなどという話ではなくて、こうした企業の強い指揮命令権に制約をきちんとかけられる仕組みをどうやったらできるのかという問題を議論していかなければいけないと思います。


 なぜブラック企業の問題を考えているときに、日本型雇用の話になるのかと言いますと、最初にブラック企業の実態をお話ししたように、企業は労働者に対して、いじめのような形のものを仕事上のノルマと言って課してくるわけです。そうやって労働者を追い込んで、うつ病にさせて辞めさせているのです。配置転換で辞めさせる部屋に入れるなど、これは本当に業務命令なのか、それとも嫌がらせなのかというのは、判然としないような形になってしまう。あるいは、辞めさせるためにすさまじい長時間残業やノルマを課すということも、これはどこまでが企業の指揮命令権として正当なものなのかよくわからないというようなことがあります。ようするに、企業の指揮命令権の部分で労働者がほとんど関与できないということが、一つ大きな障害になってしまっていると思うのです。ここの部分にどうやって制約をかけるのかということは、かなり本質的な問題だと考えています。


 非正規にもサービス残業・全国配転


 また、企業の指揮命令権の問題は、非正規雇用のこの間の変化の中にも端的に表れています。


 非正規雇用は昔のパートのイメージからいくと労働時間は短く限定されていて残業はあまりないので、その分、終身雇用も年功賃金もないと説明されてきました。企業の指揮命令権に限定があるがゆえに、終身雇用も年功賃金もないと説明されてきたわけです。しかし、私たちに寄せられる今の非正規労働者からの現実の労働相談というのは、パワハラと長時間労働が多くなっているのです。現実はすでに非正規労働者のところでも企業の指揮命令権に限定がかかっていないのです。


 また、正社員になるためのトライアル期間だからと言って、勤務地も労働時間の限定も取っ払ってしまって、それを政府も後押しして、非正規労働者にサービス残業や全国配転を実際に強制しているのです。それでもその非正規社員は正社員になれるかどうかも分からず、1年で辞めさせられるかもしれないというひどい状態に置かれているわけです。


 非正規労働者にも企業の指揮命令権に歯止めがかからないということが、全般化してきてしまっていて、これを止められなくなっています。解雇に対する制約が法律や判例上にあっても、企業の指揮命令権の強さで突破できてしまうし、非正規労働者にはいろいろな限定があるという話だったのが、現実には企業の命令で突破できてしまうという企業の中の治外法権のような状況が広がってしまっています。


 もちろんこれは日本型雇用における法律上の話だけではないのですが、もう少しこの企業の指揮命令権の問題に議論を焦点化していかないと、ブラック企業をなくすことができないと思います。この点は、公務労働も同じ問題だと思います。どこまで何をそれぞれの公務労働者がやっていくのかということに関して、とくに現業ではないところだとあいまいで、使用者側の指揮命令権が強くなると何でも課せられるという中で、公務労働者の過労死や過労自殺が起こっているのではないかと思います。


 ですので、企業の指揮命令権に制約をかけていくということが、ブラック企業をなくしていく基本になってくると思います。


 労働時間規制でブラック企業に制約を


 しかし現実の問題として、企業の指揮命令権に限定をかけていくことは非常に難しい話ですので、1つだけの提案に絞ろうと思っているのです。これだったら誰でも納得できるという課題で、それは、労働時間に上限規制をかけようということです。


 企業の指揮命令権が強くて、何でもできてしまうという中でも、とりわけ長時間労働というのは、実際に労働者が過労死や過労自殺で命を失ってしまったり、うつ病になって働けなくなってしまう大きな問題です。ですから、労働時間に上限規制をかけることは労働者の命がかかった問題で誰でも納得できる課題だと思うわけです。たとえば、厚生労働省が示している月80時間の残業を過労死ラインとして、月79時間という上限規制をかけるわけです。実際にどこにラインを引くのかなどは議論が必要ですけれど、とにかく労働時間に上限を設ける必要があると思います。


 この労働時間の上限規制が、実は今の雇用システムを考えるときに、企業の中の治外法権状態を改善していく一番のポイントになると思います。労働時間の上限規制がきちんとできれば、ブラック企業のやっていることをかなり制約できると思うのです。


