クローズアップ現代「“助けて”と言えない~共鳴する30代」-孤独死もたらす自己責任論の呪縛 | すくらむ

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 昨夜放送されたNHKクローズアップ現代「“助けて”と言えない~共鳴する30代」は、昨年10月に放送された「“助けて”と言えない~いま30代に何が」 の続編です。番組のあらましを紹介します。(※相当要約加工していますので御了承を。by文責ノックオン)


 北九州市で39歳の男性が孤独死しました。男性は「助けて」と声をあげないまま餓死したのです。こうした社会から孤立する30代が増えていることを前回の放送で指摘しました。


 会社を解雇され路上生活を余儀なくされている30代の男性・入江さん(仮名)は、「全部において何が悪いかって言ったら自分が悪いしかない」、「何が悪い? 自分が悪い。これ以外の言葉はない」と言い切ります。


 こうした自分だけを責めて「助けて」と声をあげることができない30代の姿に対して、放送後、インターネット上で、反響が広がりました。


 「自分がダメだから、もっと頑張れば…心に刺さります」、「明日はわが身かも知れない」、「私も『助けて』とは言えない」、「すべて自分が悪いと思う」などという書き込みが殺到。なぜこれほどまでに共感が広がったのでしょうか? あらたな取材から浮かび上がってきた30代の実像を番組は追います。


 〈国谷裕子キャスター〉 前回の番組を見て、「仕事が無かったり、住まいが無かったり、お金に困っていることが、すべて『自己責任』という言葉で片付けられているような時代に怖さを感じた」、「本人が頑張らなかったという理由だけで、現状のどうしようもない事態に陥ったのでしょうか?」という感想が寄せられています。


 働き盛りであるはずの30代が、厳しい雇用環境の中で、仕事だけでなく、住まいも失い、セーフティーネットからもこぼれ落ちているにもかかわらず、「自分が悪い」、「自分の努力が足りなかった」と自分を責め、「助けて」と言えない実態を伝えた前回の番組。放送後、30代を中心に3日間で2千件のブログへの書き込みがあり、今も増え続けています。


 書き込みの多くが、自己責任を強く求められてきたゆえに「助けて」と言えない、決して人ごととは思えない、という内容でした。


 食べるものにこと欠くようになっても、家族や友人に「助けて」と言えない。相談すれば「負け組」と思われる。80万人近い30代の失業者。改善しない有効求人倍率。それでも結果を出せないのは、自分が悪いと声をあげない30代。前回の番組で紹介した32歳の男性と、彼の姿に共感すると書き込みをした人をあらためて取材しました。(国谷キャスターの話はここまで〉


 路上生活を続ける32歳の入江さん。去年9月に取材したとき、公園で寝泊まりしていました。精密機器メーカーで非正規労働者として働いていた入江さんは解雇され、2日間を1個100円のパンで暮らす生活。一方で、入江さんはプライドもあって、ホームレスと気づかれないように、身なりに気を配っていました。できるだけ食費を切り詰めて、10日に1度は洗濯をしていました。しかし、入江さんは、こうした状況になったのは、社会ではなく、自分のせいだと自らを責め続けていました。


 「自分が悪い」--この入江さんの言葉に共鳴する声がブログでまたたくまに広がりました。「私も30代です。『自己責任』という言葉を強く埋め込まれてきました」、「今の自分は努力しなかった結果だ」、「つい自分を責めてしまいます」--なぜ自分を責める姿に共鳴したのか? ブログに感想を寄せた人たちを訪ねました。


 38歳男性Iさん。「自分が悪い」という入江さんの言葉に自分を重ね合わせたと言います。Iさんは一昨年、正社員として働いていた出版社をやめました。30歳になって副編集長に抜擢されたIさん。しかし、その後、売れる本を作れと次々にノルマが課せられ、休みも無く働き続けました。33歳のとき、Iさんに異変が起こりました。うつ病になったのです。病気になって十分に働くことができない自分を責め、Iさんは会社をやめました。「何が悪いって聞かれたら、自分が悪い、もうそれしか言いようがない。ただそれだけだって言ってるところに、すごく共感を覚えます。とくに仕事で思うように成果を出せなくて、会社をやめざるを得なくなってしまうということに関しては、やっぱり何か自分に足りない部分があったんだろうと思ってしまうのです」と語るIさん。


 女性の間でも「助けて」と言えないという声が広がりました。--「誰かを蹴落とさないと自分が蹴落とされる社会」、「目の前のことに追い込まれて、心を開くなんて単語、思いつきもしなかった」とコメントを寄せた37歳の女性。3年前、正社員として働いていた化粧品会社をやめました。女性が社会に出たのは1995年。当時はいわゆる就職氷河期。友人の多くが希望する仕事にはつけませんでした。そうしたなか、女性は正社員として採用されました。しかし、会社では成果主義が導入され、結果を出せないと替わりはいくらでもいると、厳しく罵倒されました。「まだ自分の努力が足りないの一心で、厳しい状況なのに、売り上げを上げられないのも、自分ができないからだと思い込んでいました」と語ります。


