原発の炉心に「飛び込む特攻隊」「被曝要員」として使い捨てられる下請け労働者 | すくらむ

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 一昨日の夜、シンポジウム「そこで働いているのは誰か――原発における被曝労働の実態」(PARC緊急連続企画「さよなら原発!」Vol.5)が開催されました。


 じつは私も参加する予定だったのですが、急用ができ残念ながら参加できませんでした。被曝労働者のプライバシーの問題もありUST中継も無いということで、がっかりしていたのですが、参加した友人がメールでシンポの報告と感想を送ってくれました。その友人がブログに掲載してもOKということですので友人によるシンポの報告と感想を紹介します。(※私が若干編集しています。byノックオン。ツイッターアカウントはanti_poverty)


 シンポジウム
 「そこで働いているのは誰か――原発における被曝労働の実態」
 (6月4日開催 PARC緊急連続企画「さよなら原発!」Vol.5)
 パネリスト
  樋口健二さん(写真家)
  風間直樹さん(週刊『東洋経済』記者)
  蓮池透さん(元東京電力社員、福島第一原発にて勤務/拉致被害者家族)
  ※コーディネーター:河添誠さん(首都圏青年ユニオン書記長)


 シンポの冒頭、「被曝する労働者たち――下請け・日雇いが支える原発の実態」と題したビデオが流されました。(以下ビデオ内容の要旨です)


 樋口健二さんは、原発で働く労働者の被曝問題を追い続けてきた写真家です。


 コンピュータ管理のクリーンな原発というイメージに対し、放射線を浴びながら手作業をする労働者の存在を、樋口さんは38年に渡って問い掛けてきました。


 樋口さんが1977年、敦賀原発で撮った写真は、原発の炉心で定期検査をおこなう労働者の姿を世界で初めてとらえたものとなりました。


 樋口さんは、福島第一原発での被曝労働により、ボロボロになってがんで亡くなった一人の労働者に出会ったことがこの問題を追い続けるきっかけになったと話します。


 「がんで無くなった労働者は、毎日、宇宙人のような格好をして防毒面を着けたけど、暑くて苦しくてこんなものはいつも外して働いていた。何十分かでアラームメーターが鳴る。うるさいから仕事ができないからとアラームメーターも外して仕事をしていたと言っていました。これを聞いて、いったい原発はどういうところなんだという思いが自分に募ってきたのです。原発を40年間ささえて、しまいにはボロ雑巾のように捨てられ続けてきたのが下請け労働者です。ところが、原発の下請け労働者の実態を、みなさんのほとんどが知らない」と語る樋口さん。


 原発の炉心の近くで高い放射線を浴びる作業は、下請け労働者に委ねられているのです。原発は事故が起きなくても定期点検などで労働者は被曝にさらされています。原発はおよそ13カ月運転すると3カ月間運転を止めて定期検査をします。商業用原子炉には、加圧水型と沸騰水型の2つのタイプがありますが、どちらも核分裂を起こす原子炉容器が格納容器の中に納められています。


 原子炉格納容器内に人が入るのは、定期検査のときだけです。労働者はこの定期検査のときに被曝します。部品の点検や補修のほか、放射性物質で汚染されたものを扱う雑用が山のようにあり、1基の原発につき3千人から4千人の労働者を必要とします。労働者の被曝限度は年50ミリシーベルトまで、5年で100ミリシーベルトまでと決められています。しかし、アメリカの科学アカデミー(BEIR-Ⅶ報告、2005年)は「放射線被曝に安全といえる量はなく、リスクは被曝量に比例する。100ミリシーベルト浴びると100人に1人は放射線が原因のがんになる」と発表しています。


 原発労働者の労災問題に取り組んでいる阪南中央病院の村田三郎医師は、「労働者の被曝限度は、安全というよりは社会的に合意する実行可能なレベルということで決められた数字です。健康に対して安全ということで決められた数字ではありません。


 これまで労災と認められた10人の労働者の累積放射線量は1人を除いて5年で100ミリシーベルト以下です。5年で100ミリシーベルトという労働者の被曝限度は、がんや白血病になる人が出ることを前提として決められたものだと村田医師は話します。


 「それぐらいの数字だったら原発産業推進に大きな差し障りのない程度でいける。原発の被曝労働は避けられないので、被曝線量の容認はどうしても必要だというわけです」と語る村田医師。