 その際、36協定の労基法の部分の改正も必要ですが、たとえば残業が月79時間を超えた企業には、何かしらの厳罰を科すなど、長時間労働を規制する実効ある仕組みをつくることがポイントになると思います。


 若者が名付け、若者が使わずに

 いられない「ブラック企業」という言葉


 それでは、ブラック企業にどうやって立ち向かって行くかという問題です。最初のところでもお話ししましたが、ブラック企業という言葉にはポテンシャルがものすごく高いものがあると私は思っているんですね。これまでのフリーターやニートなどの言葉は、研究者や評論家がある種おもしろがって、とりわけ若者を一方的に表象するためにつくった言葉でした。あるいは派遣切りや偽装店長などは、法律タームにもとづいて、労働運動の活動家や法律家が問題提起していった言葉でした。


 ところが、ブラック企業というのは、若者がイヤがって自分から言っている言葉なのです。若者自身が生み出して使っている言葉だというところに、とても高いポテンシャルがあるのではないかと思っているわけです。ただ両義的で、最初にお話ししたように、ネットスラングですので、ただ揶揄するように使われたり、意味があいまいなところや、いろいろ使えてしまえるところがあって、何がブラック企業なのかよくわからないようになってしまう側面もあります。でも、ブラック企業という言葉が若者自身から出てきている背景は、日本型雇用を逸脱して、若者を使いつぶすような企業が出てきていて、これはもう本当にイヤだと若者が言わずにいられないという点がいちばん大きいのです。


 だからこの言葉のこうした背景に迫って、いかに私たちがうまくすくい取って社会問題化していけるのか、解決していけるのか、ということが、今の雇用・労働問題を改善するための風穴を開ける1つの大きなチャンスなのではないかと思っています。


 一人ひとりをどうつなげていくか


 そこで2つ考えなければいけないことがあって、1つはやはりそれぞれが一人きりで個別化されているだけではどうしようもないという問題です。つまり、若者がなぜネットスラングで書き込んでいるのかというと、今の職場に腹が立ってイヤなんだけど、どこにもその気持ちを言うところがないし、言える相手もいないので、どこにこの気持ちを持って行けばいいのかわからないので、ネットに書き込んでいるわけです。


 そうした一人ひとりが、やはりどれだけ社会とつながっていけるのかが大切になります。ところが、政治学などでもよく言われますが、いきなり個人対国家という図式で誰かに託して投票しようとすると、たとえば、橋下大阪市長のような人に託してしまって全体主義的な関係になってしまう。私はそういうことではなくて、個人と国家の間にどれだけ、いろいろな中間団体が社会運動を繰り広げられるのかが大事だと思うのです。多くの労働者がブラック企業の被害にあっているのなら、ブラック企業の被害に対して立ち向かうような中間団体がなければいけない。それがまさに労働組合だし、あるいは私たちのような労働NPO団体だと思うのです。


 もうすでに社会の中に広がっているブラック企業の問題を、先ほど言ったポテンシャルを生かしながら、一人ひとりの問題を労働組合運動も含めてどれだけ運動の側がすくい取れるのかということが一つの大きなポイントになってくるだろうと思っています。


 社会問題としての提起を


 もう1つは、こうしたブラック企業という問題が出てきている中で、これをどれだけ社会問題として提起できるかということがカギになります。


 「ブラック」と言うと、言葉としてもとてもわかりやすくて、印象深い言葉なので、何にでもすぐ使えてしまうのですが、たとえば、今日の座談会のテーマでもある「ブラック公務」というのもブラック企業と同じような構造と背景を有しているものなので、十分つながる問題ではあると思うのですけど、いろいろくっつけないで、ブラック企業の問題にしっかり向き合うことが必要だと思っています。