 さらに女性は追い詰められていきます。母親が体調を崩し、介護が必要になったのです。会社に迷惑がかかると思い、介護休職を取りませんでした。女性はからだがもたなくなり、結局会社をやめざるを得ませんでした。「助けてもらうという発想がなくて、自分で何とかしないと、しっかりしないとって必死で走っていたので…」と語ります。


 インターネット上には、「『助けて』と言ったところで、どうにもならない」というあきらめの声も数多く書き込まれていました。--「いざ助けを求めたら、『甘えるな』って突き放すでしょ」、「負けを認めても生命の危機から脱出できるだけ。希望が見つかりません。終わりのない“ラットレース”に復帰しただけです」、「一度でも助けを求めたらそこで『終わり』」


 「自分が悪い」という言葉が30代の共感を呼んだ入江さん。その後、食べものを買うお金もまったく無くなり、やむなく生活保護を申請していました。毎月受け取るお金は7万9千円。今は寒さをしのぐために、ネットカフェで寝泊まりできるようになりました。しかし、生活は厳しいままです。受け取ったお金は、ネットカフェの料金と食費で無くなります。アパートを借りたくても敷金などの費用が貯まらず、保証人も見つかりません。正社員の仕事を探していますが、住所が無いため、採用してくれる会社はありません。「仕事をせずにお金をもらうっていうのが、おこがましいと言うか、自分もまだ元気なのに、そういうお金をもらっていいのかなっていうのもありますんで」と語る入江さん。


 〈路上生活者を支援しているNPO北九州支援機構の炊き出しなどの取り組みのVTR〉孤立する30代が増え、37歳の男性が救急搬送され亡くなるなど深刻な事態になっており、「若い方でも危ないという状況です。ちょっとでも具合が悪い、おかしい時はぜひ相談してください」と炊き出しをしながら訴えます。さらに、5日前にまた30代が路上で命を落としたことが伝えられます。


 ゲストのNPO北九州支援機構の代表・奥田知志さんは要旨以下のように語りました。


 彼らに対してなぜ「助けて」と言わないのかとか、なぜひとりで頑張ってしまうのかを問題にするのではなくて、「助けて」と言う必要のない社会にすることが必要です。社会の方こそ、本当に社会の責任を果たすのか果たさないのかが問われるべきで、社会がきちんと責任を果たした上で、自己責任を求めるべきだと思います。


 人間は、自分で頑張るためには誰かの存在やつながりが必要だと思います。人間はひとりだけでは生きていくことができないので、頑張るのをやめる必要はないけれど、ひとりだけで頑張るのはやめた方がいいと思うのです。


 リーマンショックの前は、私たちが関わってきたホームレスの方の年齢は平均で50代後半でした。年齢的にも家族との関係などが途切れることが多い世代でしたが、リーマンショック以降、まだ家族との関係が身近なところにあるだろうと思われる若者たちがホームレス状態になっています。ホームレスになっても家族のところには帰れない、自分が頑張るしかないと言って路上にたたずんでいる若者たちの姿がこの1年多く見られました。


 最初の頃は単純に一端家に戻った方がいいのではないかとよくアドバイスしていましたが、彼らは「こんな姿じゃ家に帰れない」と言っていました。じゃあ、どうしたら帰れるのかと聞くと、「もう一度働いてお金を貯めたら帰ることができる」と答えます。おそらく、彼らが中学生以降育ってきた時代が「自己責任論の時代」で、自己責任を果たせない人間は、人前にも、親の前にも立てないというふうに、彼ら自身が「自己責任論」に呪縛されている。そういう世代になっているのではないかと思っています。


 「自己責任論」というのは、個々人に責任があるということを一見言っているように見えるのですが、実際のところは、社会の側や、周りの人たちが助けないための論理だと思うのです。それはあなたの問題だと言い切ることによって、社会の側は手を貸さない。「あなた自身が頑張るしかないのだ」と言って、「社会の側は助けないための理屈」、それが「自己責任論」だと思います。


 ですからそういう中で、若者たちは長年育ってきて、自らもそういう考え方をしてきたでしょうから、社会に対しては期待しない、期待しても無駄だ、という思いはすごく深いところであると思います。


 絶望しているということも、希望を見い出せないということも、すべて自己の中だけで完結した議論、考え方が支配していると思うのです。人間の希望というのは周りのつながりから生まれてくるものだと思うのです。希望というのは社会的なもので、外から差し込んでくる光のようなものだと思います。ですから、自己の中だけで完結させられる「自己責任論」は絶望をもたらすのです。そして、生活保護とかハローワークなど様々な受け皿も大事ですけども、それをつないでいく人の役割も大事だと思います。伴走的に支援をしていく、つながりをコーディネートする役割が社会的に保障されなければならないと考えています。寄り添ってくれるような人の存在が大事です。人が人を救うのです。〈NPO北九州支援機構代表・奥田知志さん談〉