2018年5月
初めてDr.Shuこと五島秀一氏の勉強会に参加した時の第一声が
「僕はいま隠岐島に行ってみたいんだ」でした。
さらに聞いてみると海士町(あまちょう)に行ってみたいと仰る。
驚きました
なぜならその一週間後に私は隠岐島へ行くタイミングだったから。
そして4年後の2022年5月
海士町にある「隠岐神社」にて
「Dr.Shu気の舞」の奉納をさせていただきました。
しかし当初は隠岐神社の床がコンクリートということで
ここで舞うのは厳しいのではとないか等々あったのですが
なぜかわからないけれど
どうしても隠岐神社でないとダメだと私の直感が叫ぶ。
「五島先生、どうか足を痛めないように慎重に舞ってください」
とお伝えして本番を迎えました。
さて隠岐神社に到着すると
そこで目にしたのは木をびっしり敷き詰めたステージ...
なんと後鳥羽院遷幸八百年祭のために令和4年になって造られたものでした。
「僕はいま隠岐島に行ってみたいんだ」
果たしてこのタイミングは偶然なのでしょうか?!
そういえばDr.Shuは言ってました。
タイミングは神様だ!
承久3年(1221年)、後鳥羽院により発せられた鎌倉幕府の執権、北条義時追討の院宣に端を発する承久の乱。この戦いに朝廷方が破れたことにより、後鳥羽院は海士にお遷りになりました。そして19年間お過ごしのあと、都に帰ることなく御隠れになります。院がお遷りになられてから令和3年(2021)で800年となります。
隠岐島で詠んだ和歌
「我こそは新島もりよ 隠岐の海の 荒き浪かぜ 心して吹け」
(私はこの島の新しい島守です。隠岐の海の荒い波風は、心して吹けよ)
後鳥羽上皇は蹴鞠・琵琶・秦箏・笛などの芸能のほか、相撲・水練・射芸などの武技をもたしなみ、太刀を製作・鑑定するなど、文武にわたり多才多芸であった。『新古今和歌集』のほか、日記『後鳥羽天皇宸記』、歌集『後鳥羽院御集』『遠島御百首』、歌論書『後鳥羽院御口伝』、仏書『無常講式』、有職故実書『世俗浅深秘抄』など多数の著書がある。
隠岐神社で舞う姿
それはまるで後鳥羽上皇が舞い降りたかのよう
島根県議会議員吉田雅紀氏と夕食後に対談
“神の島”隠岐の素晴らしさが伝わる動画
後鳥羽院遷幸八百年祭の動画