 そのときに、このブラック企業の問題は、企業側がひとたび労務管理で若者を使いつぶして利益を上げようと思ったら、若者の命や健康が失われて働けなくなってしまう恐ろしい問題なのだということをベースに、若者の使いつぶしはダメだと強く言っていくことが大事です。それがなぜ力を持つかというと、たとえば上の世代からしても、自分たちの子どもがブラック企業に使いつぶされるのはたまったものではありません。子どもを持っている親は、今ブラック企業の問題に対して、すごく共感度が高くなっているんですね。私の著作『ブラック企業』は文春新書です。この文春新書を読む層というのは比較的中高年層が多いのですが共感が広がっています。さらに言うと、親世代だけではなくて、年金受給者にとっても、若者がどんどん使いつぶされてうつ病になっていくということでは、いったい誰が年金保険料を払ってくれるのだろうかという話にもつながっていくと思うんですね。


 つまり、誰にとってもブラック企業というのは利益がないんだということがはっきりしやすい問題です。シングルイシューで「若者を使いつぶすブラック企業はダメだ」と言っていくことで、多くの人の共感を呼べるのではないかと思うのです。


 「ブラック企業肯定論」と「体罰肯定論」は同根


 それから、これまでの多くの若者論の中で、「若いやつはダメだ」という若者バッシングがずっと行われてきた問題があります。いま体罰の問題がありますが、私は「ブラック企業肯定論」と「体罰肯定論」は同根だと思うのですね。今の不景気や生産性の低下を若者の個人的資質に求め、若者を鍛え直すことが解決策とされて、ブラック企業の過労死ラインを超える労働も、そうした体罰の一種になっているような感じです。


 「ブラック企業は仕方ない。若いやつがもっと頑張らなきゃダメだ」という「ブラック企業肯定論」も「体罰肯定論」も、もっと若者を鍛え直さなければダメだという話で、いろいろな社会の問題があるのに、とりあえず基本的には若いやつを叩けばいいという話に還元してしまう。今の文部科学省の態度も同じです。キャリア教育と言って何を教えるかというと、小学生のうちから厳しいことを教えなさいというわけです。若者の多くがうつ病になってからだを壊して困っているのに、そこに小学生のうちから厳しいんだという精神教育をやればいいと平気で言っている大人たちがいるわけです。これは「体罰肯定論」と何が違うというのでしょうか。


 世代間対立は分断の罠


 また、雇用・労働問題で気をつけなければいけないのは、世代間対立や正規と非正規の対立などがあおられることです。若者の利害と中高年層の利害の対立が根本問題であるかのように言う人がいますが、これは分断の罠だと思います。世代間対立をあおられて分断されている場合ではなくて、ブラック企業が若者を使いつぶしたり、若者をいじめて働くこともできなくしてしまうことを、若者個人の自己責任にするのではなく、若者が働き続けられないという社会問題として、あらゆる世代がみんなで若者を支えてブラック企業をなくしていく広がりを持てるかということが勝負のカギだと思っています。


 ですから、労働組合には、ブラック企業に苦しめられている若者をどう支えて、つながっていけるかを具体的に検討し実践してもらいたいですし、私たち労働NPO団体や弁護士、研究者などとも連携しながら、社会問題としてブラック企業をなくしていくとりくみを進めて欲しいと思います。


 ブラック企業をなくすための労働組合の役割


 ――今野さんの問題提起を受けて、三木さん、どういった意見をお持ちでしょうか。


 ◆JMIU(全日本金属情報機器労働組合)書記長・三木陵一さん なぜブラック企業がいま増えているのかという原因や背景についてしっかり議論するのは大事だ思います。少し挑発的なお話をさせていただくと、たとえば今野さんの著作『ブラック企業』の第7章では「日本型雇用が生み出したブラック企業の構造」という言い方になっていて、日本型雇用とブラック企業との関係で、日本型雇用のある意味延長線上でブラック企業は出てきたのではないかという仮説を出されているのではないかと私は読みました。


 そのときに思ったのは、JMIUの関係でいうと、先ほどの日本IBMのように、ブラック企業にあげられるのは外資系、IT産業、それから新興企業で、ある意味では従来の「日本型雇用」から一番遠いところなんですね。そう考えると、「日本型雇用」の延長線上でブラック企業が出てきたのではないかという仮説をどう考えていったらいいのか、さらに、そもそも「日本型雇用」というのをどう考えるのかというところにいくと思うのです。


