NHK「無縁社会」の衝撃 - 若者を無縁社会の悪循環に追い込む自己責任社会 | すくらむ

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 昨日、NHKが「無縁社会」の特集を、前回のNHKスペシャルの再放送含め3時間近くに渡って放送しました。冒頭に再放送された番組は、過去エントリー「NHKスペシャル「無縁社会 -無縁死3万2千人の衝撃」 -壊れる家族・地域・仕事」 を参照いただくとして、その後の放送内容を要旨で紹介します。(※いつものように相当丸めた要旨ですので御了承ください。byノックオン。ツイッターアカウントはanti_poverty)


 【※以下、番組キャスター・鎌田靖さん、放送大学教授・宮本みち子さん、NPO北九州ホームレス支援機構代表・奥田知志さん、経済評論家・内橋克人さん、それぞれ敬称略で名字を冒頭に付けて発言要旨を紹介します】


 「本当に息つく暇もないというか、食事もまともにできない感じでした。毎日、帰宅は午前の2時3時でした」――大手銀行で長時間過密労働のすえ、妻子とも無縁になってしまった男性。


 宮本 会社をやめた途端、つながりを失う。自分も同じだと思われる方が多いのではないでしょうか。日本はとにかく経済成長優先の企業社会で、男性中心の働きバチを徹底的にやったわけです。それがなんとかうまくいっていたのは、とにかく家族を養える給料がもらえて、男性はそれを家に入れている限りは、子育てなどの家庭責任は果たさなくともいいというような感覚できた。でも結果は妻子に逃げられてしまって、ひとりになってしまったら、なんにも残らない。日本の経済成長優先の企業社会というものが、どういう負の遺産を残したかということをこのケースは、よく示していると思います。


 鎌田 国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、単身世帯の割合が、2030年には日本全体で37.4%。東京では半分が単身世帯になると推計されています。生涯未婚率の推計は、2030年に男性で29.45%、女性で22.55%となります。


 宮本 日本は国際的に見ても、生涯未婚率が非常に高い社会になっています。日本にも結婚は、誰でもできると思われていた時代がありました。その背景にあったのは、社会の安定性と経済的豊かさというものだったと思います。個人の自由の中で結婚は行われるわけですが、しかしこの間、結婚ができない不利な条件を持っている人たちが増えている。不安定雇用が広がる中で、自分は働いて生きて行きたいと思っているけれども働くこと自体が不安定で、結婚したくてもできない、家族を持ちたくても家族を持つこともできないという生涯未婚社会が広がってきています。


 かつての“縁”に戻れるか


 宮本 「昔に戻ればいい」と言う場合、多くの方は大昔を想定しているわけではないと思うのですが、おそらく経済成長時代の会社がしっかりあり、そこでちゃんと雇用と給料が保障されて、そして家庭というものがあり離婚は少ないというような時代に戻ればいいじゃないかという話だと思います。しかし、かつての終身雇用の非常に強い企業社会というものに戻せるのかという問題がまずあるのと、そうした時代が本当に良かったのかという問題があると思います。男性を中心に会社にがんじがらめにされ、その中で非常に固定した形の中で家庭生活が維持されていたことが、本当にみんなが幸せであったかというとかなり様々な疑問があります。そういう画一的な暮らしからもっと自由になりたいという気持ちも一方であったわけです。ところが、自由というよりも不安定雇用と危険な社会が加速化してきてしまったのが現在です。そこで、次の新しい段階をどう考えればいいのかということだと思うのです。生涯未婚、単身化、離婚、子どもの貧困問題など、様々発生している問題に、どう対応していくかを考えなければならないと思います。


 無縁社会を改善するヒント


 〈ナレーションとVTRで、人と人との新たな絆をつくろうという取り組みの紹介〉横浜市内のマンションでは、住民たちが自ら園芸部を立ち上げました。月に2回、中庭に花を植えたり、雑草を取り除いたりしています。参加しているのは、ひとり暮らしで閉じこもりがちだったお年寄りや、転勤を繰り返して知りあいがいなかったという人など様々です。


 「ひとりで暮らしていると、とても不安になるんですね」、「でも周りにみんないると思うと、本当に良かったなと思う」


 「会社との縁は、60歳で切れる。そうすると私の生活の基盤は、このマンションでありこの地域になる。園芸部が自分のつながりの基盤です。それを通じて関係がどんどん伸びていけたらすばらしいなと感じています」(50代の独身男性)


