「タイミングは神様だ!」後鳥羽上皇舞い降りし気の舞 | MAJOLICA

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動きは舞う如く
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永久に祝福あれ☆☆☆
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2018年5月

初めてDr.Shuこと五島秀一氏の勉強会に参加した時の第一声が

「僕はいま隠岐島に行ってみたいんだ」でした。

さらに聞いてみると海士町(あまちょう)に行ってみたいと仰る。

 

驚きました

なぜならその一週間後に私は隠岐島へ行くタイミングだったから。

 

そして4年後の2022年5月

海士町にある「隠岐神社」にて

「Dr.Shu気の舞」の奉納をさせていただきました。

 

しかし当初は隠岐神社の床がコンクリートということで

ここで舞うのは厳しいのではとないか等々あったのですが

なぜかわからないけれど

どうしても隠岐神社でないとダメだと私の直感が叫ぶ。

 

「五島先生、どうか足を痛めないように慎重に舞ってください」

とお伝えして本番を迎えました。

 

さて隠岐神社に到着すると

そこで目にしたのは木をびっしり敷き詰めたステージ...

なんと後鳥羽院遷幸八百年祭のために令和4年になって造られたものでした。

 

「僕はいま隠岐島に行ってみたいんだ」

果たしてこのタイミングは偶然なのでしょうか?!

そういえばDr.Shuは言ってました。

 

タイミングは神様だ!

承久3年(1221年)、後鳥羽院により発せられた鎌倉幕府の執権、北条義時追討の院宣に端を発する承久の乱。この戦いに朝廷方が破れたことにより、後鳥羽院は海士にお遷りになりました。そして19年間お過ごしのあと、都に帰ることなく御隠れになります。院がお遷りになられてから令和3年(2021)で800年となります。

隠岐島で詠んだ和歌

「我こそは新島もりよ 隠岐の海の 荒き浪かぜ 心して吹け」

(私はこの島の新しい島守です。隠岐の海の荒い波風は、心して吹けよ)

後鳥羽上皇は蹴鞠・琵琶・秦箏・笛などの芸能のほか、相撲・水練・射芸などの武技をもたしなみ、太刀を製作・鑑定するなど、文武にわたり多才多芸であった。『新古今和歌集』のほか、日記『後鳥羽天皇宸記』、歌集『後鳥羽院御集』『遠島御百首』、歌論書『後鳥羽院御口伝』、仏書『無常講式』、有職故実書『世俗浅深秘抄』など多数の著書がある。

 

隠岐神社で舞う姿

それはまるで後鳥羽上皇が舞い降りたかのよう

 

島根県議会議員吉田雅紀氏と夕食後に対談

 

“神の島”隠岐の素晴らしさが伝わる動画

 

後鳥羽院遷幸八百年祭の動画