 私は、今野さんのお話を、「日本型雇用」の特徴である年功型賃金と終身雇用を、その片方で極めて強い企業の指揮命令権を、バーターとして、日本の労働者が受け入れているのではないか、というイメージで受けとったのですが、私は果たしてそうなのだろうかと疑問を持っています。


 労使関係は「力」のぶつかりあいの結果


 「日本型雇用」、あるいは「日本型労使関係」と言い換えていいとすると、そもそも労使関係というのは、日本でもヨーロッパでも、アメリカでも、これは資本、経営の労働者に対する収奪や従属を強いる飽く無き攻撃と、それに抵抗する労働者の反発や労働組合のたたかいのぶつかりあいの結果であらわれてくるものだと思うのですね。


 ですから、「日本型雇用」の特徴と言われる年功賃金や終身雇用も、その中身というのは、単純に一色で塗ることができるようなものではないと思います。


 終身雇用を考えても、実際に日本の歴史を振り返ってみると、たとえば戦前の『蟹工船』の時代でいえば、当時は終身雇用ではなく、今で言えば派遣会社と言っていい周旋屋などが跋扈して極めて不安定でひどい働かせ方をしていて、だからこそ戦後、労働法ができた時に、真っ先に職業安定法44条で労働者供給事業が禁止されたのです。


 戦後の50年代や60年代も今のような形ではなくて、製造業の現場などには今で言えば不安定な非正規雇用の労働者の方が多かったのです。たとえば、JMIUの初代副委員長は東京の大田区にある機械メーカーの社外工で、労働組合をつくって、正社員化のたたかいを進めました。そして、労働組合のたたかいによって正社員化を実現していったわけです。


 たたかいでつくられた終身雇用


 つまり私が言いたいのは、50年代や60年代というのは、当時総評という強い労働組合があって、非正規労働者を組織化して、正社員化の運動を進めたのです。大企業の労働組合も含めて正社員化の大きな運動にとりくんだ結果として、いわゆる日本型雇用と呼ばれる終身雇用というものが、さらに60年代から70年代にかけてつくりあげられていったのです。


 つまり、終身雇用というのは日本にもともとあった労使関係ではなくて、労働組合のたたかいの中でつくりあげられてきているものなのですね。


 年功賃金もそうです。戦後直後は毎年、賃金が上がるわけではありませんでした。ではいつから毎年春になったら賃金が上がるという仕組みがつくられたかというと、それは1955年に始まったまさに春闘のたたかいなのです。ですから、年功賃金、あるいは定期昇給と言われるものも、労働者、労働組合のたたかいによって勝ちとられたものです。


 反対に今は、年功賃金と言ってもマスコミが言うようにそう単純なものではありません。たとえば、トヨタが2012年度の定期昇給が6,800円と言っても実際はトヨタの社員全員が6,800円上がるわけではありません。そこにはいわゆる成果主義が入っていて、評価によっては1円も賃上げがない人もいれば、場合によっては賃下げになる人もいるという現実があるわけです。


 そうした労働現場をリアルに見ていく必要がいつもあって、そこには常に現在まで毎年続いて行く、経営側と労働組合との間の力関係で、今の焦点で言えば、能力主義・成果主義的な賃金体系を導入する資本の攻撃と、それに反発する労働者や労働組合とのたたかいのせめぎあいの中で、今の労使関係がつくりあげられてきているのです。


 企業の指揮命令権についても、たしかに今野さんが言われるように、ヨーロッパなどに比べて日本は異常に強い指揮命令権が企業にあるというのは、それは事実だと思うのです。


 でも年功賃金や終身雇用とバーターで労働者が受け入れてきたかというと、それは必ずしもそうではないと思うのです。


 労働者の力を軽く見てはいけない


 たとえば、労働法の歴史を振り返ってみると解雇の問題についても、配転出向の問題についても、残業の問題についても多くの裁判闘争で、労働者のたたかいが続けられてきました。もちろん、不十分な面も多くて、とくに配転などの問題については、裁判で労働者側が勝った例というのはあまりありませんが、それでもいわゆる使用者の権利濫用を規制する裁判例が労働者のたたかいによって積み重ねられてきているわけです。


