いただいたいのちをどう大切に生き抜くか | MAJOLICA

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言葉は詩う如く
動きは舞う如く
想いは祈る如く
如何なるものにも美と調和を見いだし
永久に祝福あれ☆☆☆
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とても久しぶりにアマノコトネ女史とお逢いしてお話をした。

ある種特殊な能力を持つコトネ女史は様々な不可視の存在とコンタクトができる方です。

 

人類と龍との関係 アマノコトネ

『富士神界の龍神からの緊急初メッセージ』

 

 

また治療者(ヒーラー)として数えきれないほどの方の心身を治し癒す陰のご活動。

私が親しくさせていただく本物のヒーラー

ヒーリングの活動を宣伝したり高額ビジネスにしていないことが特徴です。

 

そしてこの世とあの世を結ぶ架け橋となるMEDIUMの存在ほど貴重なものはないと思っています。

その日のコトネ女史との会話は、宇宙エネルギーの話から知覧特攻隊の話へと進みました。

 

知覧の特攻隊の若者から伝言が来ました。「自分達は死して日本を守れ」の一言を心に刻み皆一丸となって、散っていった。死すれば知覧に待っている、友の無事を確かめる為に魂にて帰国した。その後平和を国民が手に出来た、様子は我らの犠牲も無駄死にでは無かったと皆で喜んだ。しかし、世も変わりもう良いではないかと言う結論に皆が至った。

 

 

 

 

今朝はコトネさんの「霊格」のことを書いたnoteの記事を読み

そう言えば私のスピリチュアルの原点は死生学であることを思い出しました。

 

高次元存在の崇高なメッセージは魂を高揚させるので大好きではあるけれど

現実に生きた人間、または生きている人間が、様々な苦しみの果てに生き抜いた姿は

私たちの魂を奮い立たせてくれます。

 

私の死生学の原点は、今は亡きアルフォンス・デーケン牧師と

ターミナルケアのパイオニア、エリザベス・キューブラロス博士

 

 

 

こちらは過去記事

生と死=この世とあの世 2013年4月12日

私が「死生学」に興味を持ち始めたきっかけとなったのは

医学博士、精神科医であり、ターミナルケア(終末期医療)

サナトロジー(死の科学)のパイオニアのエリザベス・キューブラー・ロス氏と

もうひとりは、ドイツオルデンブルク生まれのイエズス会の司祭者であり

哲学者、そして「死生学」専門の上智大学名誉教授のアルフォンス・デーケン先生です。

今は亡きエリザベス・キューブラー・ロス氏は

私財を投じて死に向う患者のための施設を開設し

精力的に活動を行い、その活動は現在においての

ホスピスにつながるという大変大きな貢献をされた方です。

アルフォンス・デーケン先生は10年ほど前に直接お会いしたことがあります。

ユーモアたっぷり、あたたかいお人柄で多くの方が慕っていらっしゃいます。

また「東京 生と死を考える会」の名誉会長を務めていらっしゃいます。(ました)
 

死を見つめることは、

自分にいただいたいのちを最後までどう大切に生き抜くか

愛する人を喪った悲しみからいかに立ち直るかなど

自分の生き方を絶えず問い直し、行動していくことと考えます

とおっしゃるデーケン先生は、何故「死生学」の専門になったのでしょうか?

8歳の時(8人兄弟の3番目)4歳だった妹のパウラが白血病で死にゆくのを家族とともに看取ります。

ご両親が「病院で死を迎えさせるより、生まれ育った家に戻って、みんなで最期まで介護しよう」と決断し

子どもたちにも介護に参加させ、死別への心の準備を教えたそうです。

 

この時の介護体験が「死と生」という大きなテーマに向かわせたといいます。 

また、第二次世界大戦中に、父親は生粋のドイツ人でありながら

ナチスの人種差別と障害者抹殺に反対し、密かに反ナチ運動に身を投じていて

ナチスを告発する文書をタイプで増刷するのを子どもながらに手伝った経験

 

連合軍の空襲で、弾丸が右耳をかすめ

さらに次の弾丸が心臓からほんの数センチ脇の土にのめりこむという

生死を分けるご経験をされています。

そして決定的だったのは

ドイツの降伏時、反ナチ運動に加わっていたのに

最後には連合軍に裏切られ、眼前で祖父を連合軍の兵士に射殺されるという経験が

深い悲しみから立ち直るためのケアを確立されていくことになるのです。

デーケン先生が来日した当時は、まだ日本では「死」はタブーという時代でした。

1975年、上智大学で「死の哲学」を教えたいというアイデアを出された時も

多くの教授たちから「そんな授業に学生が集まるわけない、やめた方がいい、

日本のことをもう少し勉強した方がいい」と言われかなりの批判を浴びたそうです。
 

またその頃の日本の病院の多くが「ガン告知」をしないという姿勢をとっていました。

デーケン先生は、それは患者にとってとても不幸なことだとおっしゃいます。
 

人間らしく死を迎えるためには、苦しくとも真実を知ることが望ましい

残された時間をその人らしく創造的に過ごすことができる

そういう意味で「死への準備教育」の大きなテーマとして

「ガン告知」「末期患者とのよりよいコミュニケーション」を強調するのだと。

 

医師は真実を土台として、患者とのコミュニケーションを

もっともっと大切にするべきだとおっしゃいます。
 

「死してなお生きる」

一度の人生で何度も生き直しているmajolicaよりピンク薔薇