こどもへの関わり。
本質をみること
こんにちは☺
ご訪問ありがとうございます!
こどもとの関わり方って、こどもが10人いたら10通りといえるくらい
様々です。
わたし自身、「どうするのが正しいの!?」
と、我が子を想う気持ちから、「正解」を求めていたこともありました💦
が
「正しいことは何か」ととらえているときの主役・主語は大人のわたしで
その正しさ自体が、まわりからの自分への評価につながるもので、
こどものためといいながら、こどもではないんです///💦
今日はそんな子育ての主語がわたしから、こどもにうつることで感じた関わりの本質をもみるような感覚について書こうと思います。
以前の記事でも書いていますが、わたしの場合
子育てにおいて(またそれ以外の生活全般の)イライラを感じるとき、その活動の主語は自分なんです。
自分の思いや期待を通してこどもの様子をみているので、
こどもの言動が自分の思いと違うことに違和感やイライラを感じていました。
そこで 『なぜイライラするのか』を
その活動の主語が「わたし・自分」にしていないかをみることで
イライラを引き起こす感情や思いはなんなのかを、見つけられるようになりました。
それだけで随分と冷静になれ、言葉かけが変わるのですが、そこから関わりの狙い何かをひとつに絞って関わることにつながっていきました。(まだ修行中ですが💦)
こどもの行動を評価せず、気持ちを受け止めていくことで
物事の道理につながることもあるなと感じています。
例えば、「触らないで待つ」といわれる時間には
◇家族や友だちみんなで一緒に食べるため、食器などに触らないで食べ始めるのを待っている状況
と
◇兄弟や友だちが遊んでいるおもちやで、年齢的にまだ遊べないので触らないでと待っている状況
は、「触らないで待っている」
という行動は同じですが、待っている目的とその後が違います。
待っていると、食べられるという「願望が叶う」前者と
待っていても、遊べないという「願望が叶わない」後者
触らないで待っていても、結果触れないのであれば、待たせるのではなく、例えば代替えのものを一緒に探すなど別の対応をすることで、「待っている」ことへの嫌悪感がなくなります。
待っていても願望が叶わない経験は、次に待っている時間に出会ったときの「待つ」ことのマイナスに働く可能性があったり、こどもと親の心のすれ違いになったりする可能性もあります。
目の前のものに触って欲しくない
⇒は、大人の目線(主語が大人)で
こどもが触わってしまうことに困るのは大人側
⇒そこにイライラがうまれることがある
触って欲しくない視点。。。
わたし自身、そのあとのトラブル的なことを想像すると困ることもわかります💦
でも、こどもに何を伝えたいかの「狙い」を「待つ」にしたなら、先にあげた例、後者の場合、「待つ」を伝えるタイミングではないです。
もちろん、待っても願望が叶わないことがあるケースはありますが、例外的なことはまず基本の「待つ」がこどもに身に付いてから伝えるほうが混乱しないと思っています。
みなさんも(触らないで)「待つ」のは、
例えば・バスに乗れる・荷物が届く・順番がくるなど、待った結果、自分の「願望が叶う」経験をしているので、待てるのではないでしょうか。
乳幼児は、まだその経験が足りていないので、活動の主語を親にすると「待つ」を体験する機会がまざってしまい、結果「待つ」ことがなかなか身に付かない。
そしてそこから親子の心のすれ違いが生まれてしまったら...とそこがとても心配になります💦
心のすれ違いを重ねることで、信頼関係が崩れてしまうため、こどもはだんだんと親の言う事を聞かなくなります。
そんなつもりは全くない親側ですが、これが我が家の関わりの例でもあり、母子信頼関係が弱かったことにつながっています💦
こどもを主語にする関わりをすることで、こどもの気持ちに寄り添い共感できます。
こちら↓にもかいていますが
共感はわたしたち親子の母子信頼関係を育むうえで欠かせないものでした。
また、共感力は、多様性を受け止める力で、グローバル子育てにおいても育みたい力のひとつ。親子の関わりを通し、共感してもらう経験を体感することで、こども自身の将来の共感力につながります。
関わりの本質に話を戻して、
こどもへの関わり、ふと立ち止まって主語が誰かを考えてみてもられたらと思います。
本質といえば!
先月のPotcastでもお話している回があります。
↑
こどもとの関わり方について、こどもとの日常をより楽しく過ごすことにつながるきっかけになると思います。
何が言いたいのかわかりにくいですが💦
こどもとの関わりにおいて、「主語はこども」
こどもにすることで、その関わりの本質につながる
をお伝えしたい!と思ってのこちらの記事でした。
最後まで読んでくださりありがとうございます☺