 労働組合の現場でも、事前協議・同意約款協定をつくる運動、労働協約運動などはまさに労働組合運動のかなめともいえるたたかいです。そういう視点で、職場を見てみると、企業の指揮命令権に対する規制力が強い労働組合というのは、やはり良い労働条件や高い賃金を勝ち取っています。ですから、それは決してバーターではなくて、逆に企業の指揮命令権に対する規制力を強めるということが、賃金や労働条件の向上の力にもなっているわけですね。


 ブラック企業とどうたたかっていくのかを実践的に考える場合に、先ほど今野さんがブラック企業という言葉には非常にポテンシャル(世論を引きつける潜在力)があるというお話しがありましたけれども、私もまさにその通りだと思うのです。同時に、労働者の持っている力というか、やはり労働者のたたかう力を私たちの側が決して軽く見てはいけない、軽視してはいけないと思うのですね。そこにどれだけ依拠して運動をつくっていくのかということが大事だと思うのです。


 なぜ今ブラック企業がこれだけ増えてきたのかという話に戻ると、やはり転機になったのは1995年に日経連が打ち出した「新時代の日本的経営」で、非正規雇用が増大したという問題も非常に大きいですが、私は成果主義賃金と成果主義人事制度が大きな問題だと考えています。


 成果主義人事制度というのは、その本質を一言でいえば、先ほど今野さんが指摘されたように、使用者が一方的に労働者の処遇や働き方を決定できるということだ思うのです。そうなると、労働者の賃金・処遇にとどまらず、働かせ方全般に対し、指揮命令権が無限に強まっています。


 それがどんどんエスカレートしていくと、すべてが労働者の責任に押し付けられるようになっていきますし、そこからいわゆるパワハラやいじめ、あるいは使用者のモラルの崩壊も生まれてきているのではないかと考えています。


 そういう意味では、やはり成果主義とのたたかいというのは、使用者の指揮命令権をどう規制していくかということを考えた場合に、かなり大事な問題ではないかと思います。


 強い指揮命令権と終身雇用・年功賃金はバーターではない


 ◆POSSE代表・今野晴貴さん 私自身は、企業の強い指揮命令権と終身雇用・年功賃金がバーターされているとは考えていません。研究者などの一部にそういう言い方で、労使関係における主体的で実践的なものを一切捨象して、固定的な類型化で考えてしまう傾向がありますが、私はそうしたものを念頭に置いているつもりはありません。むしろ日本型雇用を相対化して考えていきたいと思っています。たとえば、実践的に一人の若者がどうやって今の就職難や非正規雇用などが広がっている雇用状況を打開しようかと考えたときに、それは親であっても教師であっても当人であっても政策であっても、すべて正社員化というタームにだけ入ってしまいがちです。つまり、日本型雇用における正社員というのは安定しているということを前提に正社員化だけを求めてしまうことになりがちです。正社員化だけで、みんなが思考を停止してしまうと非常に危険だ思うのです。


 たとえば、就活生はとにかく正社員にならないといけないということになって、さらに競争をあおられて、ますます正社員というものの中身が劣化していくという構図になっています。


 非正規社員の問題に対する政策として、とにかく正社員化をしなさいということになると、労使関係や労働組合の規制力などを無媒介に考えるとすれば、それは競争をあおるだけになってしまいます。


 正規、非正規という違いがあっても、事実上、企業の指揮命令権に制約がないという現状の中では、今つくられている雇用システムに常に批判的な目線を持たないと、正社員化という政策などもこの構図の中にはまりこんでしまいます。ですから、この問題は、労働組合の規制力を考える前の段階として、歴史的な労使関係を経て、今形成されているシステムに対して、日本型雇用の問題点を前提に考えてはいけないと思うのです。


 職場に団結体=労働組合をつくることが最も重要


 ――労働組合の規制力を考える場合に、ヨーロッパの産業別労働組合とは違う日本の企業別労働組合の問題をどう考えればいいのでしょうか。


 ◆JMIU(全日本金属情報機器労働組合)書記長・三木陵一さん 労働組合の規制力という言葉をどうとらえるかはなかなか難しいのですが、ヨーロッパの場合でもフランス型やドイツ型、北欧型と労働組合のあり方もいろいろと違うと思います。たとえば、賃金を企業横断的に形成していって、A社でもB社でもC社でもどの企業で働いていても基本的には同じ仕事をしていたら、同じ賃金を得られるという意味での規制力は、ヨーロッパでの産業別労働組合が果たしている役割は非常に大きいですね。