 大阪では、子どもたちがホームレスの人たちに毎月1回、手作りのおにぎりと日用品を配っています。「一緒の目線になってしゃべってみれば、おっちゃんたち普通ですし、元気になってくれたら、うれしいな」(子どもたちの声)


 新潟では孤立しがちなひとり親の家族を地域で支援し、ひとり親同士で交流できる場所などを提供しています。「ここに来ると、同じひとり親同士で話ができていい」――悩みを打ち明けあうことで生まれる新しいつながりです。「娘も不安で、私も不安という感じだったので、外で会ったときに、あいさつできる人がいると心強い感じがします」(母子世帯の母親)


 徳島の山村で、毎朝、軒先に立てる赤い旗。きょうも元気だという目印です。「きょうも旗を元気に立て取るなあと思ってみています」――山間でひとり暮らすお年寄りたちが互いに旗を確認しあっているのです。


 人と人とをつなぎたい


 人と人をつなぐため、NPOが重要な役割を果たしています。北九州でホームレスの支援にあたっているNPOです。仕事や住宅探しを手助けし社会復帰の支援を続けています。ここ数年、働き盛りの30代の姿が目立つようになってきたと言います。


 「何歳になるんですか?」「32歳です」「若いなぁ。寝泊まりはどこでしてたの?」「余裕がなかったら外で。あればネットカフェとか」


 若者に広がる無縁社会


 若者の中には、人に迷惑はかけたくないと支援を拒む人も少なくありません。それでも粘り強く向き合うことが大切だと考えています。


 奥田 「助けて」と言えない世の中って、僕はさみしすぎると思うんですよね。だって、誰も基本的にはひとりで生きていけないし、ひとりで頑張ってもしれてるわけで。どこかで「助けて」と言える、それをみんなで保障していく社会でないと、どんどんひとりぼっちに追い込まれて、まさにホームレス化していく、関係を失っていく、絆を失っていく、そんな人が続出すると思います。


 特にここ最近の不況の中で、若いホームレス層にたくさん出会うんですけども、彼らの多くは「助けて」と言えない状態ですね。50代、60代のホームレスと違って、まだ家族がいる世代ですから、なぜ実家の方に助けを求めないのかと聞くと、ひとつはこんな格好では帰れない、こんなみすぼらしい格好では家には戻れないと言う。じゃあどうしたら戻れるかと聞くと、もう1度働いてお金をためたら戻れると言う。もうひとつは、親にこれ以上迷惑をかけたくない。この2つが大きな理由になっています。単純に家族との関係が希薄になっているというよりも、家族とは何か、社会とは何か、ということがあいまいになってきているんだと思います。ですから「助けて」と言えないということは、私は非常に象徴的な言葉で、これは“非社会”だと思います。逆に言うと、社会が社会であるための存立要件というか、存在している要件は、「助けて」と言えるかどうかだと思うのです。


 宮本 社会というのは“織物”のようなものだと思うのですね。人間はその織物の中のどこかにいて、そこからいろいろな形でつながっていく。そういう中に置かれることによって、安心があり、生きる希望があり、なんとかこれでやって行けるのではないかという気持ちを持つことで生きていけると思うのですが、それらが今がらがらと崩れていき、織物がなくなっているわけですね。、新しい織物をつくり、そこになかなか乗ってこれない人たちも乗ってこれるような社会にする必要があると思うのです。


 ヨーロッパではこういう問題を「社会的排除」の問題として取り組むようになってきています。その出発点は1980年代ぐらいに、日本以上に早くにヨーロッパの国々は雇用の流動化・不安定化社会に入り、製造業中心の時代からサービス産業中心の時代になって、その中で不安定雇用、低賃金に悩む人々が非常に多くなったということがあるんですね。今では、社会的排除に対する国の取り組みというのは非常に重要な政策になっていて、EU加盟国が歩調を合わせて社会的排除と取り組みながら、「社会的包摂」を進める「包摂社会」をめざして、人々を社会の外に出してしまわないこと、それが重要な政策として進んでいます。日本もまさにそういうとらえ方を今しなければいけない段階に入っていると思います。