 避けられない労働者の被曝。原発で働く労働者の被曝線量のうち96.2%が下請け労働者のものです。電力会社で働くものの被曝線量はたったの3.8%です。


 [福島原発で働いていた下請け労働者の証言] 「3次下請けって言っても3次下請けが実際に持っている従業員じゃないんですよ。原発40年の歴史を支えてきたのは日雇い労働者なのです。原発の炉心での仕事では、最初は線量計があってもアラームが鳴ってうるさいものだから線量計を外してしまう。そのため線量計をあずかる係の人がいたぐらいだ。アラームが鳴っても無視してしまうから“鳴き殺し”と呼んでいた。仕事が終わったあと線量計は2~3ミリシーベルトになっていたが、放射線管理手帳を見たら0.8ミリシーベルトと記録されていた。これをみんなは“トリック”と呼んでいた」


 福島第一原発の事故時にも180人に線量計を持たせず作業させていたことが判明しています。


 労働者の安全が徹底されない原因のひとつに、日雇い労働者が被曝要員として大量に動員されている実態があります。野宿しながら原発の定期検査に行き、原発の仕事が終わると野宿生活に戻る人がいるのです。彼らは放射線量の高い炉心で作業する“飛び込み”“特攻隊”などと呼ばれる仕事を担っています。


 北九州ホームレス支援機構の奥田知志さんは、「昔から日雇い労働者は景気の安全弁として、非常に安価な使い捨て労働力として使われてきた歴史があります。その中のひとつが原発労働だったということです。戦後の原子力政策の中で、どれだけの人がかかわってきたかということを考えて欲しい」と語ります。


 文科省の調査では、1999年までに放射線業務に従事した27万人のうち6万5千人の所在がつかめておらず、生死も分からないとされています。把握していなかったではすまされない問題ではないでしょうか。


 以上がシンポに先立って流されたビデオ。樋口健二さんの提起はほぼこの内容に沿ったものでした。原発の定期点検の際、多くの労働者が被曝を強いられています。1977年7月の取材では現場にアメリカGEから連れてこられていた黒人がいたそうです。黒人の彼らには被曝量制限がないからということで、被曝労働を強いていたわけです。 原発を動かすということは被曝者を出すということです。福島第一原発の事故処理だけでなく、通常の定期検査のたびに多くの被曝者が出ているのです。原発をなくせという運動は、これ以上被曝者を出すなという運動だと樋口さんは訴えていました。


 週刊東洋経済記者の風間直樹さんは、「来週号で原発の特集を組みました。現場の労働者は7、8次の下請けで、ハローワークの求人には日給9,000円から11,000円、年齢学歴経験等一切不問とあります。雇用実態は、社会保険等もなく雇用契約もない口約束のものがほとんどです。ピンはね率は8割に及んでいます。偽装請負が問題になったときも、原発労働者の問題にはまったく手がつけられていませんでした。原発での偽造請負は、製造業で悪質だといわれたクリスタルと比較しても酷い実態にあります。労働環境が30年以上変わっていません。労働者が口止めされていて取材も難しく、現場で声を上げていかない限り変わらないと感じています」と語りました。


 元東電社員で福島第一原発でも勤務経験がある蓮池透さんは、「自分は90~100ミリシーベルトの被曝をしています。1970年代の新人だった頃、鍛えてやるというような洗礼でアラームメーターを持って線量の高いところに行き、配管をまたいでアラームを鳴らすなどというみそぎみたいなのもありました。『工学的には一つの原子炉につき100万年から1000万年に1度の割合という事故発生率しかないのだから安全なのだ』と言われ続けていました。核燃料のゴミの行き先もありません。原発はフェードアウトしかないのです」と語りました。


 あ・うんの中村さんからも発言があり、「釜が崎から車の運転の仕事と言われて福島第一原発につれてこられ、線量計を持たされずに原発に入って被曝労働を強いられている人がたくさんいます。そうした人たちは、4日目にようやく線量計を持たされましたが、被曝労働のあとも検査等は一切されていません。新人教育も何もなく、連絡先さえ聞かれることもないのが実態です。原発の現場では、人間が人間として扱われていない実態があるのです。いま私の中で強く思うことは、原発をなくそうという運動は『被曝者をなくせ、人間の尊厳をかえせ』というものだということです」と語りました。


 シンポを振り返ると、原発の現場にいる女性労働者について聴きたかったけれど、人数も多かったし(200人以上の参加)まとまらなかったので質問は出せませんでした。原発労災がまだ10例しか認められていないというのはショックでした。ほとんど却下されているということで、福島原発事故の今後を思うとこれからが大変だという思いを強くしました。そしてなにより、こんなに酷い実態にある原発での被曝労働が、表にはほとんど出されず社会問題になっていないことが一番恐ろしいことだと感じました。