 ただ、ブラック企業の問題は、それぞれの具体的な職場での企業の指揮命令権、いわば経営側の横暴をどう規制していくのかということです。もちろん産業別労働組合の果たす役割や、あるいは地域ユニオンの果たす役割を、私は決して軽視はできませんが、やっぱり大事なのは職場に労働者の団結体である労働組合をきちんとつくっていくということが大事だと思うのですね。


 企業別労働組合に対する批判というのは、もちろん私たちも大いにやっているのですけれども、批判の仕方を間違えてしまうと、職場に団結体である労働組合をつくるという視点が弱くなってしまいかねません。この視点の弱さが今の労働組合運動の最大の弱点のひとつなので、強めていく必要があると思っています。


 たとえば、ブラック企業で働く労働者から労働相談がきたときに、労働組合としてどう対応したらいいのかといった場合、もちろんとても困難で、口で言うほどやさしくはないのですが、やっぱりそこに1人ではなくて、2人、3人と仲間を増やして職場に労働組合をつくることに労働組合はもっと執着して徹底して追求していくことが大事だと思います。


 そういう意味で言うと、「ブラック企業にどう対抗していくのか」という問いは、「ブラック企業にどう労働組合をつくっていくのか」と言い換えていいくらいだと思うのですね。とても困難だけれども、まともな労働組合を職場につくっていくことを避けては、ブラック企業はなくせないと思うのです。


 労組の規制がないからブラック企業に


 ――若者を使いつぶすようなブラック企業の指揮命令権に対して、個々の職場で労働組合をつくって規制していく必要があるということですね。


 ◆POSSE代表・今野晴貴さん そうですね。従来の労使関係も含めてのいわゆる日本型雇用が守られている日本型企業というのは、ブラック企業ではないわけですよ。そこをまずはっきりさせておく必要があります。先ほど私は、日本型雇用に続く構図がブラック企業につながっていくとは言いましたけれど、労働組合が規制できていればブラック企業ではありません。なぜなら、従来の日本型雇用の中からは、そういう批判はあまり出てきませんでしたし、確かに日本型雇用のもとで企業の指揮命令権は多少強かったけれども、それは労働者を使いつぶすものではなかったわけですし、それは労働組合が実践的に抑え込んでいたわけです。


 ブラック企業は、日本型雇用という同じ軸線上にあっても労働組合の規制がまったくないなかで、企業の指揮命令権を悪用して労働者を使いつぶすものです。このポイントを峻別しないで、日本型雇用が悪いとか、どの企業もブラックだとか言っていても意味がありません。


 三木さんが強調されたように、私も職場にまともな労働組合をつくらなければいけないという話にまったく同感です。


 要するにブラック企業というのは労使関係が不在になってしまっているのです。ですからブラック企業は日本型雇用ではないのです。でも、従来の日本型雇用をみんなが信用してしまっている面があって、ブラック企業でも正社員だとすると、それは日本型雇用だとみんな思い込んでいるので、親も教師も正社員で入りなさいと言ってしまう。でも若者が入ってみると正社員というのは名ばかりで、労使関係の不在のなか企業は若者を使いつぶすことをねらいにしている。ですから、ブラック企業の中に労使関係を打ち立てなければいけないことがいちばんの基本になると思います。それは職場レベルでもそうだし、できれば産業レベルとか、あるいはもっと言って、労働問題が社会問題になって、大きな社会運動として広がっていかなければならないと思います。


 今回こういう座談会を企画していただいたり、ネットで発信していただけるというのはまさにそういうものだと思います。


 そして、私たちは労働問題を課題とするNPOなので、ブラック企業をなくすために、労働組合との連携はもちろん、親や教師、あるいは弁護士などいろいろな社会的アクターからしても、このブラック企業の問題は何とかして変えていかないといけないんだと、どれだけ社会問題として打ち出せるかが勝負だと思います。こういう幅広い社会的な運動が力を持ってくるなかで、法律制定運動なども広がり、それも背景にして職場でも労働組合をつくっていけると思います。幅広い社会運動と、職場に労働組合を広げていくことを、どれだけ相乗的につくっていけるかが大切だと考えています。


