貧困と格差は中間層・高所得層の死亡率も増加させる | すくらむ

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国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。

 山梨大学助教の近藤尚己さんの研究によると、「社会の所得格差が大きくなると、貧困層だけでなく中間層や高所得層でも死亡する危険性が高まる」、「格差の指標となるジニ係数が『格差が広く意識され始める』目安とされる0.3を超えると、0.05上がるごとに、一人一人が死亡する危険性が9%ずつ増えていた。影響はどの所得層や年齢層でも、男女ともに表れた」とのことです。(※読売新聞11/21「格差社会高まるストレス、高所得層も死亡率増」 や、共同通信11/11「所得格差で日本でも2万人超死亡 15カ国で154万人と推定」 を参照ください)


 これまで「健康格差」「命の格差」としてクローズアップされてきたのは、格差社会における貧困層の健康悪化であったように思います。しかし、この研究結果によると、格差が拡大すればするほど、「中間層や高所得層でも死亡する危険性が高まる」というのですから驚きです。


 それでは、なぜ「中間層や高所得層でも死亡する危険性が高まる」のでしょうか? 今回報道されている近藤尚己さんの研究論文 は、ジニ係数と健康悪化との関係をデータ解析した結果を示しただけで、なぜ中間層や高所得層でも死亡する危険性が高まるのかという原因究明までは至っていないようです。


 その手がかりとして、近藤尚己さんは、『貧困研究』(vol.2、2009年5月、明石書店)に掲載されている「貧困・所得格差と健康」と題した論文の中で、次のように指摘しています。


 「生存可能な程度に物質的には満たされていても、他者に比べて自分が経済的に不利な立場にある(=相対的に剥奪されている)と感じることで、人は抑うつ的になり、不満・焦り・劣等感といった感情にさいなまれ、そのことが直接的に(高血圧や自殺企図といった生物学的な健康リスクを増大させ)あるいは間接的に(喫煙・食習慣・飲酒などの生活習慣の変化を通して)健康状態を悪化させる」、「人は他者との関係性において自分の行動を決定する」(『貧困研究』vol.2、42ページより)


 「90年代中期からの経済危機が健康格差に与える影響を1986年から2001年までの国民生活基礎調査のデータを用いて分析した。その結果、経済指標が最も悪化し、自殺者数が急増した98年を境として、サービス業・販売業・事務職といった一般的な非肉体労働者(ホワイトカラー)および専門職の男性に加えて主婦の健康状態が有意に悪くなったことを示した(一方で失業者は経済危機に関係なく一貫して有意に不健康であった)。バブル経済崩壊後の大規模なリストラ後、企業に残ったホワイトカラー男性(およびその妻たち)が、強い労働負荷と精神的不安にさらされている現状を反映している可能性が考えられた。このシナリオは明確に立証されたわけではない。わが国の近年の経済動向と健康格差との関連について、今後の更なる研究による確認が待たれる」(『貧困研究』vol.2、47ページ)


 上記で指摘されているように、「このシナリオは明確に立証されたわけではない」ということですが、「このシナリオ」は、反貧困ネットワーク事務局長・湯浅誠さんが、国公労連の中央労働学校の講義で指摘した「貧困か?過労死か?「ノーと言えない労働者」つくる自己責任論が全労働者を貧困スパイラルに陥れる」 というのと同じだと思いました。過去エントリー から湯浅さんの講義要旨を以下再掲しておきます。


 いま非正規労働者だけでなく、周辺的正規労働者に、ワーキングプア状態が広がっている。労働市場が全体として地盤沈下して、正規公務員を含む中核的正社員だけが残る。そうなると、中核的正社員・正規公務員に対する羨望や妬み、「なんだあいつらは」という見方が厳しくなり、要求があがってくる。「なんだあいつらは、あんなに給料もらってろくな仕事してないじゃないか」という話になる。


 非正規労働者や周辺的正規労働者がこれだけ広がってくると、中核的正社員・正規公務員も自分と同じような仕事を自分の半分の給料でやっている労働者が自分の職場の中にいることになる。そうなると、中核的正社員・正規公務員の側には、「あんたそれだけ給料もらう仕事をしてるのか」と問われることになる。「それだけの給料もらってるのに仕事できないんだったら、あんたも非正規になれ、不公平でしょ」と言われる。すると、“私はそれだけの給料をもらえるに値する人間だ”、“私は常に成果をあげられる人間だ”ということを日々証明しないといけなくなってくる。それで、普通に仕事しただけでは成果をあげられないと、超長時間労働がはびこってくる。結果、うつ病・過労自殺・過労死が過去最悪の件数にのぼることになる。


 貧困がどんどん広がってきて、ちょうどコインの裏側に、過労死をうむ労働が増えるという関係にある。実際の労働市場の中で起こっていることは、非正規が負け組で、正規が勝ち組などという話ではなくて、「過労死するほど働くか?」、「生活できない貧困にとどまるか?」という「過労死か?貧困か?さあどっちにする?」と言われているような状態だ。