 奥田 私が野宿の現場で見てきたことが、じつは日本中に広がっていると感じています。つまり家があろうがなかろうが、経済的困窮に置かれていようが置かれていまいが、ホームレス化のような状態になってしまっている。絆が途切れた人たちに対する支援の中身としては、経済的困窮への支援を最低のものとして、絆という“関係の困窮”に陥っている問題について、支援の設定を仕切り直す必要がある。ただ対処療法的に個々ばらばらで対応するのではなくて、根本的な問題設定自体を見直すことが必要です。経済的困窮に対するセーフティーネットは当然ですが、無縁社会の広がりに対しては、絆の部分のセーフティーネット、いわば“絆の制度化”が必要だと思います。絆と社会制度というのはなじまないと思われるかも知れませんが、現場にいるものとしては、ここまで社会の絆が崩壊してしまっていては、なんらかの社会的な制度として絆を回復させなければもうもたないと思っていますので、あえて“絆の制度化”ということを言いたいと思います。


 宮本 たとえば、養護施設や児童相談所、ハローワークなどのセーフティーネット。母子家庭の問題や、ニート状態の若者の支援の問題など、それぞれ一人ひとりが抱える困難な状況をみながら、この人をどうすればこの社会の中から脱落せずに、きちんと社会のメンバーとして生きていけることになるのかという、一人ひとりを支える個人的なサービスが必要です。しかし、これを担う人があまりにも少ない。これはもともとは、家族とか、親族とか、地域社会がやってきたことだと思うのですが、ここが無くなってしまったので、それに替わる部分、対人サービスのパーソナルなサポートのための人材にお金をかけなければいけないと思います。そして、今の状況の中で、孤立させない、路上に放り出さない、という安心をまずはつくらなければなりません。


 奥田 持続性のある“伴走者”が必要になっていると思うのです。これはいわばみとりまで続くものです。今も、医療ソーシャルワーカーや福祉ならケースワーカーなどがいるのですが、それがうまくトータルな伴走者にはなっていないのです。それは、それぞれの制度内だけのコーディネーターだからです。ですから、制度内のコーディネーターをうまく活用するために、私はそれぞれの制度をまたいでいける伴走的コーディネーターという枠組みを制度として作らないといけないと思います。


 社会の中で一人ひとりがどう考えていけばいいかという問題は、とても難しい問題で、特効薬はないと思いますが、日頃、社会って何だとは考えないと思うのですが、こういう事態になると、そもそも社会って何だったんだと根本的に考える必要もあると思っています。絆が途切れていった、それに頼らなくなったという背景にあるのは「自己責任論」だと思います。この「自己責任論」を払拭していく、乗り越えていくためには、社会が責任を持つんだという宣言がやはりいるんだと思うのですね。絆さえ自己責任論で片付けられたらたまらない。絆が社会だったのですよ。私はやはり社会を取り戻したい。もう1度、社会というものが私たちの絆であって欲しい。赤の他人がちゃんとかかわってくれる責任社会であって欲しい。まず私は社会の側が、絆の制度化ということも含めて、責任を表明する。「助けて」と言っていいんだというのを合い言葉にしていく。それは、我々自身のメンタリティーや日常性も問われていく問題でもあります。「助けて」と言うこと自体、勇気がいるのです。決して弱音じゃない。私は「助けて」と言えた人に「偉い」と言えるような社会につくり変えていくことが大事だと思います。


 (※ここからは引き続き「無縁社会の衝撃」を取り上げた「追跡!AtoZ」。ツイッターで無縁社会に関してつぶやいた30代をルポするとともに、“無縁ビジネス”ともいえる新たなビジネスが、共同墓建設にとどまらず、保証人代行サービス、見守り代行サービス、話し相手サービスなど、様々な分野に広がっている実態をドキュメントしていました)


 鎌田 「わたし無縁死予備軍です」――ツイッターなどネット上にあふれる「無縁死」の文字。安心して老いることができない日本社会の現実。ネットでの3万件の反響。その多くが30代、40代のつぶやきでした。


 「無縁社会、他人事でないなぁ(大学生、男性)」「このままいくと私も無縁死になる(会社員、女性)」――若い世代が抱える孤独と不安。無縁社会の衝撃はどこまで広がっているのしょうか。


 「俺も仕事がなくなったら無縁死だなぁ」――SEですが、過重労働でうつ病になってしまった34歳独身男性。ツイッターで、自分の気持ちをつぶやくと、瞬時にたくさんの反応が帰ってきます。