 ――三木さんのお話にあった成果主義の問題については、どうでしょうか。


 ◆POSSE代表・今野晴貴さん ヨーロッパなどの場合は、ベースに職務給があってその上に成果給になっているのに、日本では、今ある種の究極の成果主義が取られてきていて、年功賃金のベースそのものが無くなってすべて成果主義賃金だとなると、とくにブラック企業のようなところになってくると、先ほど話したように、基本給すらよく分からない状態に労働者は置かれますし、滅茶苦茶な不利益変更も企業側がやりたい放題になってしまいます。


 最近の労働相談で増えているのが、自分が正規社員なのか非正規社員なのかもよく分からないというものです。これは極端な例のように思われるかもしれませんが、中堅や大手の企業で働く人から、そういう労働相談が増えているのです。それは賃金の基本がどこにあって、どう決まっていくのかも、あいまいにされている。先ほど紹介した「残業代込みの基本給」のような非常にあいまいなものになってきていて、そこに成果給と言ってもさらに企業側の恣意的で一方的なものになってしまいます。


 成果主義賃金の本質は団交権の否定


 ◆JMIU(全日本金属情報機器労働組合)書記長・三木陵一さん 「成果主義とは何か?」「成果主義の本質は?」という問いに対する私たちJMIUの答えは、「団体交渉権の否定」です。つまり、成果主義の本質は、労働組合機能の否定ということにあると考えています。


 団体交渉権を否定するということは、労使で協議をして決めるという労使対等決定原則を否定するものだということです。


 これはまさに、経営側が労働者を支配従属化に置こうとするものです。この攻撃は、「能力主義」とか、「職能給」とか、昔から手を変え品を変え出てきているわけですけど、今、労働組合の弱体化とあわせて一気に出てきているのが、成果主義という名の団体交渉権の否定、労働組合機能の否定ではないでしょうか。


 成果主義というのは、単に賃金の問題だけにとどまりません。最初に日本IBMのロックアウト型解雇のケースをお話ししましたように、低評価の人は退職に追い込まれるわけですから、成果主義はまさに雇用破壊のツールになっているわけです。


 成果主義が雇用破壊のツールとして使われる問題は、おそらく公務労働者にも広がってくるのではないでしょうか。実際に大阪市では橋下徹市長が成果主義による低評価で退職させると言っているわけですから、先ほどお話しした外資系企業に広がっているPIPのやり方をそのまま公務に持ち込もうとしていると言えるでしょう。


 成果主義の行き着く先


 昔から中小企業では「会社が赤字だから賃金を下げざるを得ません」ということはよくあったわけです。でも、それはたとえば、「一律10%カットをとりあえず1年間だけ下げさせてください」、「経営が赤字で辛抱してください」と経営者が頭を下げたわけです。


 ところが、今のブラック企業の賃下げというのは、「あなたの業績が悪いから賃下げだ」「あなたの働きが悪いから、それに見合った賃金はこれだけだ」というだけです。


 辞めさせようとするときは、「あなたに払っている賃金は、あなたの成果に比べて高過ぎるんです。だから辞めてください」という言い方です。これまでとは、まったく質が変わってきているのです。


 そういう意味では、こうしたブラック企業の実態は、成果主義の行き着く先を示していると思うのです。


※この座談会はネット動画で視聴できます。


▼若者を使い捨てるブラック企業:POSSE今野晴貴
http://youtu.be/WSTNHHXf3gM


▼日本IBM「ロックアウト解雇」とは:JMIU三木陵一
http://youtu.be/2JXpqRZpqXY


▼「ブラック」の正体:POSSE今野×JMIU三木×岡部
http://youtu.be/imZ_8EH9cDk


※この座談会の全文は『国公労調査時報』に掲載されています。

http://kokkororen.com/news/view.php?id=384