 こうして、労働現場に余裕のない状態が広がってくると、どういうことが起こるかというと、ちょっとでももたもたしている人、のんびりしている人が許せなくなってくる。昔だったら笑ってすんでたようなことも笑ってすまなくなってくる。ただでさえ、長時間労働で帰れないのに、「お前がもたもたしてるから、より一層帰れないじゃないか」、「期日せまってるのに、仕事終わらないじゃないか、いい加減にしろ」と職場の中のフラストレーションがたまっていきやすくなる。こうして、職場の弱い人が排除されやすくなり、どんどん労働市場から排除され、職場はますます余裕がなくなる。まわりが互いにフォローしている余裕がないから、それぞれ孤立して問題を抱え込み、うつ病になるなど職場の状況は悪循環に陥る。


 労働市場から排除された人は、それで終わるわけではない。どんな劣悪な労働でもやるという、「ノーと言えない労働者」になって労働市場に戻ってくる。こうして労働市場は「ノーと言えない労働者」であふれてくる。そうすると、雇う側は、日給5千円で働く人間がいるのに、なんで日給1万円の人間を雇わなくちゃいけないんだ、バカらしいという話になる。労働市場は急激に崩れていく。


 貧困は、労働市場が壊れて、社会保障がない“すべり台社会”の日本において広がっていく。しかし、貧困はそこで終わらないで、労働市場で排除された人たちが、ブーメランのように労働市場に「ノーと言えない労働者」として戻ってきて、さらに労働市場を壊す役割を担わされる。つまり貧困は、労働市場が壊れてきた結果であると同時に、労働市場を壊す原因でもある。これを私は「貧困化スパイラル」と呼んでいる。


 フリーターや野宿者をほおっておいたら、労働市場にワーキングプアになってもどってきた。ワーキングプアがこれだけいるのだから、みんなきつくなってもしょうがないよねという話になって、みんなの労働条件がどんどん切り下げられる。そういう事態に現になっている。


 さらに日本が深刻なのは、労働市場の外で暮らしていける社会保障が制度的にないだけでなく、イデオロギー的にもないことだ。フランスの若者が「自分たちの労働力は安売りしない」「劣化した雇用では働かない」と主張し雇用制度の改悪を押し返したが、日本の若者が同じことを言ったらどうなるか。日本中から、袋だたきにあう状況だ。「ふざけんじゃねぇ働け」「甘えるんじゃねぇ」と、たたく人は、若者の甘えた根性をたたきおなしてやってるんだ、自分はいいことやってるんだみたいな気分になっている。しかし、結果的には「ノーと言えない労働者」を増やしていることにつながり、じつは自分自身の足元を掘り崩していることになる。


 人間には2種類ある。そこそこまじめで、そこそこいい加減なところもあって生きていけてる人と、生きていけない人の2種類だ。日本社会で、生きていけない側になると、途端に「あなたが生きていけないのはこのせいなんだ」と言われてしまう。「あなたのここが悪いから生きていけなくてもしょうがない」と言われる。これが「自己責任論」だ。


 椅子取りゲームに例えると、8脚の椅子に対して、10人では必ず2人は座れないわけだが、このときに何に注目するかがポイントになる。座れなかった2人の問題にだけ注目すると、いくらでも問題は指摘できる。座れた8人と2人はそんなに違わない場合でも、2人に注目すれば、座れなかったという結果があるから、結果から見れば何か問題を指摘できることになる。例えば、2人は、ちゃんと音楽を聴いていなかったとか、日々の鍛錬が足りなかったとか、太り過ぎてたとか、いくらでも問題を指摘でき、それは一つひとつあたっていたりする。完璧な人間はいないからだ。しかし、椅子の数の方に注目すれば必ず2人は座れないわけで、2人の問題ではなく、椅子の数の問題になる。貧困の問題はつねにこの2つの見方の綱引きだ。貧困を社会の問題とするか、自己責任の問題とするか。これまでの日本は、自己責任論の方が強かったが、この間、ようやく社会の問題の方へ、引っ張り込めてきた。もっと綱を引っ張らなければいけない。


 貧困の問題に取り組むのは、「可哀想な誰かを助けてあげよう」というレベルの話ではない。これまで見てきたように、貧困の問題は、労働市場全体にかかわる問題であり、すべての働く仲間の状況につながる問題だ。あらゆる職場の状況が、弱い人が切り捨てられやすくなってきている中で、どうやって全体でささえられるか。それぞれの職場の状況を改善するということと、貧困問題を改善していくということは、同じコインの裏表の関係にある。大事なのは、この問題意識を持った上で、いろんな問題に取り組めるかどうかだ。貧困問題は、すべての働く人の利益に直結する問題だ。すべての働く人が、自分の雇用・労働条件と、家族や仲間の雇用・労働条件を改善するために、貧困問題の改善に取り組む必要がある。


(byノックオン)