 「ツイッターは今おれもそれを感じたよという。それを感じることが自分にとっても相手にとっても安らぎを感じさせるんじゃないかなぁと思うんですよね。ツイッターは心の安定剤になっているのかもしれないですね」


 「孤独死するかも」30代の叫び


 不安定な契約社員として働く38歳独身女性。孤独を癒すように、ツイッターでつぶやき続けます。「無縁死、ロスジェネ世代が敏感になっているような気がする。35歳になると限界が見えてきて、結婚市場においても価値が低下する時代。だから無縁死について考えるんだと思う」


 「就職氷河期で苦労して非正規雇用。努力して働いたけど、結局不況と自己責任」、「自己責任という言葉に縛られ厳しさの中でも他人に頼らずに生きてきた」、「結婚して子どもをつくってという「普通の幸せ」の価値が高騰」、「家族が築けない」


 鎌田 「無縁社会は他人事ではない」と書き込む若者たち。人とのつがりが薄れていくことで、社会と関わることに消極的になり、さらにつながりが薄れていく。“無縁社会の悪循環”に陥った若者たちの姿が浮かび上がってきました。ツイッターのやりとりが私にはつぶやきでなく、悲鳴のように聞こえます。


 新たな“無縁ビジネス”


 団地の一室。有料で電話の話し相手をするサービスをしています。
 「仕事が忙しく自分の時間が取れず、ストレスがたまる」――仕事や恋愛の悩みを打ち明ける人たち。アドバイスを求めるというより、ただ本音を聞いて欲しいという電話がほとんどです。電話をかけてくるのは、20代から50代の働き盛りの世代。


 46歳の会社員から「独身生活に孤独を感じ、毎日が味気ない」という電話。「夜、さみしくて涙が出る」という50代の独身男性。「中間管理職の仕事がつらい」という50代の看護師の独身女性など。「去年から爆発的に増えた」と語る業者。料金は10分あたり千円。なかには月に20万円近く利用する人もいます。なぜ、家族や友人でなく有料のサービスを利用するのか?を利用者に聞くと、「友だちとか家族とかに言うと心配しちゃうのかなと思う」とのこと。今の若者には社会から孤立する構造的背景があると指摘する内橋克人さんに話を聞きました。


 内橋 若者たちの持っている意識。「俺も無縁死かな」というつぶやき。これは、若者たちが長寿社会の中で今後年齢を重ねて生きていくことになるわけですから、日本社会の未来の姿をもうすでにあらわしています。若者たちは本当の自立を求めて都市にやってきたかも知れない。しかし、与えられたのは「自立」ではなくて「孤立」なんですね。ひとりぼっちにされ、その中で、不安定な雇用の中で、夢もしぼんでいく。不安定労働の荒野を長い時間、彷徨することを迫られるという社会の構造の問題があります。


 そして、若者は一様に自分自身を責めている。社会の側は、こうなったのは、君の責任だよという自己責任論で追い詰める。しかし、いくら努力しても努力しても成功できないような構造になっている。そういう社会構造の中で生まれたきた問題であって、その構造を前提にしながら、若者に自己責任論を迫るのでは、日本の未来は無いと思います。


 若者たちは、ただ希薄な関係に放り込まれたというだけではなくて、若者たちがビジネスの対象になっていく。苦しみや孤独、精神的な苦悶、孤立感さえもビジネスの対象になっていく。「貧困ビジネス」と同じように、「無縁ビジネス」が、日本社会に根っこをおろしつつある。それは、家族の崩壊・解体、家族力ともいうべきものがどんどん衰退していく。いわばコインの裏表の関係に「無縁ビジネス」がある。日本の旧来の封建的な地縁・血縁社会は崩壊しつつあり、つながりを断たれた中で、自立という名の孤立に追い込まれる。こういう現実をあらためて見直していく必要がある。必要とする生存条件を満たすあり方を作り整えていかなればいけない。現実の中で様々な悲鳴がその必要性を訴えています。その声を社会の側が聞くべきなのです。


 鎌田 終身雇用が崩れ、不安定な雇用が広がる日本社会。にもかかわらす、かつての経済成長時代以上に競争を強いられ、業績アップを求められる若い世代の人たち。結婚しないのも家族も持たないのも彼らの自己責任だと果たして言い切れるでしょうか。社会もその責任を負うべきではないでしょうか。個人の責任ではなく、かつての社会に戻るというのでもない、新しい社会のあり方への道筋をこの国が明確に示す必要がある時期に来ていると思います。